P大島昌二:安田純平氏講演会(追録) 2019.10.18

P大島昌二:安田純平氏講演会 2019.10.13

P戸松孝夫:「P大島昌二:安田純平氏講演会」を読んで 2019.10.16

安田純平氏講演会(追録

安田純平氏の講演を企画された新三木会の代表への礼状の冒頭に「私は事実を伝えるべき報道機関がそれぞれ腹に一物を持った政府や仲介者の策略に翻弄されるさまが伝わってたいへん教えられました」と書いている。それはお礼を申し述べるにあたって最初に浮かんだ感想である。一言で感想を述べよと言われれば今でも私は同じことを言うと思う。得てして最初に頭に浮かんだことが最も適切な感想であるがこれもその一例である。

イラクから帰った安田氏との座談について33pcネットに送ったレポートは当時の様子を再現するのに好適な資料だと思ったのだがどこかへ行ってしまったことも書いた。ところがその代りにネット上の別の交信を見つけることができた。下に再録した「人質たちの味方は?」と題する2004年4月の2回にわたるメールである。

戸松さんは「安田純平氏は、外務省・マスコミの誤解、偏見に対する被害感, 口惜しさが相当鬱積しておるようで、『こうやって(弁明の)機会を与えて貰うのが最も有難いのです』という安田氏の言葉を伝えてきた。講演では(そしてYoutubeで見る記者会見でも)控え目にしか表現されなかった憤懣が当然至極のものであることは下記NYタイムズの伝える精神科医の診断からも容易に理解できる。

生還したジャーナリストたちに対する当時の日本社会の反応が異常なものであったことはNYタイムズの報道するコリン・パウエルのコメントに明らかである。私にはその異常さは今でもあまり変わったようには思えない。

ビアスの『悪魔の辞典』ふうに定義すれば「自己責任」とは、責任を取るべき人が責任を回避するために使う言葉である。安田氏に与えられるべきものは「弁明」の機会であってはならない。われわれが日ごろ望んでいる「われわれは日本政府がイラクで何をしているかを自分で確かめなければならない」と安田氏の言う如く、われわれの「知る権利」の行使である。

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偶然というよりは幸運によって私の2004年4月の33pcネットへの投稿が出てきました。幸運というのはこれらのメールは2006年になってから保存の意図をもってワードに移されていたからです。

この「人質たちの味方は?」と題するメモの前にもイラクで拘束された日本人の行動の是非について対立する意見の応酬が続いており、世論はこれを非とするものが優勢でした。(今でも基本的にその傾向は変わっていないと思います。)ここに改めてご紹介するのは当時の日本の論議に対するアメリカの有識者の見解と考えてよいでしょう。それはワシントン・ポストのコラムニスト、Richard Cohen の記事で、私はそれを読んで早速、わが意を得たりとばかりに要約したのでした。

「自己責任論」なるものはイラクの人質事件以来急速に浮上したものでわれわれの論議は「自己責任論」をテーマとするものではありませんでしたが、やはり世論と同様に、人質の行動を非難する傾向がまさっていたようです。私の手帳にはS君からの「4月11日の貴メールには本当に救われる気持ちがしました」、Y君からは「有難う」と言ってきたことが記録されています。そこで11日のメモを見ると「甘え」とか「自己責任」とかいう用語に対して私が腹を立てている様子がわかります。私のコメントが2度に分かれているのは、私には謬見と見えるものが引き続いていたので再論を試みたのでした。

閑話休題。コーエン氏のコメントを見ると、イラクの人質問題をめぐって急成長した日本の「自己責任論」はアメリカのパウエル国務長官にまで届いていたことがわかります。われわれの間の論争は激しいとは言い切れませんが論旨の衝突は激しいもので解放された同胞はその十字砲火を浴びたのでした。阿部謹也氏の世間論は個人とそれに対置する社会の間に「世間」というものが介在する日本の特殊性に注目したものであることが改めて理解される。以下には、読みづらいでしょうが、残されたメールの全文をそのまま転載しました。下線だけは今回加えました。

人質たちの味方は?

33pc-net 諸兄(April 28,2004)

「銃後日本の世論は日本社会の鏡、何を写して見せたのか。それを知りたい。」と前回書きました。

ここにはあるアメリカ人記者の目に映じた日本をご紹介します。

「平和ボケ」という言葉を好んで使う人たちも実は同じ病気を病んでいるのではないだろうか。イラクで一時人質として拘束された安田純平、渡辺修孝の2人は4月27日に外国特派員協会で記者会見をした。会見では「自己責任」のあり方を巡り海外の記者たちから「日本国内の批判的論調をどう思うか」などの質問が相次いだ。私の見た新聞の報じたのは小さな記事でこの質問に関する元人質たちの見解には何も触れていない。一時は嵐のように巻き起こった「自己責任」論議はすでに「どこ吹く風」、中空のどこかへ飛び去ったかのようである。「自己責任」とは日本的というよりは西欧からの輸入品に近い。論者たちは世界に通用する議論だと思っていたふしがある。外国人記者たちにはそれが不思議だった。日本の一大事もイラク戦争という背景の中では端役でしかなかった。

ところが同じ27日になってワシントン・ポスト紙のコラムニスト、リチャード・コーエンはNYタイムズで読んだこの人質事件の余波に注意を引かれた。コーエン氏はまずこの事件の説明から始めなければならない。(以下はその説明に続く要旨である。)

「(最初の)三人の人質が解放されて日本に帰った時、彼らを待ち構えていたものは『黄色いリボン』ではなく嘲笑と怒りであった。イラクではナイフが彼らの喉元に突きつけられた。日本では彼ら自身がナイフを自らの喉に向ける恐れがある。彼らがまだ拘束の状態にあるうちから、日本政府と新聞の中には『被害者を非難する』者たちがいた。

『何でぇ?』とあなたは聞くでしょう。理由は三つあるという。1)イラクでの日本の人道的支援を危機にさらした。2)政府の勧告に従わないでイラクへ行った。3)彼らの個人的な目標を政府の目標の上に置いた。

三人の人質がまだイラクにいるうちから、彼らの家族は嫌がらせの電話と政治家の誹謗に攻め立てられた。政府は一肌脱いで迎えの航空機を送り出したが、すぐさま請求書も送りつけた。アメリカ人なら『オズの魔法使い』のドロシーを思い出して『ここはカンサスじゃないわ』と言いたくなるところだ。

これはまるで違う文化なのだ。人々はわれわれと同じような服装をして、同じような会社で働いている。しかしそれは表向きの姿でしかない。コリン・パウエル(国務長官)は日本人に向かってつい口を滑らせてしまった。『このような市民を持っていることを(日本人は)誇りに思うべきだ。』

ブッシュ大統領はみずからも認めるようにほとんど新聞を読まない。すべてはご進講(briefing) まかせであまり質問もしないから、ご進講はその名のとおりきわめて短い(brief)もので終る。だからこの日本の挿話を耳にしたとは思えないが、聞いたとすれば『フーム』と意味深長なため息をついて見せたかもしれない。ソニーやホンダを持っている日本がこんなことなら、イラクは一体どうなんだろうか?ブッシュ自身に言わせれば、主要な点では彼らは俺たちと同じだということだ。」

このようにしてコーエン氏の議論はイラク問題に向かっていく。日本に関して言えば結びの言葉は次のようになっている。「ジョージ・ブッシュが自分で新聞を読まないのは困ったことだ。新聞には教訓がある。イラクの人質事件(の余波)が特異な日本文化を示すものだというのは教訓の一端にすぎない。ここからもう一つ読み取るべきはアメリカの一方的な思い込みということである(American assumptions)。」

コーエン氏の原文のリンクは washingtonpost.com 表題および筆者名は "The Cultural Divides of War , By Richard Cohen" です。私はこの筆者に短い感想を書いてメールしました。ご希望の方にはご披露いたします。

大島昌二

人質たちの味方は?(2)

33-PCネット諸兄(April 29,2004)

ワシントン・ポストのコーエン氏が日本人人質が母国で受けた処遇について知ったのはNYタイムズの記事(4月22日、ノリミツ・オニシ記者)によってであった。彼はコリン・パウエル国務相の発言を日本政府の数多の発言と対照的なものとして短く紹介していた。これは前回紹介したが、NYタイムズの原文はもう少し詳しい。パウエル氏は次のように発言したとされる。

"Well, everybody should understand the risk they are taking by going into dangerous areas. But if nobody was willing to take a risk, then we would never move forward. We would never move our world forward. And so I'm pleased that these Japanese citizens were willing to put themselves at risk for a greater good, for a better purpose. And the Japanese people should be very proud that they have citizens like this willing to do that."

コーエン氏の引用が正しくなされていることがこれでわかる。勘ぐっていえば、パウエル氏はこの発言でイラクにおけるアメリカの正義も併せて主張しているかもしれない。しかし彼の真意は疑えないだろう。「日本人は誇りに思うべきだ」という言葉が誰よりも日本人に向けて発せられていることも疑えない。日本の政府高官の発言も紹介されている。私は朝日、毎日、日経でそれらを読んだがここでは紹介しきれない。ただし、いずれは記録としてまとめておく価値があるかもしれない。

NYタイムズが報じているもう一つの点は人質たちの受けた心理的圧迫である。最初の3人を帰国後二度にわたって診断した精神科医の斉藤(さとる)博士は診断の結果を次のように述べている。― 現在、彼らを襲っているストレスはイラクで捕囚となっていた時に耐え忍んだストレスよりも「はるかに激しい("much heavier")状態にある。ストレスの高まった三つの時期を元人質たちは低い方から、(1)バグダッドへの途上で拘束された時、(2)ナイフを振り回された時、(3)帰国した翌朝、テレビで日本人が激怒していることを知った時、と述べている。今日彼のクリニックで博士は「ナイフ事件は約10分続きました。その時のストレスの程度を10とすれば、帰国して朝のニュース・ショウを見たときのストレスは12に相当するでしょう。」

つまりこの誘拐事件の被害者たち(日本という村社会"the village of Japan"では無責任で常識に欠ける人種である)は、人道的支援という旗印の下にイラクに兵(いや自衛隊員でした)を送った政府によって非人道的ないたぶりに遭わされている。これは彼らの乏しい常識では予想できないことであった。NYタイムズのオニシ記者はそこから日本の「タテ社会」と「お上」の権威の説明に入る。これは個人と社会を対置させて考える西欧からすれば理解に苦しむところである。コーエン記者はこのことに着目したのであり、パウエル氏もこれを知っていたならば、日本政府の為にもう少し口を慎んだことだろう。

イラクの拘束から解放されて帰還した第二陣の一人、安田純平氏はこう言う。「われわれは日本政府がイラクで何をしているかを自分で確かめなければならない。それは日本人の責務です。しかし日本人はすべてを政府にまかせっきりにしているようです。」日本のマスメディアは常に危険地域を避けて通る。「確かにほとんどすべての大手メディアのスタッフは先週、政府がチャーターした航空機でイラクを離れた。これで第二次大戦後最大の日本派遣軍の動向は基本的に報道の埒外に置かれることになった。(この疎開費用を誰が負担するかについては何も書いてない。)

「自己責任」の英語はいずれの記事でも "personal responsibility" となっている。これを再度日本語に直せば「個人(的)責任」だろうから近年、たとえば年金運用や預金保護で使われ始めた「自己責任」とは微妙に違う。(私はコーエン氏へのメイルで "jiko-sekinin"〈self-help〉 と書いたがそれにも異論があることだろう。)それはさておき、私の旅券にはこう書いてある。「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」(古きよき時代には大臣の署名も入っていた。)「関係の諸官」は英語でも"those whom it may concern"と書いてあるが曖昧で誰のことかよく分からない。敬語を使っているところを見ると外国の役人を意識しているらしいが、おそらく第一義的には日本の外務省の役人だろう。私はあてにしたことがないから聞いたこともない。ただこれからは妙な期待を抱かせないように、「日本国民である本旅券の所持人は自己責任で旅行するものであることを証明する」とでも書き直してほしい。関係のなくなった諸官も枕を高くして眠れることだろう。

私の理解するところでは伝統的な日本は連座制、村八分、お家断絶の社会であった。"Self-help"にしても中村正直の翻訳や福沢諭吉の著作によって日本で広められたように記憶している。碩学阿部謹也氏は、日本で「個人」という言葉が生れたのは明治17年のことで、 "individual" という英語の訳語としてであったと繰りかえし述べておられる。そしてさらに「...わが国の個人は西欧のインディヴィデュアルとは決定的に異なっている。その違いはまず個人と社会との関係の違いに示されている。」と続けている。言葉はなくとも実体が存在する場合はありうる。しかし社会的存在としての「個人」についてそれは無理だろう。個人のないところにどんな「自己責任」があるだろうか。第二次大戦で日本国民は死地へ送り出され、銃後の国民は戦火の下を逃げまどった。しかし戦争が終わってみればその責任がどこにあったかは曖昧模糊としている。あえて言うならば「一億総懺悔」というのが国民の心性に一番近かったのではないだろうか。

オニシ記者の見るところでは元人質たちは「お上」の筋書き通りの人生を拒否する若者たちである。何かしらを求めてマンハッタンのイースト・ビレッジにたむろする日本人も同じ源流に発する別の流れであるという。彼らはどのようにして生れたか。彼らを理解することを拒否するのは古い世代の特権というべきかもしれない。

[追記] 1)上に引用した阿部謹也氏の文は『学問と「世間」』(岩波新書、2001年)からです。イラク人質事件を背景にして同書に目を通すと日本社会の非現実性が今さらのように実感されます。

2)あまり広く新聞に目を通していませんが、日本の新聞の中では日経新聞、4月25日の「狭量が文明を滅ぼすー広がる自己責任論の危うさ」(論説委員、塩谷喜雄)

が注目すべき記事だと思いました。