写真;三厩北の町並み。
「大日本東山道陸奥州駅図;青森県立図書館蔵」(1800頃)では三厩は宿駅としては描かれていない。
ただ、本陣もあり松前藩の参勤交代は三厩まで船で移動し、ここから徒歩で江戸へ向かった。八戸道との追分までは他に参勤交代での利用は無かったが、弘前藩や盛岡藩が北海道に進駐するようになると、往来量は増えていた。
とはいえ、三厩が松前藩の上陸地点になったのは1700年代に入ってからで、それ以前は今別などが利用されていた。しかも、幕末に至っても松前街道の伝馬不足などで青森、野辺地など別の港を利用する事も有ったという。
1800(寛政12)年伊能忠敬が奥州道中を北上し三厩から最初の蝦夷地測量へ向かった(第一次測量)が、松前までの50kmを弘前藩が運行していた御役船(おやくせん)で幕府関係者と共に渡った。ただ、このときも8日間風待ちをしたという。千住から三厩まで21日で歩いたことを考えると海を渡るということは行程を読みづらい難所だったといえる。
現在の三厩はJR津軽線の終着駅となっている。現在は津軽海峡線が青函トンネルで竜飛岬を越えて北海道に通じており、八戸駅からはJR北海道の電車が通っている。将来的には函館まで青函トンネルを通り新幹線が開通するはずである。
その青函トンネルの工事期間には三厩経済は活況を呈し、三厩から青森市まで連日タクシーで飲みに向かう人が続出した程だったが、工事が終わるとともにそのような景気の良い話は聞こえなくなった。