【写真】奥州道中 [2410]
なかたいちりづかあと
現況;残っていない
案内板;なし
北緯 東経 AL m
0910
【写真】奥州道中 [2410]
天満宮の北、中田6丁目との間に塚があったという。コンビニがある付近に目星を付けたが、塚の痕跡は無い。
増田と中田の境位の場所。現在では仙台市と名取市の境。
【写真】天満宮 [2410]
県道273号線仙台名取線の少し西側、住宅地内に天満宮は所在する。
石碑などが置かれているが、説明板によると昭和の初めに部落内の社を集めて再建したもので、直接的には奥州道中とは関係がない。
【写真】天満宮 [2410]
【写真】天満宮 [2410]
【写真】奥州道中 [2410]
中田6丁目付近から県道273号線を北上する。JR太子堂駅付近まで基本的に直線道路で、低層のアパート、住宅が立地する。
名取川を越えた太子堂から北は急に都市化するが、この付近はJR西側の旧道が残っている。
この区間、JR駅が3つあり、長町は市営地下鉄も乗り入れる。
なお、JR長町駅の北側が長町一里塚跡となる。
【写真】奥州道中 [2410]
【写真】JR南仙台駅 [2410]
【写真】奥州道中 [2410]
【写真】JR太子堂駅 [2410]
【写真】JR長町駅付近 [2412]
JR長町駅は東北本線、常磐線、仙台空港線も停車し、仙台市営地下鉄駅に接続する上、平地であることから人気の地域となっている。
多少長町駅から離れていて最寄りは長町南駅となるが、太白区役所やザ・モール長町、ララガーデン長町も徒歩圏内。駅東側はIKEA仙台やヤマダデンキの大型店がある。
利便性が高いため、既に戸建て住宅地というより高層マンション主体の街並み。
【写真】仙台市営地下鉄長町駅 [2412]
【写真】JR長町駅とあすと長町 [2412]
【写真】JR長町駅 [2412]
【写真】JR長町駅 [2412]
【写真】JR長町駅 [2412]
【写真】JR長町駅 [2412]
多賀城の他にも青森県の東北町にも「日本(ひのもと)中央の碑」があり、こちらを「壺の碑;つぼのいしぶみ」とする説もある。
その前に、多賀城碑の真贋論争が江戸末期から明治に掛けて盛んに行われた事に触れておきたい。これが本物の「壺の碑」では無く、歌枕を領内に増やす意図を持って伊達藩により作成されたものではないか、という疑惑である。
ただし、昭和の多賀城発掘調査により碑文と合致する改修跡が発見され、現在は真作とされる。この成果により平成10年国の重要文化財に指定されている。
つまり、多賀城碑が奈良時代から存在していたのは間違いないが、これが「壺の碑」かは分からないということである。青森の方の碑は「壺」に通じる都母(つも)と言う地名や千曳神社により伝承の周辺が補強されている。もっとも肝心の碑が千人で曳くほど大きくは無いなどこちらも本物とするには証拠が弱い感がある。
ちなみに青森県八戸市の八戸市立博物館には何故か多賀城碑の拓本が展示されている。なお、本物は多賀城南門近くの覆堂内に設置されている。
また、令和6年8月27日に国宝(古文書)に指定されている(2412追加)。
【写真】現在の海岸線 [2408]
2011年3月11日。東日本を襲った津波は東北地方沿岸部に壊滅的影響を与えた。
奥州道中では宮城平野が被災地に近いところを通っている。
ところが、この街道、津波被害をちょうどよけており、過去の津波の経験から浸水域を避けて街道や宿場を設置したのではないか、とも言われている。
その、過去の津波のひとつが貞観地震。東日本大震災との類似点から注目を集めている。
【写真】現在の海岸線 [2408]
貞観地震(じょうがんじしん)は、貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日、グレゴリオ暦換算7月13日)に陸奥国東方の海底を震源として発生した巨大地震である。地震の規模は少なくともM8.3以上であったと推定されている。現在の地名では、東北地方の東の三陸沖と呼ばれる海域にある太平洋の海底が震源とされ、地震に伴う津波の被害も甚大であったことが知られている。約数十 - 百年ごとに起こる三陸沖地震に含まれるという考えから貞観三陸地震、上述の津波被害の観点から貞観津波ともいわれる。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)との類似点が指摘されている。
記録通り約1000年前に仙台平野に津波が溯上した痕跡があるが、この痕跡はこの地震以外にも複数存在することが分かっている。東北大学大学院工学研究科附属 災害制御研究センターらの研究では、仙台平野に過去3000年間に3回の津波が溯上した証拠が堆積物の年代調査から得られ、間隔は800年から1100年と推定されている。また、9m程度の津波が、7~8分間隔で繰り返し襲来していたと考えられる[4]。津波堆積物調査から岩手県沖(三陸沖) - 福島県沖、または茨城県沖まで震源域が及んだ連動型超巨大地震の可能性が指摘されている。
この地震に於いて、津波の最侵部は仙台市宮城野区霞の目にまで達したが、その後、霞の目に「浪分神社」という神社が建立された。後日、東日本大震災に於いて、仙台平野に於ける津波最深部は、まさしくその神社の前だった。
他の自然災害との関連 [編集]この地震の5年前の貞観6年(864年)に富士山の青木ヶ原樹海の溶岩流を噴出した貞観大噴火が起きている
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