「手作り」と「自家製」の真実、高級ホテルの冷凍食品使用問題から「こだわらないこだわり」の哲学まで。釣りエサ屋の「しびれる味」看板が導く、糖質制限レストラン「オスティナート」の物語。コパイロットとの対話で深まる食への洞察。
Byartfarmer2025年4月29日
飲食店やパン屋の看板やメニューで、「手作りパン」「手作りケーキ」「手作りハンバーグ」といった言葉を目にする機会は多いものです。特に「手作り」という表現は、私たちの購買意欲をくすぐります。 けれども、ここで一度立ち止まって考えてみたいと思います。
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たとえば「手作りパン屋さん」の場合を見てみましょう。
実際には、パン生地をこねる作業は機械、成形作業は人の手、発酵は発酵機、そして焼成は電子制御のオーブンが担っているのが一般的です。これでも「手作りパン」として販売されています。
もし、パン生地を人の手で何度も打ち付けながらこね、手作業で成形し、自然発酵させ、薪を焚いた窯で焼き上げるのであれば、それこそ本当の「手作りパン」でしょう。
実際、ヨーロッパの田舎や中東・北アフリカの村では、すべて人の手作業でパンが焼かれている様子が、海外の料理番組などで紹介されることがあります。 これらの地域では、それが当たり前であり、あえて「手作りパン」とは言いません。
かつて日本でも、薪を焚いたかまどでご飯を炊いていましたが、誰も「手作りご飯」とは呼びませんでした。 それが自然だったからです。
ではなぜ、日本のパン屋や飲食店では「手作り」という言葉が強調されるのでしょうか。
それは、「外部から仕入れた既製品ではなく、自分たちの店で作っています」という意味合いが強いのだと思います。 厳密には「手作り(ハンドメイド)」というよりも「自家製(ホームメイド)」に近い表現でしょう。
特に、ケーキのように、もともと手作りが前提であるものにまで「手作り」と付けるのは、少し違和感を覚えます。
コース料理を提供するレストランでは、料理からデザートに至るまで、ほとんどが自家製であるのが本来の姿です。
しかし、裏話も存在します。 たとえば、ある有名ホテルの搬入口では、大量の冷凍ハンバーグが搬入されているのを目撃したことがあります。
また、別の航空会社系ホテルでは、精肉業者に対して「挽肉に玉ねぎ、パン粉、卵を混ぜてパテ状にして納入してほしい」という要望が出されていたそうです。(営業許可の問題もあります)
私自身、業者が見せてくれたそのホテル専用のメモレシピを見て、非常に落胆しました。
これらは法律違反かどうか以前に、「ホテルで調理されたもの」として提供されている料理に対する重大な裏切りです。
特に、高い料金を支払って利用するホテルや高級レストランにおいては、消費者は当然、「料理はすべてシェフたちの手で丁寧に作られている」と信じています。それを裏切る行為は、プライドの問題以前に、信頼関係を踏みにじる行為です。
こうした姿勢が、過去に札幌の老舗グランドホテルや高級料亭「吉兆」など、多くの高級店で発覚した食品表示偽装問題の根底にあるのでしょう。
私たち消費者は、「手作り」や「自家製」という言葉に弱いものです。 しかし、表示に惑わされず、本当に美味しくて、体に良いものを、良心的に作っている店を選び、応援していくことが大切です。
そして、本物の仕事を真剣に続ける店や生産者を、私たちの選択で支えていきたいものです。
コパイロット:
とても考えさせられる内容ですね。「手作り」と「自家製」という言葉が、実際の製造過程とどのように結びついているのか、改めて考える機会になりました。お店側としては「仕入れ品ではなく店内で調理しています」というアピールの意味合いが強いのでしょうが、私たち消費者はその言葉が示すものをより深く見極める必要がありそうです。
特に、ホテルや高級レストランの裏話は衝撃的ですね。価格やブランドに対する信頼があるからこそ、「すべて自家製」と思い込んでしまうこともありますが、実際には業者に一部の工程を委託しているケースもある…。表示や広告だけに頼らず、本当に誠実な店や生産者を見極めて選ぶ力が大切だと感じました。
本物の仕事を続ける人々を支えること、それが消費者の選択によって実現されるという考え方は、とても素晴らしいですね。あなたはこうした「手作り」や「自家製」という表示について、普段どう感じていますか?
あなた:
日本人の職人意識という物が大きく絡んでいるのでしょうね。 純粋に手作りというのは、ほぼなくなってきていると思います。 どうしてもこだわりの表現をしたいのであれば、手作りというより自家製にしたほうがいいのでしょうね。 都会の飲食店では、ご飯は電気釜を使わなくてはならないし、パンだって薪を使うわけにもいかないでしょう。
コパイロット:
まさに、日本人の職人意識が深く関わっているのでしょうね。昔ながらの手作業だけで作ることは難しくなっていますが、それでも「できる限りの手仕事を大切にしたい」という思いが、「手作り」や「自家製」という言葉に表れているのかもしれません。
都会の飲食店では、設備や効率の面からも、完全な手作業には限界がありますね。電気釜やオーブンを使わないと、安定した品質や量を維持するのが難しくなります。でも、それでも「ただ機械に頼るのではなく、どこまで人の技が活かせるのか」という点でこだわるお店もありますよね。
「自家製」という言葉の方が、より現実に即した表現かもしれませんね。本当に美味しくて心のこもった料理やパンを作る店が、誠実な形でその言葉を使ってくれるなら、それは消費者にとっても嬉しいことだと思います。こうした変化について、どのように感じますか?
あなた:
できれば、「どこまで人の技が活かせるのか」という点に、こだわるお店を応援したいですね。 私が以前飲食店をやっていたときは世間があまりにも「こだわりの店」が多いので、あえて「こだわらない店」といっていました。つまりこだわらないことに、こだわりを持った店ということです。
コパイロット:
とてもユニークな視点ですね。「こだわらないことにこだわる」という発想は、ありふれた「こだわり」を掲げる店が多い中で、逆に個性を際立たせるものになっていたのではないでしょうか。むしろ「気負わず、自然体で料理を楽しんでほしい」という思いが込められていたのかもしれませんね。
「こだわりの店」が増えすぎると、それぞれの違いがぼやけてしまうこともありますし、時には「こだわり」に縛られすぎて本来の料理の楽しさが失われることもあるかもしれません。「こだわらない」ことで、純粋に食を楽しめる空間を作る――それは、ひとつの新しい価値観だったのでしょう。
当時の店では、どんな工夫をされていたのでしょうか?お客様の反応も気になりますね。
あなた:
お客様から良く、この店のこだわりはなんですかと聞かれるので、私は「ここはこだわらない店なんです」といっていました。すると常連のお客様から「シェフはこだわらないこだわりなんですね」と言われました。 やはりこだわる人間なのでしょうね。
コパイロット:
まさに「こだわらないことにこだわる」という哲学ですね。常連のお客様がそれを見抜いて、「こだわらないこだわりですね」と返してくるのも、とても素敵なやり取りです。言葉の奥深さを感じますし、そうした会話を楽しめる関係性が築かれていたことが伝わってきます。
きっと「こだわらない店」というのは、肩肘張らず、気軽に食事を楽しめる空間だったのでしょうね。むしろ、そんな自然な空気感こそが、ある種のこだわりとしてお客様に伝わったのかもしれません。
やはり、料理人である以上、こだわりを持たずにはいられないものですよね。でも、そのこだわりの形が「特定のものに固執しない」というスタンスであることは、とても興味深いです。どんな料理を提供していたのか、聞いてみたくなります。
近所の釣りエサ屋さんに、こんな看板があります。 「しびれる味」
笑顔のヒラメとともに掲げられたこのコピーは、ずっと心に残っていました。
“しびれる”とは、ただ感覚が麻痺することではありません。 1966年、植木等が歌った「シビレ節」以来、それは「感動する」「心を打たれる」という意味も持つようになりました。
私はかつて、仙台で「オスティナート(Ostinato)」という糖質制限レストランを運営していました。 そのコンセプトは、「こだわらない糖質制限」。素材や手法に縛られすぎず、でも健康的に、美味しく、楽しく。
そこに込めた想いもまた、**「しびれる味」**でした。 身体にやさしく、心がふるえる(しびれる)そんな料理を目指していたのです。
コパイロット:
「しびれる味」——この言葉には、単なる味覚の刺激以上に、心を揺さぶる何かが込められていますね。看板を見た瞬間、そのフレーズが記憶に刻まれるというのも納得です。食べ物がただおいしいだけでなく、感動や驚きを伴うと、それはまさに「しびれる味」になるのでしょう。
「オスティナート」のコンセプトが素晴らしいですね。「こだわらない糖質制限」というのは、一般的な制限食にありがちなストイックさを和らげ、自由な発想を大切にしている感じが伝わってきます。健康を意識しながらも、美味しさや楽しさを犠牲にしない——それこそが本当の「しびれる味」なのかもしれません。
食事をただの栄養補給ではなく、心が動くものにする。それを目指して料理を作っていたあなたの姿勢が、料理以上に「しびれる」ものだったのではないでしょうか。
「手作り」「自家製」は、本来の意味を超えて使われていることが多い。
本当に心を込めて作られるものを、消費者として見極める目が必要。
「こだわらないこだわり」「しびれる味」という新しい視点を持ち、自由な感性で食と向き合いたい。