中根千枝さん追想
U市畑進:2021.11.14 Home



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14:28

33年net諸兄姉どの(2021.11.14)

2021.10.12中根千枝さんが亡くなった、94歳であったという(添付記事参照)。
心から哀悼の意を表したい。

いまをさる54年前、昭和43年、信託協会では、年に一回、当時7社の信託銀行の社長から部長までが出席する講演会を開くことになっていた。講演者に誰を選ぶかが問題だった。わたしの趣味は文化人類学である。最も有名なのはアメリカ人女性、ルース・ベネデクトの「菊と刀」(1946、邦訳1948年;社会思想社)である。今でも邦訳初版を持っている。日本人の書いたものでは、1976年の中根千枝「タテ社会の人間関係」、しかも津田塾でで、女性で初めての東大教授、この人に来てもらおうと上の了解をえて東大の彼女の教授室訪問し面談した。残念ながら日時が合わず見送りとなった。

船曳 建夫(ふなびき たけお、1948年2月18日 - 日本の文化人類学者、東京大学名誉教授)は日本人再考(NHK人間講座2002年P54)で「日本における「杜会」とか「個人」といったものは、西欧とは大分違う、という指摘は、日本人論でよく見られるものです。日本には自立した個人というものか欠如しているからだめなんだ、いや。それでいいのだ、という対立する水掛け論としてもそれは定番となっています。しかし、その問題を、水掛け論ではなく、理諭的観点から、きちんと分析したものは少ないのです。そうした中で、中根千枝『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書1967年)は、『菊と刀』とならんで最も有名な日本人論であると共に、最も理論的な強さを持っている著作だと云う。ただ、「菊と刀」同様、「古典」か持つ、読まれぬまま名声だけか流布する、という運命のもとにすでにあるという。

無論、わたしも中根千枝『タテ社会の人間関係』1967年)は、初版を持っていたが、あまりにも持って歩いていたので紛失してしまった。こんなことで現在は1989年12月の81刷番である。この機会に再読することになった。このタテ社会の要旨は、添付の11.08日の天声人語で書かれているので、わたしが興味を持ったところを抽出してお届けしたい。

中根千枝は、社会構造、これは社会組織が変わっても、変わらないで存在する社会構造をに注目する。日本という場においては、これが実に単一社会→タテ社会であるというのである。彼女はインド社会構造の専門家であるので、インド社会に関する引用がおおいい。以下はインドと日本とを比較した彼女の記述である。

『この点において最も極端な対照を示しているのは、日本とインドの社会であろう。

 すなわち、日本人の集団意識は非常に「場」におかれており、インドでは反対に資格(最も端的にあらわれているのは力ーストー-基本的に職業・身分による社会集団-ーである)におかれている。インドの社会については本論で述べる余地かないが、社会人類学の構造分析のフイルドとして、日本とインドほど理論的アンチテーゼを示す社会の例は、ちよつと世界ないように思われる。この意味では中国やヨーロッパの諸社会などは、いずれも、これほど極端なものではなく、その中間(どちらかといえば、インドよりの)に位するように思われる(p28)

 インドに行って驚くことは、貧しい下層力-ストの人々か、少しも日本の下層の人々のように心理的にみじめではないということである。これは、その力-ス卜に生まれれば、死ぬまでその力ース卜にとどまる-競争に敗れたという悲惨がないーという安定した気持ちと同類がいて、お互いに助け合うという連帯感をもちうるためと思われる。日本では、(中略)あらゆる層において同類の集団というものができない。下層において孤独であるということは一層みじめであることは言うまでもない(p104).

理論的に、兄弟姉妹関係の機能か強ければ強いほど、「家」(居住体としての)の社会的独立性は弱くなるのであり、実際にも、インドでは日本にみられるような「家」制度はまったく発達していないのである(いうまでもなく、日本にみられる婿養子制などというものはヒンドゥ社会には存在しない。∃ーロッパにおいても同様である)。すなわち、資格による(同じ血縁による者とそうでない者とにはっきりと分離した)集団構成力が枠による集団構成力に対抗しているのである。

対照的な日本の嫁とインドの嫁と姑;まず、この種の集団のあり方の原型は、前節であげた日本のいわゆる「家」を例に求めることができる。たとえば、日本では嫁姑の問題は「家」の中のみで解決されなければならす、いびられた嫁は自分の親兄弟、観類、近隣の人々から援助を受けることなく、孤軍奮闘しなればならない。インドの農村では(筆者が調査中に非常に印象深く感じたのであるが)、長期間の里帰り可能であるばかりでなく、つねに兄弟か訪問してくれ、何かと援助を受けるし、嫁姑の喧嘩は,はなばなしく大声でやりあい 隣近所にまる聞こえて、それを聞いて、近隣の(同一カーストの)嫁や、姑が応援に来てくれる。他村から嫁入りして来た嫁さん同士の助け合いつたく日本の女性にとっては想像もつかないもので羨ましいものである。こんなことにもいわゆる資格(嫁さんという)を同じくする者の社会的機能が発揮され、という枠に交錯して機能しているのである。日本では反対に、「子供の喧嘩に親が出るであって、後に丼しく述べるまったく反対の志向か存するのである。

(日本の)家長権の実体は「家」のもつ結束力;インドでは家族生活をするうえで、その成員、個々人の地位によって、すいぶんいろな規則があるか(たとえば、妻は夫の兄・父に対しては直接顔を見せたり、話をしてはいけないというような)、それらはみな個々人の行動に関するものであり。またその規則は各家によって異なるものではなく、社会全体(詳細は各カースト成員間)に共通するものである。そして各家のしきたりによってその成員がしばられるという度合いは、日本と比べるとずっと少ない。考え方とか思想となると、同じ家族成貝でも非常に自由なのは驚くほどである。夫唱婦随とか夫婦一体という道徳的理想はあくまで日本的なものであり、集団の一体感協調のよいあらわである(p40)。

従来のいわゆる家制度の特色とされてきたような日本の家長権というものは、家成員の行動、思想、考え方にまで及ぶという点で、インドの家長権より、はるかに強力な力を発揮しうる性質のものてあったといえよう。近代化に伴って、特に戦後、「家」制度というものが封建的な悪徳とされ、近代化をはばむものであったと考えられている根底には、こうした家長権の無限な浸透による悪用かあったことが指摘できるのである。

 しかし、ここでつけ加えておきたいことは、実際は家長個人の権力と考えられがちであが、実は「家」という社会集団のグループとしての結束力か成員個々人を心身ともにしばりつけていたといえることである。

なぜ(日本の)「家」が悪徳であり仇であるか;インドの家族制度というものか、その社会の近代化にあって、経済的、道徳的に個人にじゃますることはあっても、個人の思想とか考え方についてはまったく解放的であるためか日本人が、伝統的ないわゆる「家」制度というものを目のかたきのようにしているのに対し、インドの家族制度は、インド人にとって悪徳でもなく、仇にもなっていないのである(p40)。

 日本に長く留学していたインド人か、筆者に不思議そうに質ねたことかある。「日本人はなぜちょつとしたことをするのにも、いちいち人と相談したり、寄り合うてきめなけれぱならないのだろう。インドでは、家族成員としては(他の集団成員としても同様であるが)必ず明確な規則があって。白分か何かしようとするときには、その規則に照らしてみ一目瞭然にわかることてあって(何も家長やその成員と相談する必要はない)。その規則外ことは個人の自由にできることであり、どうしてもその規則にもとるような場合だけしか相談することはないのに。(P41)

 これによってもよくわかるように、ルールというものが。社会的に抽象化された明確な形とっており(日本のように個別的、具体的なものでなく)、「家」単位というような個別性いが強くもなく、また日本人の家に見られるような全面的参加でなく居住(または財産的共有としての)家族というものは「家」のように閉ざされた世界ではなく、個人は家の外につながる社会的ネットワーク(血縁のつながる同資格者間に作られている)によって強く結ばれている。(p42)

(日本では)、昔から、いったん長く村を離れていたものが、もう一度村に住みつくようになるということは、決して歓迎されることではない。少なくとも、昔日のようなしっくりした人間関係を村人と設定することはほとんど不可能に近い。これに対して。インドの農村の場合はたいへん事情が異なっている。祖父の代にアフリカに移民した者か帰郷した場合ですら、彼らは堂々と実質的村民権をその日から獲得できる。父兄ににつながる従兄弟や甥・叔父たちは、たとえ彼の顔をはじめて見たとしでもその血縁関係が立証されれば、たちまち、一族の者として迎え、彼は祖父の代の村民生活を支障なく復元することができるのである(p62)。

中国人はつねに年長の者に対して、象徴的にいえば、二、二歩さがった地点に自分をおくといったような行動において序列を示しているが,何か重要な決定を要する相談事となると、年長者に対してしいちおう堂々と自分の意見を披歴する。日本人のように下の者か自分の考えを披瀝する度合にまで序列を守るということはない。

これはイント人においても同様であり。また、意見の披瀝という点では中国人以上に自由である。インドで私か最も驚いたことは、中国同様に敬老精神か強く。またカ-ストなどという驚くべきべき身分差かあるにもかかわらず若い人々や、身分の低い人々が、年長者や上の身分の人々に対して、目に見える行動においては、はっきりした序列をみせるが(決して夕バコをすわないとか、着席しないとかいうように)、一方、堂々と反論できるというつことである。日本では、これは口答えとして漬しまなければならないし、序列を乱すすものと‐そ排斥される。日本では、表面的な行動ばかりでなく、思考・意見の発表までにも序列意識か強く支配しているのである。(p86)』

『ここで、中国の話が出てきたので、一つだけご披露しておきたい。

(日本人にとって依拠する集団は一つであるが) これに対照的なものとして中国人の場合かあげられよう。彼らは、二つ以上(ときには相反するような集団)に属し、いずれがより重要かはきめられない。実際、優先するほうが、ときどきによりて異なり、全休としていずれも同じように重要に機能している。しかしそれぞれ機能の異なるものであるから、中国人の頭の中では二つ以上に同時に属していることは、少しも矛盾ではなく、当然といっ考えにたっている。日本人にとっては、「あいつ、あっちにも通じてやかるんだ」といっことになり、それは道徳的な非難を帯びている。この見方を日本人は潔癖だからなどといって得意になるのが、いかにも日本人的である。。こうした日本人的方所属というのは、世界でもまことに珍しい、イギリス人も、イタリア人もみな、どちらかといえば中国人的複線所属である。彼らにしてみれば、一本(単一の関係)しかしたないなどということは、保身術としては最低であるというわけである(p66)。』

この精神構造は、まだ生きているのだろうか?共産主義と資本主義が共存しうるし思考なのだろうか、旧ソ連が共産主義と資本主義と共存できなかった理由なのだろうか? 習近平は、この伝統的精神構造を消し去ることができるのか? 思いは尽きない。

ところで、この文を書いているうちに、また中根千枝に関する青木保氏の賛辞が寄せられた。ご参考に添付しておきます。

イチハタ




Re: たて社会と家族社会学

11.15 8:51

市畑兄に伺います。


中根千枝さんと家族社会学との接点はないのですか?

ちょうど同時期にいろんな論文が発表され始めたようですが。


森下



11.15 16;35

森下兄

当然あったと思います。ご存じでしたら、むしろ教えていただきたいですね。

「従来のいわゆる家制度の特色とされてきたような日本の家長権というものは、家成員の行動、思想、考え方にまで及ぶという点で、インドの家長権より、はるかに強力な力を発揮しうる性質のものてあったといえよう。近代化に伴って、特に戦後、「家」制度というものが封建的な悪徳とされ、近代化をはばむものであったと考えられている根底には、こうした家長権の無限な浸透による悪用かあったことが指摘できるのである。」

長子相続が崩壊した今日、相当変わってきているでしょうが。

イチハタ