友人知己数人にまとめて出した近況報告ですが国立の近況もあるのでほぼそのままお送りします。
加齢といえば聞こえがいいけれど老化という方が現実に近い。身体髪膚すべてにまんべんなく衰えが現れ、加えて寒暖がこたえるので夏冬の外出は願い下げにしている。
ようやく春も酣となり老人も少し息を吹き返した。もっとも仕事のある若い人も温暖化の影響をモロに受けるしコロナも人を差別しないから彼らにも同情しなければならない。
ウクライナの情勢からは目が離せませんが砲弾がどれだけ落とされたか、人が何人殺されたかという段階になるともうついていけなくなる。後は何とか終ってくれるのを待つしかない。アメリカのイラク侵攻の時も同様だった。
本棚を整理してイギリスの歴史家(AJP Taylor)の手になる『第二次世界大戦』を見つけて読むと目下の戦争に符丁の会うことが多いのに驚きます。勝てば官軍でソ連はファシズムに打ち勝った「民主々義勢力」に入っていますがソ連はドイツが独ソ不可侵条約を破って自国に攻め入るまで(1941年6月22日)友好国であるドイツに武器、食料、石油をふんだんに供給しています。イギリス軍はバクーの製油所を空爆すことも考えていました。ドイツに攻め込まれるとスターリンは英米に対して西部に第二戦線を開くよう懇願し続けますがノルマンディ上陸作戦(1944年6月6日)までアメリカはもっぱら武器や食糧の供給(←武器貸与法)に徹しています。その間ドイツ陸軍の攻撃をまともに受けて連合軍最大の犠牲を払い、最後に反転してドイツに侵攻、各地の独軍を降伏させたのはソ連軍でした。ルーズベルトはソ連に甘かったと非難されますがポツダム会談のころ現地に連戦錬磨の大軍隊を擁していたのはソ連だったから譲歩しなければならない事情もあった。調べればきりがないけれど戦争ではいつになっても同じようなことがくり返されている。日本はアメリカの経済制裁(sanction)に耐え切れずパール・ハーバーへと空母艦隊を出撃させたのであった。
さて老化現象に戻りますがそれに抵抗するには何よりも散歩が第一というのが私の結論です。全身運動と言われる水泳も続けていますが、腹が減り、快眠を得るには歩くのが一番のようです。あれこれ散歩道を探していますが最近になって広大な「昭和記念公園」を散策するのが最適だと気が付きました。とにかく広大で際限なく歩くことができる。
最後に戦争を離れた平和な写真を数葉添付しますが、1週間ほど前に写した公園内のチューリップ園の写真も1枚加えてあります。
大島昌二
1)セルリアンタワー能楽堂で狂言「月見座頭」を見る機会があり久しぶりで渋谷へ行ってきました。駅前はいまだに大工事現場さながらで40階建ての建物も探しながら行くようです。能楽堂は地下2階にありますがとりあえず最上層の40階へ上がって東京の夕景を俯瞰しました。正面の山影は丹沢山地、目の良い人にはその背後に富士の影も見えます。
2)国立市は商店街が主導する保守と学園都市としてのリベラルが両立している町ですが現在の市長は保守系。商店は後継者難の上に大型店舗にやられてこのところ元気がありません。その町が短時日でしたが「表現の不自由展」の市民ホールでの開催を認めて話題になりました。しりあがり寿という漫画家が「美術館は創造の多様性を尊重すべきでサファリ自然公園のようなものだ」という趣旨を述べていました。2年前の4月のことで標題では「アートはサファリ」と言い切っています。私はこの譬えに大いに感心して論争はこれで終りと思ったのですが話題にする人はいませんでした。
全文を添付したので読んでみてください。
3)イギリスの婦人に家に庭はありますかと聞かれたのでわが家には猫の額のような庭がありますと答えたことがありました。相手は自分の額に手を当てて「へぇ、猫の額は確かに狭いですね」と応じてからイギリスでは“pocket handkerchief” のように小さいと言うと教えてくれました。それ以来私は猫額庭をときどき手巾庭と呼ぶことにしましたが手巾庭にはツツジ塀があります。ちょうど咲き始めたので写真に撮ってみました。
5)最後に昭和記念公園のチューリップの写真。たくさんある中から賑やかなのを1枚。