33年ネット諸兄姉どの(2024.06.28)
日本文化の雑種性とその行方
上山春平は(1998.5.15 岩波書店 日本の思想ー土着とその欧化の系譜ーp4)で「日本という国は、人類文明の谷底のようなところで、あらゆる文明がここに流れこんで<るが、ここからなにか独自な文明がよそに流れだしたということをきかない。……一般に は、 ギリシア文明とかインド文明といった由緒ある 積極的 凸型文化が礼讃され、それらの文明によってはぐくまれた古典が尊重される。 日本はそのような文明をもたないし、その ような古典をもたない。そして、ただひたすらにそれらを渇仰し、それらを受け入れてきた。(彼は)こうした 凹型文化の 行き方を徹底することによって、 日本が人類文明の溶鉱炉となり、 すでに熟した人類共同体形成の推進力となることを期待している」と云っている。しかし、本当に日本が人類文明の溶鉱炉になったか。本当に溶鉱炉でなら、鉄になっている筈である。
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まず、飯塚浩二「日本の精神的風土」(S27年1952年、岩波新書S40年1965年第18版)で書く「旧ドイツ帝国 の軍人であり , 日本通を以って任じたカール ・ハウスホーファーのごとき、その顕著な例といえる。1930年の著作「 日本」の緒論は、軍國時代の 日本人の眼にはまさしく「 親日外人」と映じたにちがいない彼の面目を、あますところなく伝えている。曰く「日本帝国の国家構造がドイツのそれとほぼ同時代に内部的輪郭をあたえられ、ドイツと 同じように政教一致の君主政体にはじまり、やがて 封建政治から議会政治へと発展してさたにもかかわらず、ひとり 日本のみが、いまなお厳然として存在しているのは何故であるか。日本の封建制度は中部ヨ-ロッパのそれとほとんど同じくらい古い 歴史をもっているにかかわらず、より整然と分化された新たなる国家体制へと見事に解消吸収されたばかりか、それ 自身のかずかずの優れた価値すら体制へ伝えることができたのに、中部ヨ-ロッパ 封建制度のばあいにそういかなかったのはなぜであるか?(と問う)。
ミリタリストが上下の秩序がはっきりして下々はお上の命令に唯々諾々、理非曲直理の判断も一切お上にまかせて、 自からは 甘んじての犬馬の労をとるという、 封建的イデオロギーの 「かずかずの美德」に御執心のことは、どこの國でも おなじことである。ハウスホーファ -は「近代化」 日本に(佐々木能理男氏の訳文による )(日本では)封建的な忠誠心をもつ大衆が羨ましいましいほど旧態を存しているのに、ドイツが、西ヨーロッパ諸国なみに全面的に近代化の途をたどりつつあることが、彼のいうミリタリズムの美徳を危うからしめるものとして、何としても心外であり、彼の深慮にたえぬところでもあったのである。
(注,市畑)『カール・エルンスト・ハウスホーファー(Karl Ernst Haushofer、1869年8月27日 - 1946年3月13日)は、ドイツの陸軍軍人、地理学者、地政学者。ミュンヘン大学教授。最終階級は陸軍少将。旧バイエルン王国出身。ランドパワー(陸上権力)を重視するドイツ地政学の祖。日本との関係が深い人物である。』
(引き続き飯塚浩二はいう)だが、これは西洋の人々のうちでは珍らしい方である。バートランド ・ラッセルは、その著「中国の問題」 (1922年 )の中に「現代の日本」」と題する一章を收めているが、それは『現代の日本国民は、今の時代においてだけでなしに、世界の歴史においてユニーク(古今東西に比類をみぬ、つまり万邦無比のーー引用者注)なのである。それは大抵のヨーロッパ人が全く両立,しないと考えたろうと思われる諸要素を結合させているということばではじまり 、日本文明の『最大の時代錯誤的特色』だの、『 成し遂げられた東洋と西洋との綜合は、最も風変り』で、本物とは思えないだのと、香ばしくばしくない批評ばかり並べている。
(注、市畑)『バートランド ・ラッセル第3代ラッセル伯爵バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(英: Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell, OM, FRS、1872年5月18日 - 1970年2月2日)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家である。1955年7月9日、「ラッセル=アインシュタイン宣言」(核兵器反対)で知られる。』
(引き続き飯塚浩二は書く);アメリカの異色ある経済学者として知られた彼のソールスタイン ・ウェブレンにいたっては「西洋から借りた工業化とその心理的適応が前面に現れるまでの時間的間隔(インタバル)をーーーこの時間的なズレを利用し得る間が日本のしばし得意でいられる時期なのだという意味であろう、日本の『オボチュニティー』 ( Opportunity )と名づけていたという。
(注、市畑)『ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen[1]、1857年7月30日 - 1929年8月3日)は、19世紀・20世紀初頭期のアメリカの経済学者・社会学者である。ヴェブレンの、自分が生きた時代への批判は、マルクスとは異なった視点からの現代産業社会への分析となっている。1899年の最初の著作『有閑階級の理論(The Theory of the Leisure Class)』では、いわゆる「黄金時代」(Gilded Age)の富豪たちの生活様式が人類学の言葉で説明され、彼らの邸宅・贅沢な調度品とパーティー・豪華な衣装は、野蛮人たちのポトラッチ・羽根飾り・狩猟・祭祀と同列に見なされている。ヴェブレンの超然とした記述は、客観的で抑制されているだけ、皮肉を鋭く感じさせる』(ポトラッチ;北太平洋沿岸の北米先住民にみられる贈答の儀式。地位や財力を誇示するために,ある者が気前のよさを最大限に発揮して高価な贈り物をすると,贈られた者はさらにそれを上回る贈り物で返礼し互いに応酬を繰り返す。)
飯塚浩二はいう;ノーマンの「 日本における近代 国家の成立」 (1940年 )が書かれるより20年以上も前だというから、ラッセルのと大体同じく第一次世界大戦 後のことであろうが、さすがに、痛いいところを衝いている。因み、ハーバート・ノーマンは同書で明治の指導者は工業技術、銀行制度、軍事組織、教育制度については西洋に負う ところだ多かったけれども、その時代が封建時代をへだたること極めて近く、とりわけ、右に簡単に触れたし、のちに、本論でも詳しく論究するように、封建支配階級と商人階級とが広汎な妥協ために、旧制度の烙印が特に精神の領域に、深くきざまれている。封建的忠誠の理想、家父長制、婦人に対する態度、武勇の称賛——などが日本において熱帶の落日ともいう華々しいしい輝きを見せているている。このような比喩を用いるのは、往々にある国民に固有の抜きがたい精神的ないし文化的な色どりどりと思われるものにも実は歴史的な消長が存する、と言いたいためである。日本では新しい生活樣式が採り入れられ、それが文化的ならびに心理的に十分成熟した表現をもつまでに相当ながい時問がかかっているのである。日本の進歩がこのように停滞しているかぎり、大工業中心地の空が煤煙で暗くおおわれているかと思えば、その半面、 田園や村落にはいわゆるー日本古来の愛国心や情緒の糧としているような人びとが幾千万と住んでいるという奇妙な光景をわれわれは見るわけである。だが、この古来の 精神なるものも決して先天的に 与えられた.られたのではない。日本の「近代化」がようやく二世代たったばかりで、まだまだ普遍化していないために、数世紀にわたる思想上の訓練や伝統や慣習が拭いさられずに残っているところからきている。しかし善かれ悪しかれ、新日本の工業文明が芽を出し成長し新しい枝を伸ばし深い根を張るにつれて、中世日本の家父長制的なそしてしばしば温和でもある伝統が残存 する余地は、ほとんどなくなっていくであろう。(p29 日本における近代国家の成立、大窪愿二 編訳 岩波書店、1989.3)
丸山眞男は、その著「日本の思想」(岩波新書1961)で「ここでもう一度、この小論の出発点をふりかえって(まとめて)見よう。私達の伝統的宗教がいず れも、新たな時代に流入したイデオロギ—に思想的に 対決し、その対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果しえず、そのために新思想はつぎつぎと無秩序に埋積され、近代日本人の精神的雑居性がいよいよ甚だしくなった。 日本の近代天皇制はまさに権力の核心を同時に精神的「機軸」としてこの事態に対処しようとしたが、國体が雑居性の「伝統」自体を自らの実体としたために、それは私達の思想を実質的に整序する原理としてではなく、むしろ、否定的な 同質化 (異端の排除 )作用の面でだけ強力に働き、人格的主ー自由な認識主体の意味でもーの確立にとって決定的な桎梏となる運命をはじめから内包していた。戦後の変革はこのエセ精神的基軸 を一挙に 転落させた。ここに日本人の精神状況に本来内在していた雑居的無秩序性は、第二の「 開国」によってほとんど極限にまであらわになったように見える。思想界の混迷という言葉は明治以来、支配層や道学的保守主義者の合言葉であった。しかし思想が現実との自由な往復交通をする条件は戦前には著しく阻まれていたことを思えば、今にして私達ははじめて本当の思想的混迷を迎えたわけである。そこから何がでてくるかは何とも分らない。ただ 確実にいえるのはもはやこの地点から引きかえすことはでさないし、また引さかえす必要もないということである。
「加藤周一著「雑種文化 : 日本の小さな希望」(1974年、講談社文庫)によれば、日本の文化の問題は、文化が雑種的であるという現実を認めることにはじまり、その事実を積極的な意味を見つけることに終わる。しかし民主主義にについては、何がおこったかをもう少しはっきりさせておかなばならない。別の言葉で云うと、人権宣言にいうような意味での人間的自覚が、大衆の間にどこまで入ったかということである。第二次世界戦争の一番大きな結果の一つは,いうまでもなくアジア・アフリカの旧植民地(または半植民地)国民の国家主義的な自覚と、それに伴う独立運動の拡がりである。問題は二つある。」第一は、いわゆる後進国が西洋の技術文明を消化することができるという問題である。できるということは日本が証明した。中国・インドは今それをやろうとしている。第二は、西洋で人権宣言を生み出したような自由と平等の自覚が、西洋とは歴史的背景のちがうアジアに、自発的におこるかということである。(著者註)日本の文化が雑種的であることから、今の日本の文化の枝葉に西洋の影響ということではなく、いまの日本の文化の根源が抜き差しならぬ形で伝来的文化と外来文化がと双方が養われているということである。では、雑種文化に対する、純粋文化とは何を意味するか、これはキリスト教文化の上に咲いたヒューマニズムであるという。
「加藤周一は さらに「日本人とは何か」(1976年講談社文庫)で「日本文化を本質的に 雑種文化と規定し、これを国粋的にあるいは西洋的に純粋化しようという過去の試みがいずれも失敗したことを説いて、むしろ雑種性から 積極的な意味をひきだすよう提言されている。 (丸山眞男は、)傾聴すべき意見であり、大方の 趣旨は賛成であるが、こと思想に関しては若干の補いを要するようである。第一に、雑居性を悪い意味で「積極的」に肯定した東西融合論あるいは弁証法的統一論の伝統もあり、それにもう沢山だということ、第二に、私がこの文でしばしば精神的雑居 'という表現を用いたように、問題はむしろ異質的な思想が本当に「交」わらずにただ空間的に同時存在している点にある。 多様な思想が内面的に交わるならばそこから文字通り雑種という新たな個性が生まれることも期待でさるが。彼の第一論は、東西融合論は、井上哲次郎(東洋大学創立者)の「東西文化の融合」論を指す。後者は京都学派、西田幾多郎「善の研究」をさすのか?
しかし、わたし(イチハタ)は、思考の中や空間的に 同時に存在することは、よって来る源泉や底流、現実の役割(関係性)を検討し、認識することが、もっとも大事なことだと思っている。現実には「多様な思想が内面的に交わる」のではなく、一つが膨張して全土を覆い、日本を破滅に追いやったものとして明治の天皇制である。(一つのイデオロギーの結果は悲惨な結果でしかない。)
最後になるが、海老坂武(なんと、わたしと同じ1934年生まれ、小山台高校、東大仏文科卒、1966年から一橋大学、教授)は云う;
第一。日本文化の雑種性に積極的な意味を求めるとは、日本における近代化のゆがみ、ひずみ論、近代化=西洋化の図式から脱すること、そうすることによって、雑種性こそ日本的なものであるとしてこれを積極的に引き受けることである。ただしそれは、近代化から西洋化を差し引いて 残りの部分を独白性とする引き算ではありえない。問題はあくまでも雑種性である以上、西洋化をにもかかわらず西洋化に還元されえない独自の発展の相を日本の近代化のうちから掘り出してこなければならない。そうすることによって初めて現在の位置測定が可能となり、あらためて西洋から何を学ぶかと問いうる場が設定されることになるだろう •••••(まさに、裏金問題である。簡単に言えば票をカネで買うという行為である。)
第二。日本文化の雑種性に積極的な意味を求めようとするなら、明治以後の近代化のうちから西洋化に還元されない独自の相を引き出してくるというだけでは十分ではない。明治以前の歴史にさかのぼって、従来 <日本的なもの >とされてさたものが果して日本文化の全体を代表しているかどうかを吟味し、 <日本的なもの >という概念自体を <雑種的なもの >として建て直すことが必要である。この吟味 ー再建をとおして、本来断絶をするはずのない文化的伝統の今日における姿が明らかにされるだろう。そこからあらためて、雑種的に <日本的なもの >が普遍的なものへとどう通じ精神的開国への展望も得られるであろう。要するにそれは、日本人としてのわれわれがどうするかの根拠を見きわめる作業となるであろう・・・丸山眞男は「日本の思想」でいう「周知のように、宣長は日本の儒佛以前の「固有信仰」の思考と感覚を学問的に復元しよとしたのであるが、もともとそこでは、人格神の形にせよ,理とか形相とか言った非人格神な形にせよ、究極の絶対者というものが存在しない。和辻 哲郎が分析していろように、祭る日本神話においては祭られる神は同時に祭る神であるという性格をどこまで 遡っても具えており、祭祀の究極の対象は漂々として時空のの彼方に見失われる。この「信仰」にはあらゆる普遍宗教に共通する開祖も経典も存在しない。したがって「神道」というものは昔はなかったという徂徠の言に宣長はそのまま承認し(「鈴屋答問録」)、むしろそこに居直ってあらゆるイデオロギー教義の拒否を導きだしたわけである。「神道 」は、いわば縦にのっへらぽうにのびた布筒のように,その時代時代の有力な宗教と「習合してその教義内容を埋めてきた。この 神道の「無限抱擁」性と思想的雑居性が、さきにのべた 日本の思想的「伝統」を集約的に表現していることはいうまでもなかろう。この 神道の「無限抱擁」性と思想的雑居性が、さきにのべた 日本の思想的「伝統」を集約的に表現していることはいうまでもなかろう。絶対者がなく独自な仕方で 世界を倫理的規範的に整序する「道」が形成されなかったからこそ、それは 外来イデオロギーの感染に対して無装備だったのであり、国学で試みた「布筒 」の中味を 清掃する作業—漢意(カラゴロモ)、仏意(ホトケゴコロ)の 排除—はこの分ちがたい 両契機のうちの前者 (すなわち一「道」のないこと )を称揚して後者(すなわち思想的感染性)を慨嘆するという矛盾に必然的に当面せざるをえない。 (これはまたその後あらゆる国枠主義者が直面したデイレンマでもあった。 ) 直接的感覚にピッタリ寄りそい、いかなる抽象化 をも拒否し た宣長の方法は社会的= 政治的な面では逆に「儒を以て治めざれば治まりがたさことあらほ、儒を以て治むべし。仏にあらでほかなはぬことあらば、仏を以て治むべし。是皆其時の神道なればなり」 (「鈴屋答問録」 )という機会主義をもたらし、これに対して「神道」の |世界像の再構成をこころみた篤胤においては、「道」が規範化された代償としてふたたび儒仏はもとよりキリスト教までも「抱擁」した汎日本主義として現われた。
海老原武は云う;日本人、日本の文化性は何か。なにが普遍性か。分類がなされ、説明がなさる。日本人論の大流行である、「美しい日本の私」にうっとり眺めいって、そのようなナルシス的な鏡をどうやってたたきつぶすか、それが、日本人のアイデンティのことを考えるときの、 私の先決問題だった。言語と文化遺産と 、パスポートという防禦装置に申し分なく保証されているところでぬくぬく育てられてきたアイデンティなどはいかにひよわな花であるか、したがっていったん外部の風にひとなめされるといか にたやすく自閉的なナショナリズムに傾いていくか、また他民族から投げられる 視線(たとえば、黄春明の 傑作「さよなら 再見」(1974年、日本人の買春旅行)をあげておこおう )から目を覆ったところで 抱きしめられているアイデンティはいかなるひとりよがりにのるか、こうしたことを事あるごとに痛感していたからである。そして、第三世界の文学や 思想の移植が意味があるとすれば、それは、異なるものとしての他者 ー他文化を異なるものとして理解 することによって、夜郎自大(自分の力を知らず威張る)の ナショナリズムを私たちの内部で根絶やしにすることにある、というささやかな使命感だった。 この破壊の作業は続けられなけれならない。さらに「雑種文化のアイデンティティ」(鶴見俊輔を読む)のあとがき(1986.1)にてアイデンティティという言葉については一言だけ記している・・・この本の中で私は主としてマルチニック人の運動についてこの言葉を用いたわけだが、視野を広げて言うなら、いま地球上の多くの地点でアイデンティティについての問いが噴出している。 個人としても、今世紀ほど人間が大量に広範囲に移勒 (亡命、迫放、強制連行、移民労働、した時代がかってなかったことを考えるなら、また一社会内部で、今世紀ほど自分と他人、体との結びつき (職業、階層、性役割 )が変動にさらされた時代もかってなかったことを考えるならエリクソンに依拠するまでもなく、これは容易に理解されうる現象だ。アイデンティティの雑種化を、帰属でなく脱帰属を、源泉回帰でなく多様な可能性への飛躍を。私の考える解「マルチニックで思う」の中で示唆したとおりだ。同じことは、今後ますます重大な問題 であろう性的アイデンティティについても言いうると考えている。
(市畑注)海老坂武著「マルチニック島で思う」(この島の出身、第三世界の解放の理論家、生まれ故郷で無視と偏見にさらされた。「フランツ・フアノンの復権」という本を書いている。この島の歴史は、まさしく人間のアイデンティティ抹殺の歴史である。(フランツ・オマー・ファノン (Frantz Omar Fanon、1925年7月20日 - 1961年12月6日) は、植民地主義を批判し、アルジェリア独立運動で指導的役割を果たした思想家・精神科医・革命家。websiteより)
(市畑注)エリク・ホーンブルガー・エリクソン(英語: Erik Homburger Erikson, 1902年6月15日 - 1994年5月12日)は、アメリカ合衆国の発達心理学者で、精神分析家「アイデンティティ」の概念、エリクソンの心理社会的発達理論を提唱し、米国で最も影響力のあった精神分析家の一人とされる。
★日本文化の雑種性の行へ
日本文化の雑種性は、その雑種性から、森谷正規(もりたに まさのり、1935年7月10日 - )は、東大工学部卒 日本の経済・技術評論家。放送大学名誉教授。専攻は現代技術論) に言わせると 、日本はなんだかコロコロ変わる。コロコロ変わるほうが技術で成功する。まさにこの 転換能力の凄さが高度成長を支えたと思うんですね。最近のエレクトロ二クスでもそうですよ。アメリカのシリゴンバレ ーと 日本の九州のシリコンアイランド、名前は似てますが、この意味合いはぜんぜん違う。シリコンバレーはカリフォルニアにある大学とペンチャ—ビジネスが結びついている。しかし九州のシリコンアイランドでは、これまでハイテクとは無縁だった地場の小さな企業が 最先端の I C産業の下請けをやっている。日本人には本来、そんな凄い転換能力が遺伝子に組み込まれているんでしようか (笑 ) 。伊東光晴 (1927年9月11日 - 、1951年、一橋大学卒、一橋の杉本栄一ゼミや都留重人ゼミで学び、杉本の影響の下、近代経済学、マルクス主義を介した理論経済学の研究に従事する。一橋新聞部にも関与する、日本の経済学者)は、その九州が作った 1 Cを、最近は東北に持っていって、いろんな 製品が生まれている。こちらの転換がまた凄くて、いまは毎年、東北の工場の前線が北上しているのです。東北は工業地域にならないと思われていたのが、なっている。(1996.3講談社文庫 日本史の七つの謎七章、高度成長はなぜ可能だったかーーより)
(いま、さらに北上して北海道まで達している。Rapidus(ラピダス)の成功を祈りたい)
イチハタ