「時が解決してくれる」という言葉の真実と限界を、東日本大震災での実体験を通して深く考察。希望と癒しの力、そして能動的な行動とのバランスの重要性を探る感動的な人生論。
Byartfarmer2025年4月6日
「時が解決してくれる」という言葉について。
これは多くの人が経験的に感じたり、あるいは慰めとして使ったりする、深みのある言葉だと思います。
肯定的な側面:希望と癒やしの力
心の負担軽減と希望: 困難な状況や深い悲しみの中にいるとき、すぐに解決策が見つからなくても、「時間が経てば状況は変わるかもしれない」「この苦しみもいつかは和らぐかもしれない」と考えることは、心の負担を軽くし、希望を与えてくれます。絶望的な気持ちに陥るのを防ぐ、一種の精神的な防衛機制とも言えるかもしれません。
感情の風化: 怒り、悲しみ、悔しさといった強い感情は、時間の経過とともに薄れていくことが多いです。時が経つことで、出来事をより客観的に捉えられるようになったり、感情的な反応が穏やかになったりします。これは、心の傷が自然治癒力によって少しずつ癒えていく過程に似ています。
状況の変化: 時間が経過する中で、自分自身を取り巻く環境や人間関係が変化し、それが問題解決のきっかけになることがあります。新しい情報が入ってきたり、予期せぬ助けが現れたり、あるいは問題そのものの重要性が相対的に低下したりすることもあります。
内面的な成長: 辛い経験も、時間が経って冷静に振り返ることができるようになると、そこから学びを得て、人として成長する糧とすることができます。「あの経験があったからこそ、今の自分がある」と思えるようになるには、ある程度の時間が必要な場合が多いです。
注意すべき側面:思考停止や問題放置のリスク
問題の放置・先送り: 「時が解決してくれる」と考えるあまり、主体的に問題解決に取り組むことを放棄してしまう危険性があります。待っているだけでは状況が悪化したり、解決のタイミングを逃したりする問題も少なくありません。
解決しない問題の存在: そもそも、時間経過だけでは根本的に解決しない問題も存在します。具体的な行動、決断、関係者との対話などが必要な場合、「時」に委ねるだけでは何も変わりません。
精神的負担の長期化: 問題解決に向けたアクションを起こさず、ただ時間が過ぎるのを待つことが、かえって精神的な苦痛を長引かせる場合もあります。
責任転嫁: 問題の原因や解決の責任を、自分や他者ではなく、曖昧な「時間」という存在に押し付けてしまう、思考の罠に陥る可能性もあります。
私の考え
「時が解決してくれる」という言葉は、一面の真実を捉えていると思います。人間の心や状況は常に移り変わるものであり、時間の経過が多くの物事を和らげ、変化させる力を持っていることは確かです。辛い時期にこの言葉が心の支えとなり、前に進むための一時的な休息を与えてくれることは、非常に価値のあることでしょう。
しかし、それは万能の解決策ではありません。この言葉を「何もしなくても大丈夫」という言い訳や、思考停止の理由にしてしまうべきではないと考えます。
大切なのは、「時間の力」を信じつつも、「自分自身の力」を過小評価しないことではないでしょうか。
今は辛くても、時間が経てば感情は和らぎ、状況も変わる可能性がある、と希望を持つ。
しかし同時に、現状を冷静に分析し、自分にできることはないか、行動すべきことはないかと考え、実行に移す。
つまり、「時が解決してくれる」という受動的な側面と、「自分が解決のために動く」という能動的な側面、この両方のバランスを取ることが重要だと考えます。時間がもたらす自然な変化を受け入れながらも、より良い未来のために自ら行動を起こす意志を持つこと。それが、この言葉と賢く付き合っていく方法ではないでしょうか。
私が最初に「時が解決してくれる」を意識したのはこのときでした
2014年2月25日のブログ記事「目立たぬように、はしゃがぬように」より
1986年にリリースされた河島英五の「時代遅れ」。1986年といえば今から28年前、日本はバブル経済の真っただ中でした。その中で作られた名曲(作詞:阿久悠、作曲:森田公一)のサビの一節——
「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは、無理をせず」
28年たとうとしている今、妙に口に出てきます。何故か口ずさんでいるのです。
1986年当時、私はジャズに夢中で歌謡曲はあまり聞きませんでした。カラオケで歌ったこともありません。ですから覚えているのはサビの部分の一節だけなのです。
いつから口ずさむようになったのか、記憶をさかのぼると、どうやらもうすぐ3年になる2011年3月11日の震災以来のようです。
震災当日、私は仕事中だったため、津波に襲われた自宅からは10kmほど離れた場所にいました。自宅に残した糖尿病の母を助けるため、すぐに帰宅しようとしました。
道路は大渋滞、信号は停電のため全面ストップ。何とか自宅から2km付近まで車で近づきましたが、そこが限界でした。車を置いて、浸水している道を歩いて進むしかありません。時間は夕方5時頃、雪も降り始め、厳しい寒さの中での行進でした。
自宅に近づくにつれて水位が増し、寒さと水の深さのためついに歩くのが困難になりました。近隣の住宅はみな避難所に行ったらしく、人の気配はありません。
何度か命の危険を感じながらも、何とか自宅にたどり着いたのは夜9時頃でした。しかし、母はそこにいませんでした。家の中は流木やゴミで足の踏み場もなく、箪笥の上に畳が乗っているような状態でした。
翌日、母は近所の叔母夫婦の家で3人一緒に溺死で発見されました。
自宅に向かう途中、私自身も流木に足を取られたり打ち付けられたりして、生まれて初めて「死ぬかもしれない」という経験をしました。震災以降、しばらく精神的に力が抜けた状態になりました。
同時に、生きている自分に感謝する気持ちも芽生えました。あの日、胸まで冷水に浸かった状態で進むのをやめていたら、私も命を落としていたでしょう。それまでは生きていることが当たり前でしたが、今は生きていることに感謝する気持ちで満たされています。
経営していたレストランも、壁は崩れ、ガラスも壊れ、営業再開は到底無理な状態でした。
その頃だと思います、昔聞いたことのある河島英五の「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず」という歌詞が自然と口をついて出てきました。脳の片隅に残っていた記憶が、この状況で蘇ってきたのでしょう。
今は、自宅の再建はこれからですが、お店の移転とリフォームが完了し、去年の10月から営業も再開できました。
そして私のこれからの人生は、「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず」を指針としています。実際、かなり目立たないレストランで、糖尿病の人に美味しい食事を食べてもらい、震災ボランティアでお世話になった人々へ間接的に恩返しをしています。
決してはしゃがず、似合わないお洒落な料理は出せませんが、体に良い料理を誠実に提供していくことで、自分の生き方を形にしています。
震災からもうすぐ3年になります。当時は話すことさえできなかったことも、今はようやく文章にすることができるようになりました。
瓦礫の中であまりの酷さに立ち尽くしていた時の独り言——「時間が解決してくれる」。
その言葉は、実際に私の人生の中で真実となりました。