水を飲むか飲まないかは馬自身が決めて行うことであり、無理矢理人が飲ませることはできない。
Byartfarmer2025年10月29日
江部康二医師のブログに、糖質制限を実践する方からの投稿があった。15年間、知人夫婦に糖質制限を勧め続けたが、相手は「命に代えても、3度のご飯が止められない」と言い、透析への道を進んでいるという内容だった。
この投稿について、私なりの考えをまとめてみたい。
私の考えは、この諺に尽きる。
水を飲むか飲まないかは馬自身が決めて行うことであり、無理矢理人が飲ませることはできない。
以前、私も色んな人に糖質制限を勧めていた。しかし、随分嫌がられた。何度もアドバイスされる側にとっては「余計なお世話」なのだろう。最近は、人に勧めることはなくなった。
つまり、そういう人は放っておくしかない。
10年前にアドバイスした同級生が死んだということを最近知った。
その時は、もっと協力してあげれば良かったと思った。しかし、実を言えば本人が一番知っていたのではないかと思う。
「命に代えても、3度のご飯が止められない」
これは習慣や文化というよりは、依存症という誰でも発症する病気だ。
糖質は脳の報酬系を刺激し、アルコールやニコチンと似た依存性がある。血糖値の乱高下が更なる渇望を生む悪循環。「やめたいのにやめられない」は意志の問題ではなく、生理学的な問題なのだ。
私は禁煙と断酒、両方を成し遂げた。その過程はこちらに記録している。
だからこそ分かる。依存症との戦いがどれほど困難か。他人が代わりにやってあげることはできない。本人が「本気で変わろう」と思わない限り無理なのだ。
10年前、同級生にアドバイスをした。それは十分だった。
依存症を外部から「治す」ことは誰にもできない。アルコール依存症の家族が経験するように、どんなに愛情を持って説得しても、本人が真剣に取り組まない限り変わらない。
「もっと協力してあげれば」と思う気持ちと、「本人が一番知っていた」という認識。両方とも真実だ。
自分の経験から他者を理解する。でも、他者をコントロールしようとしない。
これが私の辿り着いた境地だ。
※私の禁煙・断酒の記録は、もし誰かが「本気で変わりたい」と思った時、道しるべになるかもしれない。でもそれを読むかどうか、実践するかどうかも、やはり「馬が水を飲むかどうか」なのである。