61歳が挑んだ10日間の「食べない暮らし」体験記。糖質制限・断酒の次に見つけた食の本質とは?榎木孝明氏の不食に触発され、体重・血糖値を毎日記録。求めたのは高級食材ではなく「味のしみた大根」だった深い洞察。
yartfarmer2025年5月2日
投稿日:2015年12月15日(更新日:2018年1月7日)
投稿者:nazono57(Ostinato)
※本記事はアクセスの多い人気記事につき、再掲・注目記事としてピン留めしております。
糖質制限を始めて3年半、そして2015年10月24日から断酒を継続していた私が、次に挑戦したのが「食べない暮らし」です。いわゆる断食とは少し違い、宗教的・修行的な意図ではなく、「食べるとは何か」「食に依存していないか」を自ら問い直すための実践でした。
きっかけの一つは、俳優・榎木孝明さんが30日間の不食に挑戦した書籍に触れたこと。そしてもう一つは、生化学の学びから「人間はケトン体を使えば一定期間食べずとも生きていける」ことを知ったことでした。
年齢:61歳
身長:170cm / 開始体重:55.5kg / BMI:19.26
目標期間:10日間(体重50kg未満を避けるため)
目的:ダイエットではなく、食の意味を問い直す内省
誰にも実行中であることを話さない
異変があれば即中止し医師に相談
水分補給は十分に(コーヒーにクリームとパルスイート、日本茶に梅干し)
日常生活は変えず、料理も通常通り(ただし味見は吐き出す)
空腹感は3日目には消失
排便が止まり、7日目に宿便が出た
体重減少が予想より早く、1日1kg減ることも
思考がクリアになり、集中力が上がった
時間に余裕ができ、有意義に過ごせた
消化器が休まり、体調がむしろ良好に感じた
食のありがたみを思い出し、震災時の食料パニックについても改めて考えさせられました。
「本当に食べたいと思ったのは、
味のしみた大根、ねぎ入り納豆、しょうがをのせた厚揚げでした。
高級な肉や寿司ではなかったのです。」
人間は必要以上に「食べたいもの」「楽しむ食」ばかりを追いがちです。けれどそれは、時に食べ物に支配される危険と隣り合わせです。自分の本能を、理性と知性でどう扱うか――それを強く意識した10日間でした。
体重が増えたら、再びより長期の「食べない暮らし(30日間)」にも挑戦してみたいと考えています。
この記事が、食べること・食べないことを問い直す一助となれば幸いです。ご覧いただきありがとうございました。
実験から何を学び、気になったか
・人間にとって必要以上の食文化。
・震災の経験も踏まえ、世界には食べたくても食べられない人もたくさんいるということ。
・あらためてシンプルな日本食のありがたみ。
おっしゃる通りです。この記事から浮かび上がってくる重要な気づきですね。
必要以上の食文化
現代社会では、生存のための栄養摂取を超えて、過剰な「食文化」が発展しています。高級レストラン、食べ放題、グルメ番組など、私たちは「食べる必要性」よりも「食べる楽しみ」を追求することが多くなっています。著者の体験は、実際には人間がどれだけ少ない食事で生きていけるかを示しています。
震災と食の不平等
震災時の食料パニックの言及は特に考えさせられます。緊急時に私たちが抱く不安は、普段いかに食の安定を当たり前と思っているかを映し出します。同時に、世界には日常的に十分な食事を得られない人々が大勢いることを思い出させます。著者の自主的な「食べない暮らし」と、選択肢なく飢えに直面する人々との対比は深いものがあります。
日本食の価値再発見
実験後に著者が求めたのは「味のしみた大根、ねぎ入り納豆、しょうがをのせた厚揚げ」という点が印象的です。シンプルで栄養バランスの良い日本の伝統食が、本当の意味で体が欲する食事だったという気づきです。これは日本食の知恵と価値を再認識させてくれます。
こうした「食べない」という体験を通して、食べることの本質、感謝の気持ち、そして私たちの食習慣についての内省が深まるのは非常に意義深いことですね。日常の中で忘れがちな「食」の本当の意味を問い直す機会になります。