Q森正之:『世界の百人展』2024.5.1  Home



Q森正之:『世界の百人展』2024.5.1


 月刊「潮」5月号の記事(1981年10月 のできごと)です。お時間があったらご一覧ください。

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小手川正ニは私立大分高校で英語を教えていた。28歳だった。

「昭和56(1981)年の秋、高校の文化祭で『世界の百人展』という企画がありました。生徒たちが選んだ“世界を動かす100人"に『あなたの信条は何ですか』と質問してメッセージをもらおう、というものです。 返事が来たのは、インドのインディラ・ガンジー、元総理大臣の三木武夫……たしかビートルズのポール・マッカートニーもいました」

 生徒の一人が 池田大作の名を挙げた。

「びっくりしたし、うれしかったですね。もっとびっくりしたのは、池田先生ら直筆の原稿が届いたことです。百人展の様子はテレビや新聞でも報道されました」

 池田から届いたのは、万年筆で書かれた400字詰め原稿用紙2枚。若干の推敲の跡も残ったその原稿がそのまま「百人展」で展示された。

1.戦争ほど、悲惨にして、残虐なものはない。若き、君たちは、生涯、平和と幸福のために、一人ひとりが、絶対に平和を守りぬく、心の要塞を築いていただきたい。

1.若き時代に、出来うる限り、良書を読んでいくべきだ。青春時代に読んだ本は一生涯、人生の糧となるし、忘れないものである。多くの心の財産を貯えていただきたい。

1.男子は、正義の人に。女子は、幸福の人に。ともあれ青春時代に、基本である勉学に励んでいかない人は、厳しき、社会に出てから軽蔑され、生涯にわたって、悔いを残してしまうものである。

1.“波浪は、障害に会うごとに頑固の度を増す”という、格言を、モットーにして生きてきた。大なり、小なり、長い人生にあっては、必ず、妬まれたり、誤解されたりして、嫌な時代を生きねばならないことがあるものだ。その時にその人の真価がわかる。したがって、堂々と、批判の嵐を乗り切っていける、自分自身を、常に作り、磨きゆく努力を忘れないでほしい。 池田大作 1981年10月21日

皆さんの夢が叶うように

生徒たちからは「何があってもビクともしない自分を作りたい」「他のどの人の言葉より、命に響いた」「古今東西の良書を読みたい」などの声が寄せられた。

 小手川は「一教師として文面を読んで、スケールの大きさに感動しました。池田先生にとっては学会員かどうかという次元を超えて、子ども全員が『未来の宝』で、宝の一人ひとりに真剣勝負で語りかける文章だと感じました」と語る。

 小手川自身、学ぶ道をあきらめかけたことがあった。勤行を始めたのは高校生になってからだった。高校3年の秋、大黒柱の父が、四人の子を残して亡くなった。母と姉が家計を支えた。「母のおかげで今があります」と小手川は述懐する。

 競輪場、お菓子工場、清掃や家庭教師など、アルバイトをしながら大学に通う日々が続いた。「学生部の夏期講習会で、当時は大石寺の敷地に本屋があったのですが。数人の仲間と本を探している時、池田先生が来られたんです」。

 「何でもいいから本を買ってあげよう」。池田はそう言って、その場にいた学生5人に本を贈り、握手を交わした。「父が亡くなった時、進学を断念しかけましたが、池田先生が『最後の事業は教育だ』と言われていたので、応えたいと思い続けれることができました。その思いで今も教壇に立っています」(小手川正二)

長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」が発表された県青年部幹部会(1981年12月10日、大分平和会館で)。池田先生は、後に「青年に 託しゆづらむ この日かな」と句を詠んだ。

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小手川正二

北九州市立大学1977年(S52)外国語学部英米学科卒業

https://www.kitakyu-u.ac.jp/

https://www.kitakyu-u.ac.jp/foreign/

https://www.kitakyu-u.ac.jp/foreign/english.html

https://kitaq-real.jp/


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