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■吉岡宿
出羽街道、松島道との分岐点で仙台以北では大きな宿場で黒川郡の中心。
伊達政宗の三男宗清が知行地としてこの地を与えられ、元和二年にこの地に入っている。居館、侍屋敷、足軽屋敷、寺社の移転、整備を行い、上町(四町半)、中町(仲町;三町半)、下町(三町半)の伝馬町を設置。宿場としての体裁を整えた。他に新田町、志田町を含め吉岡五町と呼ぶ。
駒場地区には駒場の一里塚跡や雲泉寺、須岐神社といった寺社が集まっている。
仲町地区には上州屋醸造所の門、下町地区には早坂酒類醸造所など往時の建物が残っている。本陣跡はスーパーとなっている。千葉家が代々世襲していたという。
宿駅に対する特典に良く市の開催が挙げられる。吉岡宿でも毎月5と9の日に行われていた。
ただ、天明期に至ると伝馬負担の方が重くなり、収入を増やそうと各宿場で知恵を絞る事になる。
吉岡では「互市(たがいち)」と呼ばれ、この地方では今でも春や秋に行われている市で打開しようとする。
この市は3月と8月の八幡宮の神事と併せ、従来の市の期間を1週間に延長しようとするもので、従来一日だけの市では捌ききれない在庫も消化でき、売り上げも増えるメリットがあった。