By Artfarmer2026年5月5日
「嫌われてもいい」と思うこと
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「嫌われてもいいと思うこと」は、アドラーを読む前から私自身のテーマでした。
6月で、糖質制限を始めてちょうど14年になります。
「この喜びを誰かに伝えたい」 ——そんな思いから、当時は多くの人に糖質制限を勧めました。まだ反発も根強かった時代で、ずいぶん嫌われたことを覚えています。
それでも次第に、「嫌われてもいい」と思えるようになっていきました。
その後アドラーの著作『人生の意味の心理学』を繰り返し読む中で、この感覚はさらに明確な輪郭を持ちました。
それは「性格」と「ライフスタイル」の関係、そして「嫌われる勇気」と「嫌われてもいい」という二つの言葉の違いでした。
アドラー心理学の中心概念であるライフスタイル(Lebensstil)は、「その人が世界をどう見て、自分をどう見て、どう行動するかという、一貫したパターンの総体」である。いわば人生の設計図、あるいは行動のガイドラインだ。
では「性格」はどう位置づけられるのか。
アドラーは「性格」という言葉を捨てたわけでも、嫌っていたわけでもない。彼はこの言葉をライフスタイルとの関係の中で意味づけたのである。
ライフスタイル(実体・光源)
↓
性格(付きまとう影)
影は実体がなければ存在できない。見る角度や状況によって形が変わる。しかし影を観察することで、光源の方向や形を推測できる。
アドラーが性格という言葉を残したのはそのためだ。性格はライフスタイルを外から読み取るための手がかりとして機能する。影を否定すれば、実体も見えなくなる。
アドラーの著作には、一見矛盾して見える行動についての記述がある。
「二人の個人が同じことをしているように見えても、それぞれは実際にははっきりと異なることをしている場合があり、また、二人の個人が表面上は異なることをしていても、実際には同じことをしている場合があるのです。」
これが示すのは、表面に現れる性格的特性(影)だけを見ていては人は理解できないということだ。根底にある統一性=ライフスタイルを見なければならない。
アドラーの目的論は、フロイトの原因論への根本的な反論である。
ライフスタイルはガイドラインである。目的に向かって人を動かし続ける動的な指針だ。そして、アドラーはこれを変えることができると言う。
ただし、勇気がいる。
変化を妨げるのは情報不足ではない。慣れ親しんだパターンへの安心感、失敗への不安、そして変化の責任を引き受けることへの重さ――これらを乗り越えるには勇気が必要なのだ。
だからこそアドラーは「勇気づけ(Ermutigung)」を治療の核心に置いた。
14年間、私を支え続けたのは江部先生のブログだった。 それは今思えば、まさにアドラーが言う勇気を引き出す援助としての 「勇気づけ」だったと思う。
※初回投稿(2014年2月):江部先生ブログ
岸見一郎・古賀史健の著作『嫌われる勇気』のタイトルから、「嫌われてもいい」という言葉を連想する人は多い。しかしこの二つはまったく異なる。「嫌われてもいい」は本のタイトルではなく、アドラーの思想を辿ったときに自然に辿り着く概念である。
言葉が似ているからだ。しかし:
嫌われる勇気 → 行動の源(プロセス)
嫌われてもいい → その結果の受容(到達点)
「嫌われてもいい」が出発点になるとき、それは逃げになる。
「嫌われてもいい」が到達点になるとき、それは自由になる。
承認欲求を持たない(自己受容)
↓
人に好かれようとしない
↓
嫌われてもいい
嫌われる勇気(行動への踏み出し)
↓
嫌われてもいい
二つの入口、同じ出口。
承認欲求を持たない → 内面からの変化(自己受容)
嫌われる勇気 → 外側への行動(踏み出す勇気)
そのどちらもが「嫌われてもいい」という静けさへと辿り着く。
自己受容とは「完璧でない自分を、そのまま認める」ことだ。
自己受容がないとき、人は他者の評価で自分の価値を確認しようとする。好かれることが目的になり、嫌われることへの恐怖が生まれる。
自己受容があるとき、自分の価値はすでに自分の中にある。好かれることを目的にしない。その自然な結果として、「嫌われてもいい」という感覚が生まれる。
これは冷たさでも孤立でもない。承認なしに人と繋がれる、対等な関係への前進だ。
最近は糖質制限の認知度も上がり、自分から積極的に勧めることはほぼなくなった。 今は、必要としている人に届けばいい、という静けさがある。これがアドラーの課題の分離である。
それが「嫌われてもいい」という到達点の、実感だ。
アドラーはこう言っている。人は今この瞬間も、自分のライフスタイルを選び直すことができる、と。
14年間という時間は、私にとってその証明だったのかもしれない。体験が先にあり、理論が後から追いついた。アドラーを読んで驚いたのは、すでに知っていたことが書いてあったからだ。ただ、言葉になっていなかっただけで。
「嫌われてもいい」は、最初から目指すものではない。嫌われる勇気を持ち、また承認欲求を手放した人間が、自然に辿り着く自由な状態——それが「嫌われてもいい」という境地なのだと、今は理解している。
最後に、アドラー心理学の『課題の分離』でいえば、好かれるか嫌われるかは相手が決めること。自分がどうあるかだけが、自分の課題である。
本記事は『人生の意味の心理学』(アルフレッド・アドラー)を読み進める中で、自己との対話と14年の経験をもとにまとめたものです。