森喜朗発言に思う
U市畑進:2021.2.14  Home

33年ネット諸兄姉どの

 森 喜朗(もり よしろう、1937年〈昭和12年〉7月14日 - )が女の話は長いと云って、その時に理事の中から笑い声が上がったという。国内外から女性蔑視だと批判され辞任に追い込まれた。同時に笑って、その話ダメですよと直言しなかったメンバーにも批判の声が上がった。有森裕子は、単にトップが代わっただけではだめだ、全体が変わらなければだめだという。全体を変える? わたし自身、現役時代には同和問題も担当していましたので、日本社会の古層,深層を描いてみました。

★古事記の「伊耶那岐神」の喫祓

黄泉国からのがれた伊耶那岐神は、死の国の穢れを清めるために「禊(ミソギ)」をしようとして「筑紫の日向の橘の小門の阿波の岐原」(場所は確定しないが日向海岸と言われる)に着いて、その禊祓(ミソギ・ハライ)いをした。罪を解除する祓(ハライ)と共に古神道の重要な作法であって、祭紀に先立って必ず行なわれる。この種の行事は古代の中国及び朝鮮にもあったことは、その国の古文献にも見えでおり、わが国の喫祓も中国及び朝鮮から渡りで来たものでもあろうという説もある。或いはそうかも知れないが、この『古事記』の喫祓神話そのものは、それら外来喫祓とは全く性格を異にしていて、わが国の歴史と風土に樹をおろした伝承になっている。日本の神は清浄を最もたっとび、不浄を最も嫌う。(古事記への旅 萩原浅男(1908-2000) 1979 NHKブックス、わたしの愛読書である。)

★飛鳥王朝時代に成立した律令国家は、小さくとも、蕃夷を従える帝国であることを建前とした.中国の「溥天の下、王土に非ざるは莫く、卒土の浜、王土に非ざるは莫し」という王土王臣思想を継承し、新羅へも臣属を要求し、隼人・蝦夷にも王化に従うことを要求して征服した。しかし、実際には、中国周辺の小帝国にすぎなかったので、「天下」「卒土」、しだいに閉じた空間としての「国土」は大八州(おおやしま)に限定され、国の境の外にひろがる空間は、天皇が徳化を及ぼすべき対象、すなわち「王化」の対象から切り捨てられていく、その過程は、ケガレの観念の肥大化とも深くかかわっていた。

(愛国行進曲の中の「希望は躍る大八州(おおやしま)」を覚えておられるでしょう。)

 ケガレ(穢)の観念は、インドのカーストをはじめ、人類史には広くみられる」.「魏志」倭人伝にも、犬が死ぬと、墓に葬ってから、家じゅうの者が水に浴して祓いをする、とみえる.人の死、出産・月経、家畜の死・産、失火などが、ケガレのおもな発生源とされる.ケガレの観念は、平安前期に急速に肥大し、「延喜式」(10世紀に編纂された律令の施行細則)には、人の死穢は5日、産穢は7日、六畜(馬・牛・犬・鶏など)の穢は5日、(六畜)産穢は2日などと観定され.そのケガレに汚染された人は、その期間、内裏への出仕や.神事への参加ができなかった。ケガレは伝染すると観念され、「延宣式」の規定では.甲の家族が死んだ場合、甲の家族はもちろん全員が死穢に汚染するが、家族でない乙が甲のまで着座すると、乙の家族全員も汚桑されてしまう。さらに、丙がこの家に看座しても、丙(本人。家族は除く)は汚染されてしまうという。

 このようなケガレ意識の肥大化は、大八州の境外はケガレた空間とする恐怖を生み出してくる。たとえば、八七一年{貞観一四}、潮海使が到着したとき、たまたま京都に「咳逆病」(せきの病)が流行し、多数の死者か出た。流行病の原因とされた、「異土の毒気」はケガレとして、朝廷の建礼門の前で大祓をおこなっている。

 蝦夷や南島の人びとも、ケガレた存在とみなされるようになり、がっての、天皇の徳化を及ぼすべき対象から、ケガレにみちた恐怖の対象へと変貌していった。

 平安前期に蝦夷を征服していった朝廷は、やがて平安末期までに外ヶ浜(津軽半島の陸奥湾側の海岸)にまで支配を拡大し、外ヶ浜は日本国の東の境界と観念される。一方、西の境界は鬼界ヶ島(硫黄島)であった。外ヶ浜と鬼界ヶ島のなかの大八州は、神仏の加護する領域であり、その外の蝦夷ヶ島(北廊直や琉球、さらに朝鮮半島や大陸はケガレた空間とされたのである。

 大八州は閉ざされた空間となり、そのなかの人びとは、言語と文化を共有するという観念かしだいに形成されていった。境界内のエミシ{蝦夷汲の差別はしだいに希簿化し、それに対して、境界外のエゾ(アイヌ人}は、はっきり異種族として差別されるようになる。一般の氏族と渡来系の氏族との区別も消失していった。もちろん大八州のなかでも、東と西の差は大きく、さまざまな地域性があったが、人類史的にみれば、その差異は相対的には少ないことが注目される。 ケガレの観念は、一方に、ケガレからもっとも隔離された天皇像を生み出す。そしてもう一方に、ケガレを世襲的に負わされ、差別される人びとを、やがて制度として生み出していくことになる。(岩波新書;吉田孝著「日本の誕生」(王土王臣思思とケガレp188以下)

日本の神は清浄を最もたっとび、ケガレ(不浄)を最も嫌う。現代の神道でも、口を漱ぎ「禊(ミソギ)」をして神域に入り、神前で「祓(ハライ)」を受けている。「茅輪くぐり,大祓」なんかもしっかり残っている。近代ビルの建設でも建前・上棟式には必ず神主を呼んで祓いを行っている。清浄を大事にするために、ちょっとした汚れに対しても神経質であるが、同時に、ケガレの思想・感性は拡張していき、ちょっとした差異に対して厳しい、同調・同意しない人や、いじめ、パワーハラ・セクハラに拡張する。場合によっては、政治に数々現れる、モリ・カケなどの隠蔽にまでも拡張する。そもそも神道には人権尊重という考え方は全く見当たらないから、ブレーキが効かない。国会で「お答えできません、差し控えていただきます。」なんて何回行っても平気の平左だ。森喜朗は、2000年5月「日本は天皇を中心とした神の国」で首相を棒に振った。真央ちゃんが大事な時に必ず転ぶといったが、本人が大事な時に転んでは困ったものだ。我々は「差別の罠」に陥りやすい環境に育っていることを自覚すべきだろう。

イチハタ