【写真】奥州道中 大衡一里塚説明板[2503]
しょうげんじまえ(おおひら)いちりづかあと
宮城県黒川郡大衡村
現況;残っていない(以前は二基現存)
2502加筆修正 2503写真追加
【写真】奥州道中 第二仙台北部中核工業団地[2503]
歴史の道調査報告書では、「善川を過ぎると昌源寺坂を登る。途中には「首洗場」と呼ばれる処刑場の跡がある。坂を登り切り、大衡村に入ると一里塚があり、松が植えられていたという。そこから200m北上すると馬頭観音碑4基がある」といった旨の記載があるが、第二仙台北部中核工業団地(奥田地区)が整備され、大規模な盛土により痕跡は全く残っていない。
造成の事前調査として、平成20年9月には奥州街道発掘と現地説明会が行われている。
それによると、従来から所在が確認されていた西塚は直径10m、高さ3.3m。東塚も土に埋まった状態で発見されている。
これらの調査内容は、「大衡村文化財調査報告書」第4集 2009.3大衡村教育委員会にまとめられている。
また、歴史の道調査報告書にある馬頭観音はときわ台団地東の中央平緑地公園に移設されている。そこに大衡一里塚の説明板も設置されているが、実際の一里塚はもう少し南東側にあった。
【写真】奥州道中 大衡一里塚説明板[2503]
【写真】奥州道中 大衡一里塚説明板[2503]
【写真】奥州道中 中央平緑地公園 [2503]
昌源寺から北の奥州道中はすっかり中核団地の造成地で2025年現在更地ではあるものの、立ち入りはちょっと厳しい。ただ、周辺道路が奥州街道の散策路として整備されており、中央平緑地公園に説明板などがある。
一里塚跡はその途中だが、工場用地の下である。
更に北上するとトヨタ東日本の工場がある。正門の東側に一里塚っぽい盛土と高木が見えるが、この形状である必然性が感じられないため、一里塚にちなんだモニュメント的なものだろうか?
ところで、工場北側にある公園から県道57号大衡落合線まではかつての奥州道中がそのまま残されている。
踏み固められた旧道は刈払いもされており、途中藪の場所はあったが基本歩きやすい。途中の「もみじ広場」なる場所に奥州街道跡の案内板がある。旧道は距離にすると500m程はあるだろうか。
街道の雰囲気もあり歩きやすいが、北側の出口は資材置き場になっており、立ち入り禁止のロープが張ってある。このあたり片手落ちである。
県道57号線の舗装道路に出ると大衡配水場を過ぎ東進する。バス路線だったようだが2024年に廃線となっている。
途中交差点はあるが、整備された道路を道なりに進み、雲泉寺のあたりが駒場一里塚跡だ。
【写真】奥州道中 馬頭観音[2503]
【写真】この下に奥州道中が通っていた[2503]
【写真】奥州道中 トヨタ東日本敷地内[2503]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中[2412]
【写真】奥州道中 県道16号石巻鹿島台色麻線[2501]
【写真】奥州道中 県道16号石巻鹿島台色麻線[2501]
【写真】奥州道中[2412]
トヨタ東日本北からの奥州道中は、距離も長く、良く旧道の雰囲気を残している。
北進すると、駒場村に入るあたりに三角点があり、見晴らしの良いところになっているという。この場所は仙台藩主が休憩した場所とされており、「奥松福城行記」(宮城県図書館蔵)に、「三本木迄山坂道なり、此間西の方、最上境に二つ嶽見ゆる。」と記されている地点と推測される(大衡村広報平成30年12月号)。
三角点は確認しなかったが、恐らくここが案内板のある「もみじ広場」のことだろう。