By Artfarmer2026年9月1日
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はじめに
普通、私たちは「生きる(人生の)意味とは何か」を、自分の外側にある答えとして探そうとします。まるで、どこかに正解が用意されていて、それを見つけ出せばよい、というように。
しかしフランクルは、この問いの立て方そのものを、180度転換します。意味を問う主体は、人間ではなく、人生の側にある、と。人生の方が、その都度、私たちに向かって問いかけてくる。「この状況で、あなたはどう生きるのか」「この出来事に、あなたはどう応えるのか」と。そして人間の役割は、その問いに対して、行動によって、生き方によって、答えていくことなのだ、という立場です
フランクルの言葉に置き換えれば、「人生の目的とは何か」と抽象的に問うのではなく、目の前のこの瞬間、この状況が、あなたに何を問いかけているかに、具体的に応えていく。それが、生きるということだ、ということになります。畑の雑草を一本抜くこと、カフェオープン、農作業これらはすべて、人生から差し出された、その瞬間その瞬間の問いに対する、あなたなりの答えだったのだと思います。
私の考え
フランクルの考えの前提として:
問いに答えられるかどうか、応え続けられるかどうか、その前に、ただ生きているということ自体に、すでに価値がある、と。
私の結論は、そうした一切の条件や評価から自由な場所にあります。うまくできた日も、失敗した日も、くじけた日も、それを乗り越えた日も、そのすべてを含めて、ただ生きているということ自体に、すでに、揺るがない価値がある。
(これはフランクルが若いころ学んだアルフレッドアドラーを基に考えた私の解釈です。)
一人暮らしをしていると
ふと昔のことを思い出すことが多くなりました。若い頃は当たり前だと思っていたことが、今になってかけがえのない宝物だったことに気づかされます。
家族との何気ない団らん、友人たちとの気軽な集まり、健康であること。
当時はただの日常で、何の変哲もないと思っていたこれらの出来事が、どれほど貴重で幸せな時間だったのか。
人生は、失って初めて気づくことばかりなのかもしれません。
結論
「生きていること」そのことに意味があり、価値がある。
追記
私の好きな歌手「河島英五」の歌に「生きてりゃいいさ」があります。
ふと思い出しました。
歌詞
きみが悲しみに 心を閉ざしたとき
思い出してほしい歌がある
人を信じれず 眠れない夜にも
きっと忘れないでほしい
生きてりゃいいさ生きてりゃいいさ
そうさ 生きてりゃいいのさ
喜びも悲しみも 立ちどまりはしない
めぐり めぐって行くのさ
手の掌を合わせよう ほら温りが
君の胸に届くだろう
ヴィクトール・E・フランクル『霧と夜』
生きる意味を問う Kindle版 pp111
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「人生の意味」を問う場所はどこにあるのか