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一橋33ネット
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U市畑進:「あの戦争」は何だったのかー辻田真佐憲(つじた まさのり)著2025.9.8
R森下一義:秋の花2025.9.1
U市畑進:生活保護法・最高裁判決2025.8.31
Q羽島賢一:散歩の達人誌から2025.8.30
Q森正之:スナック水中2025.8.25
U市畑進:2025.7.31週刊新潮コラム2025.8.24
P大島昌二:読書遍歴(23ー6)第二次世界大戦から冷戦まで2025.8.21
Q羽島賢一:旧国立駅舎の物語です2025.8.18
U市畑進:コメ政策の転換について2025.8.17
U市畑進:企業・団体の政治献金について2025.8.15
P大島昌二:釧路からの写真レポートです2025.8.7
U市畑進:ウクライナに迫る危機2025.8.2
U市畑進:参政党の登場2025.7.27
U市畑進:格差是正なくして財政再建なし2025.7.19
P大島昌二:読書遍歴(23ー5)第二次世界大戦から冷戦まで2025.7.16
U市畑進;「いま聞く 総合電機メーカーは消えるのか」2025.7.9
Q森正之:中学生職業体験受入れ2025.7.7
P大島昌二:読書遍歴(23ー4)第二次世界大戦から冷戦まで2025.7.3
R森下一義:80年前の歌声2 2025.7.2
U市畑進:「英雄のいない国は不幸だ !」「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ」2025.6.29
P大島昌二:読書遍歴(23ー3)第二次世界大戦から冷戦まで2025.6.26
P大島昌二:読書遍歴(23ー2)第二次世界大戦から冷戦まで2025.6.17
P大島昌二:読書遍歴(23の1)第二次大戦から冷戦まで 2025.6.2
U市畑進:「政党はなぜ『矜持』を忘れるか」2025.6.1
U市畑進:囲碁、狭まるプロへの道 衝撃 落胆(朝日新聞2025.05.19)2025.5.26
U市畑進:ウクライナ・ロシア停戦交渉2025.5.18
U市畑進:Mandate for Leadership2025 2025.5.11
U市畑進:エリオット・コーエンの見方2025.5.4
R森下一義:80年前の歌声2025.5.1
U市畑進:トランプ関税が壊す世界2025.4.27
P大島昌二:「かっこいい油絵」展 司馬江漢と亜欧堂田善2025.4.26
U市田進:トランプ関税政策2025.4.23
U市田進:トランプ関税政策2025.4.23
P大島昌二:読書遍歴(22)続・私とイギリス/森嶋通夫教授の健筆2025.4.19
Q森正之:松本正義インタビュー(万博2025/河野圭祐2025.4.7)2025.4.16
P大島昌二:桜に寄せる「ミミ歩会」の思い出 2025.4.13
U市畑進:「トランプの理論的バック、スティーブン・ミランの考え方」2025.4.13
P大島昌二:読書遍歴(21)私とイギリス/森嶋通夫教授の健筆2025.4.11
U市畑進:オーレン・M・キャスの見解2025.4.6
U市畑進:エマニュエル・トッドの「米国経済の行へ」2025.3.30
U市畑進:エマニュエル・ドット「西洋の敗北」の深堀り 2025.3.12
U市畑進:エマニュエル・トッドの見方・予測 2025.3.2
U市畑進:JD Vance's full speech in Munich 2024.2.23
U市畑進:超越神とpostーtruthと民主主義2025.2.16
U市畑進:トランプの政策とその行方2025.2.2
U市畑進:エリオット・コーエンの予言2025.1.19
Q森正之:落語家 林家つる子さん2025.1.19
Q森正之:災害を“わがこと”とする想像力/インタビュー2025.1.17
U市畑進:「膨らむ借金 許した先は」2025.1.5
U市畑進:新年のご挨拶 2025.1.1
U市畑進:英雄たちの選択(NHK2024.11.25)フェートン号事件2024.12.29
U市畑進:IT大手の大学認可へ2024.12.15
P大島昌二:秋色の大学通り2024.12.7
P大島昌二:近況、合わせて五島列島への旅2024.11.18
U市畑進:「パンドラの箱をあけたソ連(=ロシア)の行きつく先は」2024.11.17
R森下一義:立地条件と百人一首2024.11.16
R森下一義:北鮮兵哀れ 2024.11.16
U市畑進:地下鉄サリン事件を振り返る。2024.11.10
Q羽島賢一:一橋会々歌をめぐって2024.11.6
U市畑進:「TheBay5~不吉な波音~」2024.11.2
U市畑進:イスラエル独立への途 2024.10.20
P大島昌二:大塚会の解散にあたって大塚金之助教授を追想する2024.10.19
Q森正之:創価学会は人々をつなぎ社会に「安定」をもたらす2024.10.10
U市畑進:反ユダヤ主義の根源2024.10.7
U市畑進:「アメリカの夢は終わった」を読むー右傾化の危機2024.9.29
P大島昌二:東京新聞9月2日の写真頁「望」より2024.9.4
U市畑進:今日は阿部謹也君の十八回忌である。2024.9.4
U市畑進:英国の14年ぶりの政権交代2024.8.31
U市畑進:雪山讃歌とMy Darling Clementine 2024.8.25
P大島昌二:読書遍歴(20)『風にそよぐ葦』人と作品 2024.8.22
U市畑進:ウクライナ越境攻撃に関してNYtimestとアルジャジーラの報道2024.8.18
U市畑進:「萬世ノタメニ太平ヲ開カムト欲ス」2024.8.15
U市畑進:Newyork times 号外 2024.8.13
UU市畑進:田原総一郎の見方2024.8.11
P大島昌二:読書遍歴その(19)落ち穂拾い(Ⅱ)2024.7.28
U市畑進:都知事選挙感想2024.7.21
U市畑進:【太平洋戦争はなぜ始まったか】2024.7.14
U市畑進:明日、7月3日の最高裁判決2024.7.2
P大島昌二:読書遍歴(その18)シオニズムをめぐって2024.7.2
アウシュヴィッツ強制収容所
U市畑進:7月3日(水)最高裁判決はどうなるか?
U市畑進:日本文化の雑種性とその行へ2024.6.28
U市畑進:「らい予防法」「旧優生保護法」について2024.5.31
大島昌二:読書遍歴(その17)「大吉原展」と江戸の文化2024.5.25
U市畑進:明治憲法制定の根本精神2024.5.3
P大島昌二:読書遍歴(その16)『吉田茂とその時代』ジョン・ダワー2024.4.29
U市畑進:新プロジェクトX 2024.4.28
R森下一義:浜名湖花博に行った2024.4.21
Q森正之:子どもの読書週間2024.4.21
U市畑進:連座制の行方 24.4.20
U市畑進:日本の精神的風土の行方2024.4.14
P大島昌二:花便り202.4.7
P大島昌二:花便り202.4.6
P大島昌二:読書遍歴(その15)『開戦神話』井口武夫「ハル・ノート」など 2024.4.5
P大島昌二:読書遍歴(その14)朝河貫一と『日本の過機』2024.3.24
M藤田光郎:世界を操る闇の支配者2.0 2024.3.20
U市畑進:ウォルフレン再考と裏金問題2024.3.20
M藤田光郎:ディープステート 世界を操るのは誰か(馬渕睦夫)2024.3.17
Q森正之:情熱ドクター訪問記2024.3.14
Q森正之:プーチンから読み解く地球の未来(佐藤優)2024.3.11
Q羽島賢一:母校に巣くう怪獣たち2024.2.2
P大島昌二:「読書遍歴(その13)敗北を抱きしめて(東京裁判)」 2024.2.27
U市畑進:「公権力の暴走を止める」神戸学院大学教授 上脇博之(かみわきひろし)さん2024.2.25
U市畑進:日本/権力構造の謎(1990年)2024.2.23
R森下一義:「茶会記の風景」を読む(2006.6記) 2024.2.20
R森下一義:わが読書遍歴4 わが20冊 2024.2.18
U市畑進:The New York Times Breaking news 2024.2.17
P大島昌二:アレクセイ・ナワリヌイ獄死 2024.2.17
P大島昌二:「読書遍歴(その12)カフカ没後100年」2024.2.13
U市畑進:NYtimesインド記事2件2024.2.12
P大島昌二:日本憲法論の里帰り2024.2.10
Q森正之:トランプが米国大統領に返り咲いたら(佐藤優)2023.2.9
Q森正之:日本漢方の力 菅原健(漢方医)2024.2.7
U市畑進:「浮くか沈むか日本経済」2024.2.3
R森下一義:コロナ罹患 2024.1.31
P大島昌二:「読書遍歴(その11)いかに生くべきか」2024.1.26
P大島昌二:「読書遍歴(その10)落ち穂拾い」2024.1.22
U市畑進:砂川裁判朝日新聞社説2024.1.22
U市畑進:砂川事件ー最高裁長官の行為2024.1.16
P大島昌二:読書遍歴(その9)冷戦下の世界2024.1.15
P大島昌二:「読書遍歴(その8)ルポルタージュの世界」2024.1.9
U市畑進:ドラマ「アイドル 誕生輝け昭和歌謡」2024.1.7
Q森正之:絵巻万葉ものがたり2024.1.7
R森下一義:わが読書遍歴3 2024.1.2
R森下一義:わが読書遍歴2 2023.12.29
R森下一義:わが読書遍歴2023.12.29
U市畑進:尾崎秀実(おざき ほつみ)2023.12.29
P大島昌二:読書遍歴【Ⅱ】「読書遍歴(その7)海を渡る」 2023.12.28
R森下一義:大島兄の読書遍歴を読んで 2023.12.19
P大島昌二:「読書遍歴(6)チャタレイ夫人の問題」2023.12.18
R森下一義:いろんな人2023.12.16
U市畑進:フロンティア 日本人とは何者なのか2023.12.9
P大島昌二:「読書遍歴(5)さらばベルリン」2023.12.5
U市畑進:『さらば、男性政治』2023.12.2
P大島昌二:一橋祭(2) 20223.11.29
P大島昌二:第4回 一橋祭2023.11.24
Q羽島賢一:西野達の「忠犬ハチ公の部屋」2023.11.15
P大島昌二:「読書遍歴(4)ヰタ・セクスアリス」 2023.11.12
Q羽島賢一:写真部門のピューリッツアー賞2023.11.8
Q森正之:今日の健康法 2023.11.6
Q羽島賢一:ジョナサン・トーゴヴェニクの写真集2023.11.3
P大島昌二:「読書遍歴(3)きだみのる」2023.11.2
Q羽島賢一:フランスのJR 2023.10.31
Q羽島賢一:一橋祭 2023 写真展にこんな写真を 2023.10.28
Q羽島賢一:如水会大阪支部支援幹事 羽島の仕事2023.10.26
いわい生花 代表 岩井正明さん
P大島昌二:「読書遍歴(2)吉川英治と佐々木邦」2023.10.26
U市畑進:「砂漠の英雄と百年の悲劇」2023.10.23
R森下一義:パレスチナ人に応援を 2023.10.9
P大島昌二:「3・11大津波の対策を邪魔した男たち」島崎邦彦著23年3月31日青志社発行 2023.10.9
R森下 一義:土曜日の新聞が好き2023.10.8
P大島昌二:「読書遍歴(1) 福原鱗太郎」2023.10.4
U市畑進:カリコ博士ノーベル生理学医学賞 2023.10.3
U市畑進:資本主義は残った(ブランコ・ミラノビッチ)2023.9.23
Q森正之:鹿沼市加蘇地区敬老会2023.9.17
U市畑進:中国の行方 2023.9.13
P大島昌二:新憲法はどのようにして生まれたか?(その4) 2023.9.10
P大島昌二:新憲法はどのようにして生まれたか?(その3)2023.9.2
P大島昌二:新憲法はどのようにして生まれたか?(その2) 2023.8.20
U市畑進:吉本隆明の戦争論2023.8.20
Q森正之:青葉区「青果ミコト屋」2023.8.19
P大島昌二:新憲法はどのようにして生まれたか? 2023.8.14
U市畑進:日本大学アメフット部事件2023.8.13
Q森正之:聖教インタビュー"核兵器の廃絶が未来を守る道"2023.8.8
U市畑進:天皇の御威光(底なしの闇)2023.7.30
Q羽島賢一 :画像生成AIによる写真作品について2023.7.3
U市畑進:天皇の御威光と象徴2023.6.25
Q羽島賢一:ウクライナ・カホウカ・ダムのこと2023.6.7
Q羽島賢一:コロナ規制緩和後の近況報告2023.5.23
U市畑進:チャールス三世の戴冠式2023.5.7
P大島昌二:隠岐ノ島の四島めぐり2023.4.30
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P大島昌二:三木会のあらまし(記録)2023.4.30
R森下 一義:百人一首クラブ2023.4.27
Q森正之:G7広島への池田提言2023.4.27
Q森正之:Chat GPT推奨論2023.4.20
Q森正之:不寛容論/森本あんり2023.4.15
P大島昌二:「鈴木義男」2023.4.14
Q森正之:平和憲法をつくった男 鈴木義男2023.4.10
Q森正之:一橋33ネット新名簿2023.4.10
U市畑進:ユダヤ人について2023.4.10
P大島昌二:京の桜と国立の桜 2023.3.27
R森下一義:植田総裁 2023.3.19
U市畑進:日銀総裁の交代 2023.3.19
P大島昌二:警世の書「人新世の『資本論』」(その2)2023.3.4
U市畑進:北一輝について 2023.2.26
P大島昌二:警世の書「人新世の『資本論』」斎藤幸平著2023.2.19
Q森正之:佐藤優頂上対決2023.2.8
Q森正之:楽天モバイルの挑戦2023.2.6
U市畑進:半導体ーRapidusの設立 2023.1.29
U市畑進:渡辺京二追悼2023.1.13
U市畑進:東大×御茶ノ水大 2023.1.8
U市畑進:「鎌倉殿の13人」に関連して鎌倉幕府成立の重大さ2023.1.6
P大島昌二:書評2点 2023.1.5
U市畑進:渡辺京二の見方2022.12.30
P大島昌二:森兄無事退院ですか2022.12.28~29
M藤田光郎:帝国陸軍は如何に悲しかったか2022.12.29
Q羽島賢一:フォトジャーナル記事 2022.12.26
R森下一義:正月花2022.12.25
U市畑進:終戦に至る緊迫した六ヶ月間2022.12.18
Q森正之:追悼下條剛一君橋畔随想「如水会メキシコ支部創設前後」如水会々報2018年3月号
Q森正之:一橋2018卒の私に4分間、お時間をください2022.12.5
U市畑進:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の背景2022.12.4
U市畑進:易姓革命2022.12.02
U市畑進:映画「白鯨との闘い」(原題:In the Heart of the Sea)2022.11.23
U市畑進:日本の未来2022.11.9
P大島昌ニ:またもや「友を送る」2022.11.2
U市畑進:宗教法人法第81条 解散命令 について2022.10.21
P大島昌ニ:橋畔随想(如水会々報2022.10月号)
U市畑進:中流危機を越えて、賃金アップの処方せん2022.10.9
P大島昌二:エリザベス二世の国葬2022.10.3
U市畑進:佐渡の思い出2022.9.18
U市畑進:元禄御畳奉行の日記2022.9.14
U市畑進:阿部謹也の功績2022.9.4
U市畑進:「浜矩子の〝眼〟『悪い円安』論の正体」2022.9.2
大島昌二:佐渡旅行追録(ご参考)2022.8.25
U市畑進:ノモンハン事件2022.8.21
R森下一義:我が佐渡紀行 2022.8.17
P大島昌ニ:佐渡旅行記(写真版)2022.8.17
P大島昌ニ:佐渡島周遊(8月5日~8日/22)2022.8.16
U市畑進:安倍元首相の暗殺事件 自己責任の行きつくところ。2022.8.11
U市畑進:砂川事件刊決のおぞましさ2022.7.31
U市畑進:原発事故と国家の責任 2022.7.22
P大島昌二:歩いて見た世界 ブルース・チャトウインの足跡 2022.7.21
P戸松孝夫:Pクラス会 2022.7.9
U市畑進:参院選の問題点2022.7.7 22:21
Q森正之:数々の遠乗りメグロとともに(下野新聞)2022.6.30
R森下一義:風に吹かれて(黒潮丸通信)2022.6.22
U市畑進:韓国の新大統領尹錫悦(ユン・ソンニョル)就任2022.6.18
P大島昌ニ:少国民の歌2022.6.8
Q森正之:稲垣あゆみさん如水会々報2022.6.8
Q羽島賢一:令和4年 わたしの啓蟄2022.6.7
P大島昌ニ:お伺い 33pcネット 2022.6.2
R森下一義:お香の会(黒潮丸通信20220526)2022.6.2
U市畑進:「赤い闇ースターリンの冷たい大地」2022.6.1
P河井春穂:空腹こそ最強の薬2022.5.26
U市畑進:プーチン大統領の思想的バック2022.5.19
R森下一義:外国人助っ人選手(黒潮丸通信)2022.5.9
U市畑進:憲法改正75周年2022.5.3
P大島昌ニ:友を送る(2)2022.5.1
P大島昌ニ:友を送る 2022.4.29
U市畑進:「黒船前夜の出会い」(平尾信子著)2022.4.27
P大島昌ニ:老化近況と春の写真数葉2022.4.26
辻井伸行作曲「それでも、生きてゆく」2022.4.22 森
U市畑進:Headwind2022.4.20
R森下一義:スマホメモ(黒潮丸通信)2022.4.20
U市畑進:プーチンの結論(The NewYorkTimesより)2022.4.17
R森下一義:韓国手話(黒潮丸通信)2022.4.13
R森下一義:ラッキーレディ7の帰還(黒潮丸通信)2022.4.8
P大島昌ニ:チェチェン戦争と新疆(再教育収容所)2022.4.4
P河井春穂:「仙人生活」の実践2022.4.4
P大島昌ニ:ケインズ卿の投資哲学2022.4.1
P大島昌ニ:国立の花便り写真等・解説付2022.3.30
U市畑進:キリル総主教の発言2022.3.27
P河井春穂:読売3/26「視点ウクライナ危機」ロビンニブレット氏2022.3.26
Q森正之:読売2/26[視点 ウクライナ危機]亀山郁夫氏2022.3.26
P戸松孝夫:「石垣島風土記」(後編)2022.3.26
Q森正之:亀山郁夫プーチン「悪霊」2022.3.24
U市畑進:再びホロドモールについて2022.3.2
U市畑進:プーチンの実像 2022.3.21
P大島昌二:ウクライナ―最悪のシナリオ2022.3.16
Q森正之:週刊新潮「佐藤優が読み解くプーチン」2022.3.10
U市畑進:ウクライナに関して2022.3.10
P大島昌二:プーチンの戦争?2022.3.8
P大島昌二:ウクライナ-どうしてここまで来てしまったか?2022.3.2
Q森正之:週刊アエラ特集「老親と子の距離感」2022.2.21
AERAのものも
福井しほさん紹介
P河井春穂:旧国立駅舎で結婚式を2022.2.16
Q森正之:コロナの四季2022.2.15
Q羽島賢一:コロナ禍の四季~春夏秋冬2022.2.13
P戸松孝夫:「石垣島風土記」(前編)2022.2.9
R森下一義:美し国2020.1.31
U市畑 進:東工大リベラルアーツ研究教育院2022.1.29
M鶴田瑞穂:矢野康治財務次官講演・新三木会2022.1.23
U市畑進:「欲望の資本主義2022」2022.1.16
R森下一義:自炊(黒潮丸通信)2022.1.13
Q森正之:ぶら~り文学の旅〈栃木〉2022.1.12
R森下一義:箱根駅伝(黒潮丸通信)2022.1.2
R森下一義:「謹賀新年2022」2022.1.1
P大島昌二:歳末にもう一言2021.12.31
R森下一義:国鳥2021.12.29
U市畑進:日米開戦80周年2021.12.26
R森下一義:「Re:わが秩父宮ラグビー場」2021.12.24
P大島昌二:王手は日野の万願寺2021.12.24
W佐藤昭一:山茶花散る2021.12.19 15:28
R森下一義:今日は何曜日?(黒潮丸通信)2021.12.19
R森下一義:喪中欠礼ハガキ(黒潮丸通信)2021.12.15
R森下一義:日大理事長(黒潮丸通信)2021.12.5
M鶴田瑞穂:新三木会通信講座のお誘い2021.12.5
Q森正之:本当に豊かな社会とは(人新世の「資本論」斎藤幸平さん)2021.11.16
R森下一義:Re: たて社会と家族社会学2021.11.15
U市畑進:中根千枝さん追想2021.11.14
R森下一義:美婆伝-黒潮丸通信2021.11.6
R森下一義:ポーラ美術館(黒潮丸通信)2021.11.3-
Q森正之:ハロウィン2021.10
U市畑進:日本の低経済成長2021.10.30
P大島昌二:秋田市探訪レポート(追記) 2021.10.27
U市畑進:眞子さんの結婚に思う2021.10.26
R森下一義:大島兄いい旅行でしたね。2021.10.18
P大島昌二:秋田市探訪レポート2021.10.18
R森下一義:中部横断道バス乗車記(黒潮丸通信)2021.10.10
U市畑進:欲望の資本主義(特別編)2021.10.7
R森下一義:生け花(黒潮丸通信)2021.10.6
Q下條剛一:五木ひろし 50周年メモリアルコンサート2021.10.5
R森下一義:「中部横断道」2021.10.4
P大島昌二:読書案内『アメリカの罠』2021.10.3
W佐藤昭一:緑濃き高尾山を拝見して 2021.9.24 9:42
P大島昌二:緑濃き高尾山 2021.9.23
W佐藤昭一:橋問叢書 を拝見して 2021.9.19
U市畑進:新自由主義メモ 2021.9.19
P大島昌二:一橋の学問を考える会 橋問叢書 2021.8.17
R森下一義:「秀逸」獲得(黒潮丸通信) 2021.9.16
W佐藤昭一:南博先生 「学者渡世」考察 続き 2021.9.11
R森下一義:香華(黒潮丸通信)2021.9.7
P戸松孝夫:森下[高市早苗総理大臣]感想 2021.9.7
R森下一義:高市早苗総理大臣(黒潮丸通信) 2021.9.5
U市畑進:〈危機の政治〉と〈政治の危機〉2021.8.28
R森下一義:翻訳2-ダンチョネ節(黒潮丸通信) 2021.8.17
Q下條剛一:オリンピック開会式 2021.8.11
R森下一義:わがバイト遍歴4-麻雀(黒潮丸通信) 2021.8.9
R森下一義:ミステリー翻訳(黒潮丸通信) 2021.8.7
R森下一義:バイト遍歴2-家庭教師(黒潮丸通信)2021.8.5
R森下一義:わがバイト遍歴1(黒潮丸通信) 2021.8.4
U市畑進:「品格を」問う横審にもの申す 2021.8.3
R森下一義:逢初橋-黒潮丸通信 2021.8.1
P大谷清:白内障の手術 2021.7.31
P大島昌二:いまだ木鶏たり得ず 2021.7.22
U市畑進:白鵬優勝 2021.7.22
R森下一義:「 自粛 」黒潮丸通信2021.7.16
U市畑進:大相撲における「入日本化」2021.7.14
U市畑進:気候難民の世紀 2021.7.5
R森下一義:熱海の土石流災害 2021.7.4
U市畑進: アメリカ白人社会の格差と病 2021.6.27
R森下一義:ワクチン接種-黒潮丸通信4214 2021.6.26
U市畑進:新人世の「資本主義」解説 2021.6.17
R森下一義:黒潮丸通信2235-5:5 2019.7.26 11:28
Q森正之:NPO法人「atamista」ご紹介 2021.6.15
U市畑進:カタリン・カリコ博士 2021.5.31
R森下一義:身分証明書-黒潮丸通信4213 2021.5.28
W佐藤昭一:身辺コロナ雑記 2 2021.5.28
Q森正之:櫱(ひこばえ)2021.5.26
P大島昌二:私の好きな映画十選 2021.5.21
U市畑進:コロナ対策 2021.5.21
R森下一義:タワーリシチ 2021.5.17
W佐藤昭一:「学者渡世 考 1」2021.5.16
R森下一義:一句石 2021.5.16
W佐藤昭一:身辺コロナ雑記 2021.5.14
Q森正之:南アフリカSGI理事長2021.5.12
Q森正之:米国で黒人初の国連大使 2021.5.12
Q森正之: 赤画面MicrosoftDefender警告について2021.5.12
U市畑進:宝島社全面広告 2021.5.11
M鶴田瑞穂:ワクチン予約の非人間性 2021.5.6
R森下一義:わが20冊 2021.5.3
P大島昌二:「好きな書籍十選」Quora用 2021.5.2
U市畑進:緊急事態宣言解除による経済的損失2021.4.29
P大島昌二:植樹会HP更新のご案内2021.4.28
W佐藤昭一:南博先生と南博ゼミ(第一部) 2021.4.24
Q土井国誉
R森下一義:黒潮丸通信4210-白い花 2021.4.21
Q森正之:中央銀行デジタル通貨(CBDC)の動向 2021.4.20
U市畑進:新学長からのメッセージ 2021.4.18
P大島昌二:渡辺省亭展と上野公園 2021.4.11
R森下一義:黒潮丸通信4208-津ヨットハーバー 2021.4.9
R森下一義:お花の稽古2021.4.6
U市畑進:有識者会議 2021.4.4
R森下一義:黒潮丸通信4205-仮想通貨 2021.4.1
U市畑進:聖火ランナー始動 2021.3.29
R森下一義:ステッキ 2021.3.29
R森下一義:レインハット 2021.3.25
P戸松孝夫:歳をとったら、・・・、転ぶな・・・、2021.3.23
U市畑進:日本はディストピア(死の国)へ向かうか?2021.3.24
P大島昌二:国立花見 2021.3.23
R森下一義:転んだ 2021.3.23
Q森正之:芸歴70年香港女優 2021.3.22
Q森正之:「SNS時代」耐える力 2021.3.20
P大島昌二:漱石山房の津田青楓② 2021.3.20
Q森正之:人生を輝かせる推し活 2021.3.19
P大島昌二:漱石山房の津田青楓 2021.3.18
Q森 正之:インタビュー宇宙飛行士向井千秋さんー宇宙から地球をみつめる2021.3.16
R森下一義:賭碁 2021.3.15
Q森 正之:スウィート・メモリーズ抄録 2021.3.15
P戸松孝夫:市畑兄「ミャンマークーデター軍に資金を供給する見えないビジネス帝国」を読んで 2021.3.13
M藤田光郎:「クレンペラーとの対話」要旨 2021.3.12
U市畑進:ミャンマークーデター軍に資金を供給する見えないビジネス帝国 2021.3.12
U市畑進:ミャンマー民主化の内側でアウンサンスーチーの真実 2021.3.7
U市畑進:森喜朗発言公明党の考え方 2021.3.5
M鶴田瑞穂:新内閣広報官小野日子(おの ひかりこ)氏 2021.3.4
P戸松孝夫:Q森君「旧久我小跡ベンチャーオフィス」を読んで 2021.3.2
Q森正之:旧久我小跡にベンチャーオフィス 2021.2.25
U市畑進:日本郵政のコンプライアンス 2021.2.24
P戸松孝夫:「Q下條兄:パンデミックに思う」を読んで 2021.2.22 8:25
R森下一義:必携書 2021.2.21 18:57
Q下條剛一:パンデミックに思う 2021.2.21
Q森正之:一強中国テスラ越え45万円EV(日経ビジネス) 2021.2.21
U市畑進:オリパラ会長の交代 2021.2.20
U市畑進:男女格差ー森発言をを契機として 2021.2.17
P戸松孝夫:深く自戒 2021.2.16
W佐藤昭一:森失言をめぐって PART 2 2021.2.16
Q羽島賢一:「魚は水に 女は家に」(田辺聖子)2021.2.15
W佐藤昭一:森失言をめぐって 2021.2.15
M鶴田瑞穂:森発言 2021.2.15
U市畑進:森喜朗発言に思う 2021.2.14
P大島昌二:南博著『学者渡世』から学んだこと2021.2.13
P戸松孝夫:「市畑兄バイデン難民受け入れ」について2021.2.7
U市畑進:バイデン、難民受け入れ。2021.2.6
P戸松孝夫:〈危機の時代を生きる〉中村桂子を読んで 2021.2.6
Q森正之:〈危機の時代を生きる〉中村桂子さん2021.2.5
P大島昌二:森下兄断腸亭の経済学感想 2021.2.4
R森下一義:断腸亭の経済学 2021.2.4
Q森正之:腸内環境と健康 2021.2.3
U市畑進:ミャンマーCoup d'état 2021.2.3
U市畑進:ロヒャンギャ問題再論 2021.1.30
P戸松孝夫:市畑兄沖縄の帰属を読んで 2021.1.28
U市畑進:沖縄の帰属2021.1.28
U森下一義:酒飲まぬ人2021.1.27
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み(7)2021.1.25
P戸松孝夫:[U市畑進:難民-特にロヒンギャについて]を読んで2021.1.25
M鶴田 瑞穂:文芸春秋と片山杜秀講演と坂の上の雲 2021.1.24
U市畑進:難民-特にロヒンギャについて 2021.1.24
P戸松孝夫👉👈U市畑進:運転免許 2021.1.22
R森下一義:寄付 2021.1.18
U市畑進:歴史の亡霊再び舞台に 2021.1.18
P戸松孝夫👉👈Q森正之:ネット管理人の現職は 2021.1.16
R森下一義:老衰 2021.1.15
U市畑進:崎陽軒のシュウマイ 2021.1.15
Q高橋健夫:森下様へ 退院おめでとうございます。2021.1.14
Q森正之:下野新聞投稿3回目 2021.1.13
U市畑進:トランプ政権の終焉と彼が残したもの 2021.1.12
R森下一義:入院の収支-黒潮丸通信2402 2021.1.12
Q森正之:〈聖教インタビュー〉建築家 安藤忠雄さん「危機の時代を生きる」2021.1.7
U市畑進👉👈P戸松孝夫:よき美作市民とは 2021.1.5
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み(付録6)2021.1.3
Q高橋健夫:賀春祝退院 2021.1.2
R森下一義:新年ご挨拶と入退院ご報告-黒潮丸通信2401 2021.1.1
P大島昌二:祝朗報 2020.12.31
R森下一義:正気証明 2020.12.31
P戸松孝夫:気が付けば「移民大国」2020.12.29
U市畑進:戸松兄からの返信に 2020.12.27
R森下一義:仏手柑 2020.12.26
W佐藤昭一:森下大兄「室の花」お送りします。2020.12.24
P戸松孝夫:RE:R森下一義:病室騒動 2020.12.23
R森下一義:病室騒動 2020.12.23
P戸松孝夫:U市畑「気が付けば移民大国」を読んで 2020.12.21
U市畑進:気が付けば移民大国 2020.12.20
R森下一義:中国式運転代行 2020.12.17
Q森正之:疫病と向き合う心構え 2020.12.17
R森下一義:マリンサーベイ の見積り 2020.12.15
W佐藤昭一:たわわの柿 202012.13
U市畑進:クリントイーストウッド 2020.12.11
W佐藤昭一:吊るし柿 返信 2020.12.8
R森下和義:再入院 手術 2020.12.8
P戸松孝夫:吊るし柿 2020.12.5
W佐藤昭一:吊るし柿 ご質問への回答 2020.12.7
U市畑進:コロナ危機 2020.12.6
W佐藤昭一:吊るし柿 2020.12.5
Q坂本幸雄:戸松さん早速の心の籠った返信に感謝 2017.6.27
Q森正之:綱吉参考文献 2017.7.13
Q森正之:鎌倉時代の感染症との闘い 2020.12.3
P大島昌二:森下兄の質問3件について(続)2020.11.30
Q森正之:人名別目次と時系列目次 2020.11.30
Q森正之:手話接客スタバ国立 2020.11.28
P大島昌二:森下さんの質問に答える 2020.11.27
R森下一義:渋柿の顔 2020.11.27
R森下一義:大島兄に質問3件 2020.11.25
Q森正之:33Q会 如水会々報2016.7月号掲載 2016.5.18
Q萬野善昭:歩く,梓川,カヌー,アユルヴェーダ,相場,小豆,レバレッジ,餡
Q下條剛一:椿姫出演と脳梗塞回復記~林祐三氏コメント
Q下條剛一:椿姫出演と脳梗塞回復記~林祐三氏コメント
Q森正之:加蘇芸術村実行委員会 信頼ネットワーク
Q森正之:とちぎ田舎暮らし
Q新海嗣哉:最近の古本の扱い
Q大津寄雄祐:第三集123p補遺 伊勢佐木町
Q森正之:第三集92p補遺 羽島敦子さん
Q坂本幸雄:時代の風景第三集へのささやかなオマージュ
Q羽島賢一:時代の風景第三集愛用の写真機より重い
Q大津寄雄祐:時代の風景~郷愁の旅(第三集)総集編
Q田中愼造:中国観/橋畔随想(2010.11如水会々報)
Q坂本幸雄:長寿の秘訣 坂本・真栄城対話
Q坂本幸雄:P組も見てくれる・舛添知事
Q坂本幸雄:素晴らしい写真! 今も生きるトルストイの名言
Q坂本幸雄:東野圭吾"手紙"を読むソプラノサックス こども孫子の兵法
Q坂本幸雄:英国EU離脱と舛添症候群
Q堀江秀昭:丹沢塔ノ岳
Q堀江秀昭:深田クラブ表紙& 寄稿3編
Q羽島賢一:photo ①18点 photo ② 22点
Q坂本幸雄:老いて活躍する音楽家たちと我ら凡俗との違い
Q森正之:33Q会・会報7月号
P河井春穂:「天竜川」如水ギャラリー☞関連頁
Q坂本幸雄:如水会ウイークリーニュース№408ティーンエイジャー初の国政選挙に思う
Q坂本幸雄:トルコ軍クーデター 映画「海難1890」を回想
Q坂本幸雄:AI社会到来と失業問題
Q森正之:腹話術① いっこく堂の腹話術
Q森正之:腹話術② 神戸市やないあつ子さんの腹話術
Q森正之:田舎暮らし2016.7
Q森正之:ICTが激変させる教育界の未来像 NECメルマガより
Q羽島賢一:写真発掘
Q 森正之:ヤフオク中古PC情報 2016.7.27
Q坂本幸雄:「世代を超える課題と民主主義」に思う
P河井春穂ボランティア半世紀
Q坂本幸雄:イチロー選手の更なる大記録に思う
Q坂本幸雄:“暗愁” 明治文人の時代的感情について
Q坂本幸雄:大阪支部納涼大会でのサックス演奏
P河井春穂:田中實氏(蔵前工業会元理事長)の感想 2016.09.12
Q坂本幸雄:先日来の「南東北の旅」に感じたこと 2016.09.20
Q田中慎造:[吉田 茂の自問] 2016.09.25
Q下條剛一:[吉田 茂の自問]への感想 2016.9.26~田中慎造 9.28
Q田中慎造:[吉田 茂の自問]への感想 2016.9.26~9.28
Q森正之:全盲バイオリニスト和波孝禧さん 2016.10.2
Q森正之:タゴール初来日から100年 2016.10.2
Q坂本幸雄: 壱岐対馬風景等 2016.10.4 LINK 2016.10.6
Q坂本幸雄:対馬壱岐への旅行~フレイユ先伸ばしの旅第2弾 2016.10.4
Q下條剛一:壱岐対馬旅行(感想) 2016.10.7
Q坂本幸雄:Qクラスの皆さんへ 2016.10.8
Q森正之:四十,五十は洟垂れ小僧/渋沢栄一 2016.10.9
Q坂本幸雄:大人の見識/阿川弘之を読んで 2016.10.13
Q大津寄雄祐:石原慎太郎さんに申し上げます2016.10.13~ Q坂本兄10.13
Q森正之:トランプ米大統領誕生へ/佐藤優 2016.11.17感想戸松兄11.18
Q坂本幸雄:ひとりの哲学/山折哲雄に学ぶ 2016.11.25
P戸松孝夫:ひとりの哲学/山折哲雄に学ぶ を読んで(感想) 2016.11.27
Q森正之:チェリスト ミッシャマイスキーさん 2016.11.30
Q森正之:ピアサポーター心の健康講座 2016.11.30
P河井春穂:橋畔随想 視覚障害者とともに 2016.12.11
Q坂本幸雄:グローバリゼーション,民主主義,国家主権の関係 2016.12.22
P戸松孝夫:坂本論文感想2017.12.30~Q坂本幸雄12.31
Q森正之:如水会々報(2017.1)木川氏新春インタビュー 2017.1.1
P大島昌二:HQ冬号January2017感想 2017.1.2
Q坂本幸雄:世にも美しい日本語入門を読んで 2017.1.31
P大島昌二:HQ冬号January2017感想(続き) 2017.2.5
P戸松孝夫:坂本兄 世にも美しい日本語(感想) 2017.2.5
Q新海嗣哉:造船会社/静岡県への出向 2017.2.20
P大島昌二:武蔵野崖線歩行記(国立国分寺支部)元記事 2017.2.22
Q堀江秀昭:2月22日猫の日 2017.2.22
Q新海嗣哉:造船会社/静岡県への出向その2 2017.2.23
P大島昌二:武蔵野崖線歩行記(補遺 2017.3.1
Q森正之:富田茂之衆議院議員挨拶 2017.3.10
P戸松孝夫:坂本兄八丈島旅行感想 2017.3.25~29
P大島昌二:国立国分寺支部山行会三毳(みかも)山から岩船山へ 2017.3.28
P戸松孝夫:八丈島旅行感想を読んで 2017.3.29
Q坂本幸雄:八丈島戸松感想への返信と人脈コメント 2017.3.31
Q坂本幸雄:八丈島戸松感想への返信と人脈コメント 2017.3.31
P大島昌二:すずらんの里から蔦木宿へ(旧甲州街道) 2017.4.13
Q坂本幸雄:一夢庵風流記/隆慶一郎を読んで…2017.5.1
Q羽島賢一:写真集Budapest Wien Salzburg Plague 1997 2017.5.5
Q羽島賢一:写真集Paris 2000年 2017.5.6
Q羽島賢一:写真集Form追悼 鳥インフルエンザで命を奪われた鳥たちへ 2017.5.7
Q羽島賢一:写真集神戸散策KincaidHAJIMA 2017.5.10
Q坂本幸雄:羽島兄 Form追悼への感想…2017.5.15
P大島昌二:秩父市大滝の天空の集落 2017.5.17
Q坂本幸雄:武士として死にたい 昔の侍の短刀/尾崎将司 2017.5.20
Q下條剛一:羽島兄作品集への感想 2017.5.22
P戸松孝夫:坂本兄 武士として死にたい/尾崎将司・感想 2017.6.2
Q坂本幸雄:戸松兄の拙文への感想に感謝 2017.6.3
Q坂本幸雄:新・中世王権論/本郷和人読後雑感三題 2017.6.21
P戸松孝夫:坂本兄 雑感三題/本郷和人を読んでの感想文 2017.6.26
P大島昌二:武田氏発祥の地 韮崎市を訪れる 2017.6.30
Q坂本幸雄:江戸時代の文化財保護と綱吉の善政 2017.7.13
Q坂本幸雄:繋ぐから繋げるへ小林麻央とマークザッカーバーグ 2017.7.31
P大島昌二:青鬼集落から栂池高原へ 2017.8.5
P戸松孝夫:繋ぐから繋げるへを読んで 2017.8.10
P戸松孝夫:青鬼集落から栂池高原へを読んで 2017.8.11
Q坂本幸雄:中世の武士とは何者か/西俣総生を読んで 2017.8.18
P戸松孝夫:中世の武士とは何者か(感想) 2017.8.18
Q坂本幸雄:ペストとデカメロン/中丸明~海の世界史 2017.8.23
Q森 正之:組織知/サントリー山田氏講演 …2017.8.24
P戸松孝夫:ペストとデカメロン感想 2017.8.24
Q坂本幸雄:世界史をつくった海賊/武田いさみ(話題)2017.8.25
P戸松孝夫:世界史をつくった海賊/武田いさみ(話題)を読んで 2017.8.27
Q坂本幸雄:杉良太郎の歌が千昌夫の歌に繋がりました。2017.8.28
Q坂本幸雄:S28日米講和条約後誕生国民歌われら愛す 2017.8.29
P戸松孝夫:国民歌われら愛すを読んで 2017.9.1
Q坂本幸雄:本物の教養/出口治明を読 んで 2017.9.2
P戸松孝夫:加蘇地区HP2件を観て 2017.9.4
P戸松孝夫:本物の教養を読んで 2017.9.8
Q坂本幸雄:定年に関する様々な意見 2017.9.20
P 大島昌二:西安から敦煌まで 2017.9.20
Q坂本幸雄:遊遊漢字学/阿辻哲次(日経)に学ぶ 2017.9.22
P戸松孝夫:定年に関する様々な意見を読んで 2017.9.24
Q坂本幸雄:ツキジダスの罠とキンドルバーカーの罠 2017.9.25
P 大島昌二:西安から敦煌まで(続) 2017.9.26
Q坂本幸雄:パクス徳川/江戸時代 2017.9.30
P戸松孝夫:西安~敦煌までを読んで 2017.9.29
P戸松孝夫:遊遊漢字学/阿辻哲次に学ぶを読んで 2017.9.30
P戸松孝夫:遊遊漢字学/阿辻哲次に学ぶを読んで 2017.9.30
P大島昌二:戸松君のコメントに関して2017.10.2
P戸松孝夫:西安~敦煌感想/続 2017.10.2
P戸松孝夫:パクス徳川とはを読んで 2017.10.4
P大島昌二:西安~敦煌(付)カラコルムハイウエイ 2017.10.6
Q新海嗣哉 :"パクス徳川" 2017.10.7
Q萬野善昭:戸松君コメントに関してを読んで 2017.10.10
Q萬野善昭:木曽のきのこ「いくち」 2017.10.11~
P大島:昌二宋元文化の評価に関して 2017.10.12
P大谷清:写真で見る天空列車の旅 2017.10.16
P戸松孝夫:天空列車を読んで 2017.10.17
P戸松孝夫:天空列車を読んで<追記> 2017.10.18
P大谷清:チベットのスナップ 2017.10.19
P戸松孝夫:木曽「いくち」茸? 2017.10.19
Q坂本幸雄:時代の風景(四)恵送感謝 2017.10.22
P戸松孝夫:わが家のHalloween 2017.10.22
Q坂本幸雄:塩野七生逆襲される文明Ⅳ 2017.10.30
P戸松孝夫:U市畑兄「片山杜秀の語る日本の現実」を読んで 2020.11.24
U市畑進:片山杜秀の語る日本の現実 2020.11.23 16:00
U永田 泉
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み(付録4) 2020.11.22
Q真栄城朝敏
2018.11.23国立ホームカミングデーについて
2018.5.15 Qクラス会
坂本・真栄城対話2016.5【全文】
R森下一義:鼻の管が抜けた 2020.11.20
R森下一義:退院したらしたいこと 2020.11.20
W林 祐三
Q森 正之
Q森正之:『世界の100人展』2024.5.1
Q森正之:台湾女性のワイン輸入販売会社経営2021.4.30
Q森正之:南博先生[学者渡世]感想 2021.4.31
Q森正之:インドSGI体験談 2021.3.1
W重松成行
W佐藤昭一
U葉山薫
U 市畑 進
S武田三千男
R森下一義
R上原利夫
Q萬野善昭
Q堀江秀昭
Q渡邉静雄
Q田中慎造
Q大津寄雄祐
Q新海嗣哉
Q上原次男
Q坂本幸雄
Q高橋健夫
Q高橋 正
Q下條剛一
Q羽島賢一
③Q羽島健一:写真発掘
P半澤健市
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P大谷 清
名寄せ法
P戸松孝夫
P河井春穂
M藤田光郎
M鶴田瑞穂
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R森下一義:水を飲むこと 2020.11.16 16:48
[記録用]Q土井国誉君御逝去のお知らせ2020.10.31
R森下一義:初島、伊東、熱海 2020.11.11
W佐藤昭一:櫨紅葉 2020.11.11
R森下一義:仮退院 2020.11.10
U市畑進:世界大戦争 2020.11.9
Q森正之:鎌倉時代の「食」2020.11.6
R森下一義:4人部屋と朝の漁船 2020.11.5
P戸松孝夫:再コメント 2020.11.4
P大島昌二:戸松君のコメントに関して 2020.11.4
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み(付録3) 2020.11.3
R森下一義:40日ぶりの流動食 2020.11.2 9:52
W佐藤昭一:月下美人 2020.11.1 12:18
R森下一義:嚥下力の確認 2020.11.1 3:22
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み(付録2)2020.10.29
R森下一義:ハロウィン 2020.10.28
Q森正之:2020Halloween加蘇 2020.10.27
P戸松孝夫:森君の栃木県魅力度最下位を読んで 2020.10.26
わが家のHalloween Q & A P戸松孝夫2017.10.22copy
戸松兄関連過去ログ①
Q森正之:県魅力度ランキング2020.10.25
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み(付録1)2020.10.23
R森下一義:うどん 2020.10.21
U市畑進:MMT 2020.10.21
Q羽島賢一:寫眞蔵戸松兄感想に関して 2020.10.16
P戸松孝夫:羽島君"KincaidHAJIMA寫眞蔵"を観て2020.10.16
長生
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R森下一義:経口補給 2020.10.11 13:40
P大島昌二:浜辺のくさぐさ 2020.10.11
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み 中国編(3)2020.10.7
R森下一義:わがマドンナ 2020.10.7 8:32
Q萬野善昭:戸松君感想への補足説明 2020.10.6
P戸松孝夫:萬野君「遊びをせんとや生まれけむ」を読んで2020.10.4
①start~2017.10copy
萬野善昭 近況報告 2010.7.27
R森下一義:Re:豊橋中部中学の思い出2020.10.1 11:01
P戸松孝夫:退院後にお見舞い2020.9.30 17:30
U市畑進:今、政治を見つめる視点二つ2020.9.30
R森下一義:記念写真2020.9.29 15:40
Q森正之:黒潮の完全ドック勁き武者2020.9.29
W佐藤昭一:森下兄即入院 2020.9.28 0:13
R森下一義:即入院 2020.9.26
P戸松孝夫:「Q坂本兄:半藤氏講演会要約」を読んで 2020.9.24
Q坂本幸雄:半藤氏講演会要約 2020.9.22
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み 中国編(2)2020.9.17
Q森正之:国勢調査完了2020.9.17
R森下一義:Q萬野善昭君「遊びをせんとや生まれけむ」を読んで2020.9.16
実験室
Q萬野善昭:遊びをせんとや生まれけむ2020.9.11
Q萬野善昭:遊びをせんとや生まれけむ【見出し集】2020.9.10
Q萬野善昭:遊びせんとや生れけむ(テスト中))2020.9.9
補 章 「現実」とはイリュージョンである
終 章 遊びをせんとや生まれけむ
第4章 悟ってしまった人々
第3章 「悟り」の正体
第2章 「悟り」なんてありゃせんわ
第1章 仏教は宗教か?
序 章 崖を落ちる
Q下條剛一:山崎正和氏逝去について 2020.9.9
P戸松孝夫:「古関裕而に想う」を読んで 2020.9.7
Q森正之:追悼山崎正和氏(転載)2020.9.6
Q坂本幸雄:古関裕而に想う。2020.9.1
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P大島昌二:コロナの季節の拾い読み(2)2020.8.2
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み(3)中国編2020.8.28
R森下一義:黒潮丸通信2397-カラオケ近況2020.8.26
P戸松孝夫:血糖値を下げる!ユーチュ-ブ2020.8.24
Q森正之:血糖値を下げる!2020.8.21
新googleサイトテスト頁
P大島昌二:玉川上水(小平から小金井まで)2019.5.4
P大島昌二:フィリピン日系人の戦中戦後2019.5.21
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P河井春穂:一橋大戦没アスリート足跡たどる(東京新聞)2019.6.8
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Q坂本幸雄:あるボケ老人のたわごと 2019.5.23-6.10【一部追加改訂版】
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Q坂本幸雄:本当の豊かさとは、過剰なこととは違う2019.6.27
P戸松孝夫:「Q坂本幸雄:本当の豊かさとは、過剰なこととは違う」を読んで2019.6.27
Q坂本幸雄:シンプル イズ ベスト 2019.7.3
P大島昌二:久しぶりの尾瀬高原 2019.7.16
P半澤健市:「年表昭和・平成史新版」のご案内 2019.7.17
P戸松孝夫:「P半澤健市『年表昭和・平成史新版』のご案内」を読んで 2019.7.18
P戸松孝夫:P大島昌二「久しぶりの尾瀬高原」を読んで 2019.7.20
P大島昌二:「戸松さんのコメント」へ 2019.7.26
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P大島昌二:志賀高原 志賀山周辺の沼・池・湿原2日旅 2019.8.27
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P大島昌二:コロナの季節の拾い読み 2020.5.11
M藤田光郎:フーバー大統領が明かす日米戦争の真実2020.5.12
Q上原次男:伊東市鎌田にて 2020.5.16
P大島昌二:私の読んだ日本の小説(2) 2020.5.20
U市畑進:日本の対処に対する外国人の見方2020.5.27
U市畑進:コロナウイルス解析 2020.6.4
U市畑進:外人部隊 2020.6.7
P大島昌二:谷崎潤一郎の作品と家族 私の読んだ日本の小説(3) 2020.6.7
U市畑進:ドイツのコロナ対策 2020.6.15
M藤田光郎:誰が第二次世界大戦を起こしたのか 2020.6.18
U市畑進:コロナ対策 2020.7.15
P戸松孝夫:市畑さんの「コロナ対策」を読んで2020.7.21
U市畑進:アイアン・ロードと日本 2020.7.26
P戸松孝夫:市畑さんの「アイアン・ロードと日本」を読んで2020.7.28
P大島昌二:コロナの季節の拾い読み 2020.5.11
W佐藤昭一:終戦証書「頻ニ無辜ヲ殺傷シ」2020.8.5
U市畑進:変異コロナの拡大 2020.8.8
Q森正之:新googleサイトに全面移行中2020.8.16
P大島昌二:国立ところどころ2020.5.15
P戸松孝夫:戦争(坂本兄の投稿を読んで) 2020.8.13
Q坂本幸雄:昭和12年に見る戦争回避への”民草”の強い願望 2020.8.12
一橋33ネット
コロナの季節の拾い読み 中国編(2)
P大島昌二:2020.9.17
前回は、文革に巻き込まれて幽閉された2人の市井人の二冊の著作の読後感に便乗して、その背後にあった「大躍進運動」とそれに続く「文化大革命」の性格の要約を試みた。
毛沢東が文革を発動して劉少奇とその同調者を倒し、そのために中国社会を震撼させ荒廃をもたらした後の中国の現代政治史は、天安門事件へと向かわねばならない。しかし、天安門事件の正統性に拠って立つ現政権にとって、その事件は文化大革命以上に中国現代史の「禁区」である。天安門事件に至るまでには、林彪の反逆・逃亡事件があり、また周恩来追討に向けられた毛沢東の敵愾心は一貫して止むことがなかった。そこで次には筋道を追って「批林批孔運動」を概観して「中国編(2)」にまとめることにした。
以下には主として高文謙の著書『周恩来秘録―党機密文書は語る』(下記注)によって、あまり知られていない文革後期、毛沢東の支援の下に四人組の集中砲火を浴びた周恩来の苦難をたどってみたい。鄧小平の改革が来るのはその後である。
〔注】著者、高文謙が『周恩来秘録―党機密文書は語る』(2003年初版)の「あとがき」に記すところによると、高はかつて中国共産党の体制の内側で過ごし、若年にして部一級クラスの指導幹部となり、一日中うずたかく積まれた資料の袋に埋もれて、政府当局の歴史編纂と国家指導者の年譜、伝記の執筆を任務としていた。しかし1989年の天安門事件で、胡耀邦の秘書を歴任した2人の委員とともに中央文献研究室の幹部を引率して街頭デモを行った。このために処分を受けたが上司の配慮で軽い処分で済み、『毛沢東伝』と『周恩来伝』の執筆を続けることができた。しかし、六四天安門事件後の審査の中で自己批判書を書きながら、文革と六四鎮圧の間に一脈相通じるものがあることを思い、自分がこのまま「御用学者を続け、歴史を政治に奉仕させる道具になる」わけにはいかないと考えるようになった。事件のほとぼりがさめた93年に米国へ出る機会を得て、そのまま米国にとどまり、ハーバード大学のフェアバンク研究センターで文革史と周恩来研究を専門として研究と執筆に従った。中国ではこの二つのテーマは依然として政治上の「禁区」である。
著書を一読して分かることは、本書の副題が示すように、記述の多くが一次資料や私記、インタビューをベースにして構成されていることである。数多い出典の注記がそれを明らかにしており、著者の言うごとく「歴史的真相を国民に伝える」厳正さがあり、史料編纂に携わってきた著者の閲歴の重みを感じることができる。
批林から批孔(周)運動へ
『上海の長い夜』に描かれた鄭念女史の苦難は周恩来の追放を画策する毛の意向を汲み、その威を借りて猛威を振るった四人組の仕業であった。高文謙は「1974年が明けると、第二次文化大革命とでも呼ぶべき林彪と孔子を並べて批判する(批林批孔)運動がすさまじい勢いで全土に広がった」と書いている。林はもちろん逃亡中に墜死した林彪、孔(子)とは論語にとらわれていると毛が非難する周恩来を指している。「66年の文革発動と同様に、今回もまた毛沢東と江青という政治的思惑によって結びついた夫婦が、息を合わせて芝居をすることになった。」
毛沢東と周恩来の名は、かつては中国共産党に並び立つ両雄という世評が広く信じられていた。そのような世評をもっとも苦々しく思っていたのは毛沢東その人である。彼の巨大なエゴは屹立すべきはわれ一人でなければならなかった。林彪墜死(1971年9月)後の周恩来追い落としの作戦は、毛の公式の後継者である林彪を打倒した「批陳射林」に続く「批林批孔」のスローガンの下に進められた。
毛の手法を理解するために批陳射林について略説すると、紅衛兵運動の波に乗った林彪の人気が個人崇拝の域に達する様子を座視できなくなった毛は、まず林の側近である陳伯達の弾劾を始めた。その矛先が次は自分に向かってくることを察知した林彪は大いに悩んだ末にトライデント256専用機で国外逃亡を図って墜死した。詳細が分からないままにニュースは世界を駆け巡ったが、やがて逃走中の機はモンゴル共和国のウンデルハン地区に墜落したと発表された。事件発生と同時に周恩来はレーダーを使って専用機の行動を監視させ、無線電話で林に地上に戻るよう呼び掛けさせた。次いで全国に飛行禁止令をだしたが、それは軍内の林一味が事を起こさぬよう、周到に林彪派の正副総参謀総長、空軍司令官を巻き込んだ連名によるものとした。いずれにせよ、林彪の逃亡劇は林の家族が主導したもので、林派の軍人たちは事情に通じてはいなかった。この間を通じて周は毛への報告を怠らず、不測の事態を避けるために毛を避難させた。墜落の事情については未だに不明の点が多い。
林が舞台から消えたことは一つの問題を解決はしたが、毛はまたもう一つの難問に直面することになった。毛と林の間柄は密接な利害関係で結ばれていたから、どちらかが傷つけば双方が傷つくという関係を否定できなかった。いずれにせよ、巾を利かせていた林彪派は政治的に抹殺され、党の権力構造は一夜にして崩壊した。北京在住の政治局委員も半減し、文化大革命の破綻は明らかになった。
この激変は毛の精神に深刻な打撃を与え、健康も損なわれ,床にふすようになった。このため毛は今まで以上に周恩来に頼らざるを得なくなり、周は党や軍の老幹部をなだめ、人々の文革に対する不満を和らげるといった一連の措置を進めることになった。しかし、毛が弱音を吐いたのも一時のことで、周の相も変らぬ献身にもかかわらず周に対する猜疑心をさらに深め、周の打倒に突き進むことにした。
毛と林の関係が悪化したのは林の権威が高まったからばかりではなかった。陳伯達が槍玉にあげられたのも第9回党大会で陳が林彪の示唆に応じて文革で荒廃した経済の立て直しのための「唯生産論」を主張するのを許せなかったからであった。周恩来は、林、陳の主張に賛同していたが、文革の誤りを根本から正して経済建設を説くことは毛が容認しないことを知っていた。
しかし、林彪事件の衝撃で、毛はいくらかは柔軟な調整を行わなければならなくなっていたので、周は、文革の誤りを正面から指摘せず、その限度を見定めながら秩序の回復を図ることにした。そのために、正されるべきものをすべて林が先導した極左思想のせいにすることにして事を進めた。
この間にピンポン外交を経て米中の雪解けが始まり、ニクソンの訪中が実現し、24年ぶりに米中の国交が回復した。米国への接近は中国の門戸を西側へ開かせる大きな一歩であり、周恩来の声価は一挙に国際的なものとなった。周は複雑な外交交渉に毛の同意を得るべく細心の注意を払ったが、毛の内心は穏やかではなかった。劉少奇、林彪の亡き後、周の地位は毛に次ぐものとなり、ましてやその声望は毛を脅かすものと思われた。偉業を達成するのは常に毛でなければならず、ましてや文革の失敗、林彪事件の後には、それらを埋め合わせるものとしての栄光を自らのものとしなければならなかった。
第10回党大会(1973年)がまじかにせまっていたが、毛が担ぎ出した造反派出身の王洪文が支持を得られないと見るや毛は周に猛攻をかけることを決意し、その手始めに周が掌握している外務省に大ナタを振るうことにした。1973年6月、米国とソ連は核戦争防止と戦略兵器制限交渉などに関する協定に調印し、世界の一大ニュースとなっていた。このあたりからの毛の攻撃は、ことあるごとに、修正主義、敗北主義などの言葉を用いて激しさを増した。外交交渉における周の片言隻句を捉えて毛が周に屈辱を味わわせるあたりの高文謙の描写(第8章「ニクソン訪中の波紋」)は読むに堪えないほどである。
党政治局は毛の決定に基づいて連続して会議を招集し、「周、葉(釼英)の修正主義路線問題の批判」を行い、周の外交路線上の「右傾投降主義」を批判した。「毛にとって必要なのは、周の外交における威風を徹底的に打ち崩すことだった。同時に、政治上極左批判の旗印を掲げたり、いろいろやろうとするのは、絶対によい結果にならないと思い知らせることだった。」
この尻馬に乗った江青の発言は常軌を逸していた。「米国と結んでソ連を叩くという方針をしっかりと実行していないなどと言ったかと思うと、今度は、米国との会談で人には言えないような、どんなことをやったのか白状しろと周に迫った。同時に毛の論調に従い、周恩来に『右傾投降主義』という大きなレッテルを被せ、周は話を続けることもできなくなった。」
江青の表現がますますエスカレートするのに対して隠忍自重していた周には、これが毛本人の意思とは信じられなかった。そこでついに堪忍袋の緒を切らせて、江青に向かってテーブルをたたき「私、周恩来はこの一生で多くの誤りをしてはきたが、右傾投降主義のレッテルを私の頭に載せることはできない」と言った。
毛はこの抵抗を口実にとらえ、即座に周批判会議の規模を政治局会議から政治局拡大会議に変えて、場所も釣魚台から人民大会堂に移した。主宰者に王洪文を指名し、二人の女性側近を連絡係として遠隔操作によって会議の進展を掌握した。拡大会議は11月25日から12月5日まで開かれ、周恩来に対する前代未聞の批判闘争が繰り広げられた。毛の周批判は一字一句たがえず、たっぷり8時間にわたって読み上げられた。
高文謙は周がよく「晩節をまっとうする」という言葉を用いたことを繰り返し引用している。それは共産主義者として生涯をまっとうすることであり、劉少奇や林彪が党を追われて晩節を全うできなかったことを念頭に置いた上での言葉であった。それにしても周が毛の前に屈辱的な自己批判を繰り返して毛の正統性を疑わなかったことは驚きとしか言いようがない。中国の箴言にある「韓信の股くぐり」が想起されるが、この期に及んで周恩来には「晩節を全うする」以上の望みがあったようには思われない。
江青が提案し、王洪文、張春橋、江青、姚文元、汪東興、華国鋒の6人の文革関係者が毎回会議の前に釣魚台で打ち合わせをして会議でいかにして毛の意図を貫徹させるかを協議して周批判を導いた。また会議後には毛にどのように報告するかを検討した。ここから華、汪をのぞいて残った4人が即ち「四人組」の始まりで「釣魚台」がその四人組の代名詞となった。
毛は周の顔に泥を塗ろうとは思ったが彼を徹底的に打倒しようとする意図はなかった。「それは何も周に手心を加えたいからではなく、政治上の代価があまりに大きすぎ、政局に重大な衝撃を与えることを恐れたからである。さらに重要なのは、周恩来を蹴飛ばした後、だれが彼に代わってこの膨大な国家の日常業務を管理するかという問題だった。これは毛沢東が林彪事件後、ずっと考えていたことだった。こうした考えがあったからこそ、毛沢東は鄧小平をもう一度政界に復帰させたのである。」
「鄧小平が後に文革を否定するとき、胡耀邦にその仕事をまかせた。後に総書記になる胡は公に毛を批判しようと言ったが、鄧は胡らの主張を抑え込んだ。もとより、自分が「中国のフルシチョフ」になるのを恐れたということもあるが、より重要なのは、おそらく彼と毛との関係があまりに深く、毛を損なえば自分をも損なうことになったからだ。」
背後で糸を操り、相手を倒すためには手段を選ばない毛の行動は卑劣極まりないがそれはいまさら目新しいことではない。それも権力を握り、それを維持するためとあれば理解できないことではない。しかしガンに冒されている政敵にその治療をさせないとなれば話は別である。毛が周にガン治療を許さなかったことは広く知られている。5歳年下の周を自分に先立たせる好機と思ったとしても不思議ではない。しかし、この事実は、毛の死に至るまで22年間にわたってその主治医を務めた李志綏(リチスイ)の著書『毛沢東の私生活』を読むともう一つ別の側面があったことがわかる。
毛主席の許可なしにはいかなる大手術も行ってはならないというのが党内の不文律だった。毛の右腕として無実の人々を死に追いやった康生のガンは「大手術」ではないという口実で焼灼手術を実施した。この事件が周恩来の健康診断を早めさせ、周は主席にも健康診断を進めた。「(検査の結果)周恩来首相は間違いなくガンにかかっており、その診断は退屈した医者の妄想から生まれたつくりごとではないと、しまいにやっとの思いで毛沢東を納得させることができた。しかし毛は周恩来に対するそれ以上の検査を禁じ、治療させることも許さなかった。ガンは不治だと言いつのり、治療は肉体的な苦痛と精神的な苦悶をまねくだけで患者にとっては何の益にもならないと言った。(…)もし自分がガンにかかったら、おれは断じて治療なんかさせないぞ。」
数ある毛沢東伝記の中で私は李志綏の『毛沢東の私生活』が最も興味深く、また信頼できるものではないかと思っている。毛のほぼ50歳年下で起居を共にした女性秘書、張玉楓の存在とその影響力を知ったのもこの著書からであった。毛沢東は頑固一徹であった。「周恩来は林彪の左派的な急進主義を非難したがったが、しかし江青らは林彪を右派的な急進主義として宣言したがった。毛沢東は江青らに軍配をあげて論争にけりをつけた。毛の最晩年に張玉楓が権力を持つようになったのは、「主席のろれつの回らない言葉を理解できるのは張だけだという現実からであった。」
当時の周恩来について李は次のように書いている。「私は中南海の多くの人々とおなじように彼(周)の健康状態を憂慮した。周恩来はとりわけエネルギッシュで長時間にわたって働き、睡眠時間をほんの少ししかとらずに、党と政治の要務をさばいてきた。周恩来をのぞけば、無能の人ばかりが残っていて、それも派閥抗争に明け暮れる連中だった。その結果周恩来の責任はますます大きくなっていき、それだけ毛主席の負担は軽くなった。周の経験とスタミナに匹敵できる指導者はほかにみあたらなかった。」
周の膀胱ガンが発見されたのは1972年5月であった。病状の進行と治療について毛の指示は依然として冷酷なままであった。高文謙によれば、毛は側近の汪東興を通じて「秘密保持」、「手術に及ばず」の原則を通した。周の病変はまだ初期段階にあり、すぐ手術をすれば治癒率は高いが時機を失すれば取り返しがつかなくなる。度重なる医療チームの要請にも、汪東興は「これは主席の指示である」、「主席のお考えに従え」の一点張りであった。最後に膀胱鏡検査のみがみとめられたが康生に認めた電気焼灼もみとめなかった。「しかし、この時は医療チームの専門家たちが密かに命令に背き、検査中にこっそりと周に電気焼灼を施術し、彼の膀胱内にあった癌原発病巣を焼き切っていた。」この医師団の隠れた措置がわずかに救いを感じさせる唯一のエピソードである。
1975年3月には膀胱ガンが再発したことに加えて結腸ガンも発見された。周は自ら手紙で毛に結腸に病変が起きた理由を説明した。「手紙が遠回しに表現した何かに、大きな意味があったのだろう」と高文謙は言う。この手紙の数日後、毛は周が手術をすることを許可した。(この事実にはこれまでの拒絶に毛の癒しがたい悪意を見ないわけにはいかない。)その後もう一度の手術を経て周恩来が亡くなったのは、1976年1月8日であった。
1974年に毛沢東は不治の病 、筋委縮性側索硬化症(ALS)にかかっていると診断された。(西洋の観測筋ではパーキンソン病を疑っていた。)しかし、そればかりではなく長年の喫煙癖で心臓もすっかり弱っていた。死は周に遅れること8か月、同年の9月9日、3度目の心筋梗塞の後に訪れた。
日をおかずして10月6日には文革四人組が逮捕された。逮捕の決断を下したのは華国鋒首相と軍長老の葉剣英であった。実際の逮捕に当たったのは延安時代からその死に至るまで毛沢東の最側近としてボディガードを務めた汪東興の率いる8341部隊であった。この逮捕劇はいかにも突然に見えるが、誰かまわず非難を続ける江青に手を焼いた汪東興と華国鋒は、毛の病気中に江青の逮捕を話しあっており、李志綏はそのことについて汪東興から意見を求められていた。
(写真)笑顔の毛沢東と周恩来。田中角栄首相が手にしているのは毛の愛読書か?毛は一方で知識人を弾圧しながら、本人は少なくともたいへんな読書家で事情通であった。
最後に、ここ二人の巨人の死に到達するまでの過程で、割愛せざるを得なかった文革以降の毛沢東と周恩来二人の葛藤の足跡をそれぞれについて整理しておくことにする。
毛沢東はどのようにして文革を始動したか?
『ワイルド・スワン』(『鴻』)の第12章「米がなくても飯は炊ける」の章でユン・チャン(戎・張)は、大躍進政策に関する毛沢東の自己批判について次のように書いている。
「1961年初めまでに餓死者は数千万に達し、毛沢東はついに狂気の経済政策を放棄せざるをえなくなった。毛は不承不承に実務派の劉少奇国家主席と鄧小平党総書記に政治運営をゆだね(注:ただし党主席のポストは手放さなかった)、自己批判を書いた。だが毛沢東の文章は自己憐憫にあふれ、自分は全国の無能な党員の罪という重い十字架を背負ってやっているのだ、といった調子で終始一貫していた。さらに毛沢東は、今回の破滅的な経験から教訓を引き出すように、と無能な党員に寛大なる指示を垂れた。ただし、いかなる教訓を引き出すかは、下々の党員のあずかり知らぬところであった。結局、毛沢東から『われわれは人民から遠ざかり、一般人民の感情と合致しない決断を下してしまった』というご託宣があり、毛沢東以下最下位の党員まではてしなく自己批判が繰り返されただけで、責任の所在はうやむやにされ、だれひとり追及しようともしなかった。」
ユン・チャンはまた1962年のはじめに、共産党幹部7,000人を集めた席で毛沢東が「飢饉は七分が天災、人災は三分であった」と発表したのに対して劉少奇がその場のはずみで「いや天災三分、人災七分だ」と口を滑らせたことを父から聞いている。父は母に向かって「劉少奇同志はまずいことになるぞ」と言ったのであった。高文謙は著書『周恩来秘録』の中で、劉少奇はこの言葉を公に言いふらしたとし、「十本の指の一本が間違えたから全部ダメだというのは誤りである」という大躍進批判への毛の反駁(「指先論」と呼ばれる)にも反論を唱えたと書いている。
毛の策謀家としての手腕は至る所に示されるが、劉少奇追い落としの陰謀はそのプロトタイプと言ってよい。それを、上海の「文匯報」に掲載され、文革の発端となった姚文元による『海瑞罷官』批判に始まる大迂回作戦によって見ておくことにする。この姚の批判は、大躍進政策の転換を求めた長年の戦友、彭徳懐を毛が情け容赦なく罷免したことを諷刺するものだとしたのである。
『海瑞罷官』の著者、呉晗(ごがん)は学者であり、かつ北京市副市長であった。北京市は劉少奇の地盤であるために、まず市長の彭真が文革初期の大物犠牲者にされたのである。高文謙によれば、この時毛沢東は自分が名前だけで実権のない存在になっており、林彪が握る軍隊を味方にする以外に勝つ道がないことを知っていた。毛は劉少奇が密かに林彪を排除し公に軍の実力者、羅瑞卿が次の国防相であると言いふらしていると信じ、 林を味方に引き込むためのあらゆる配慮をした。他方、羅瑞卿は劉派の彭真と通じており、『海瑞罷官』の批判に対する態度もあいまいであった。こうして毛は羅の一貫した忠誠心や実績を知りながら1965年12月の上海会議で、林との間の政治取引のために、羅を面従腹背の野心家と難じて文革最初の血祭りにあげた。
高文謙は、『海瑞罷官』批判についての詳細を語っている。姚文元の論文は問題含みだった。1965年11月10日、毛は準備がほぼ整った後に、姚文元の文章を全国各地の新聞雑誌に転載するよう命令を発した。しかし論文は学界で抵抗にあった上に、「無理やりこじつけて人を貶める内容、殺気に満ちた政治批判に対し、多くの異議が寄せられた。」おまけに北京市長の彭真は、北京の各新聞雑誌へはしばらく転載しないと決定し、中央軍事委員会の機関紙「解放軍報」でさえ掲載の動きを見せなかった。
毛は周恩来に問題の解決を命じた。周はやむなく折衷の道を探り、姚文元の文章の政治的批判を薄めることを意図してそれを「人民日報」の学術討論欄に掲載させて「我々の方針は、批評の自由を受け入れもすれば、批評に対する反論の自由も受け入れることだ」という編者の言葉を掲載して「事実に基づき真理を追究し、理を以って説得する」ことを強調した。毛はこれで満足しなかったがとにかく突破口は開いた。
一か月後の第二弾は劉少奇に向けて発射された。ソ連共産党第23回大会に代表団を参加させるという劉の指揮する在北京常務委員会の決定を覆した。「どうして必ず行かなければならないのだ。行かなかったら首が飛ぶとでもいうのか」という激しい意見のメモが中央常務委員に渡された。代表団は会議の席上でソ連共産党と闘争するという方針であったが、これによってわずかに残っていた中ソ間の対話の扉は完全に締め切られた。
矛先は続いて劉の懐刀、彭真に向けられた。毛は1966年3月中旬に杭州で開かれた党政治局常務委員会拡大会議でもっぱら学術批判問題について発言し「北京に造反する者がいる」と指摘し、党宣伝部が『海瑞罷官』を批判した2つの原稿を握りつぶしたことを取り上げて警告した。毛はこの会議で彭真の問題を一挙に解決しようとしたが劉はもとより、周恩来、鄧小平の賛同を得られなかった。そこで毛はしばらく様子を見ることにした。
会議解散後、劉が東南アジア訪問の旅に出た機会にそれまで傍観していた康生(情報機関の統括者)は毛に砲弾を提供した。賓客接見で毛と同席した機会を利用して、彭真は先ごろ上海市中央宣伝部あてに電話をかけさせ、姚文元の文章を発表することをどうして事前に中央宣伝部に知らせなかったのかと詰問しているが、これは彭真が「主席をつるし上げようとするものだ」と伝えたことだった。
これで、毛は彭真を信頼する大勢の党員に対して、毛本人に対する陰謀があり修正主義が表舞台に立つ危険が迫っている、必ずや革命を発動して徹底的に彼らを叩き潰さねばならないと説得できることを確信できた。毛本人が語った言葉を用いれば「もし文化大革命を発動しないならば、古参、中堅、新人のいずれも打倒されるだろう」ということである。
この毛の言葉は3月28日から30日にかけて立て続けに康生、江青、張春橋らと談話をした時のものである。毛は彭真を批判して次のようにも述べていた。「私は昔から主張してきた、およそ中央機関が悪事を働いたら、私は地方に呼びかけて造反し、中央に侵攻する、各地で多くの孫悟空がとびだしてきて、世間を大いに騒がすだろう。」ここに文化大革命の火ぶたは切られたと言ってよいだろう。
周恩来はどこにいたか?
高文謙の『周恩来秘録』の中国語の原題は『晩年周恩来』というものであるが主役というべきものは周の前にそそり立つ毛沢東であり、同書は毛の下風に立つ周恩来の晩年を第三者の冷静な目で描いている。同書の冷徹な視点は、常に中国の内政・外交の表に立ち、中国民衆の敬意を集めてきた周恩来も結局は毛沢東の専断を許した張本人ではないかという疑念を抱かせる。
毛によって苦境に追い込まれた彭徳懐、羅瑞卿、彭真、劉少奇に周は進んで救いの手を伸べることなく結局は自らの孤立を招いた。少し歴史をさかのぼれば陳毅、賀竜を見殺しにしている。死を目前にして周は強い贖罪の念に襲われた。医師の回想によれば、周はある時、睡眠中に突然飛び起き、驚いて駆けつけた周囲に「悪い夢をみた、夢で陳毅が出てきて、山の中腹で足を滑らせた。私は彼を止めようとしたができずに、二人とも転げ落ちた」と言った。
賀竜に対してはさらに大きな負い目を感じていた。1975年6月9日、軍事委員会は名誉回復されていた賀竜の遺骨安置式を決定したが、名誉回復は部分的なものに過ぎなかったので極力格式を下げて秘密裏に行われることになった。賀竜の娘の賀捷生は毛に上書して別に葬儀を行うことを請願した。そこには、汚名をすすげば「死者はすでに知ることはないが,生者は徳とする!」 と書かれていた。彼女は同時に周に対しても、病床から声をかけて不当な点を糾してほしい、さもなければ賀竜の遺骨安置式への出席を拒否すると訴えた。周は毛の指示を仰ぎ、その許可を得た上で式の格式を上げ葉剣英が儀式を主宰し、周本人は病を押して出席して弔辞を述べた。その日のことを賀竜未亡人の薛明は以下のように語っている。「(……)周総理は私の手を掴み、肩を抱いて言いました。『薛明、私は賀竜を守れなかった、済まなかった!』と泣き声を上げ始めました。私は「総理、どうぞそんなに苦しまないでください」と言って涙を拭いて差し上げました。私の手を握る総理の手はずっと震えていました。『薛明、こんなことに、こんなことになるとは!』。(私の娘がお体に気をつけてと言うと)彼はすぐに『暁明ちゃんか、私もそう長くない』とおっしゃいました。もう私もこらえ切れなくなり、居合わせた親戚、来賓一同みんな声を立てて泣き出しました。」
国共内戦時以来、内紛が絶えなかった中国共産党内に毛の権威が確立されたのは一般に長征が始まって後、寧都会議に次ぐ遵義(じゅんぎ)会議においてであったとされるが、高文謙は、それは延安到着後まで持ち越されたとする。周は党中央の政治局常務委員として高い位置にいたのに対して毛は現場にいて紅軍を指揮していた。「周恩来はモスクワからの指令と、中国革命の実状との間で板ばさみとなった。」これに対して「毛が指揮していた紅軍は国民党の厳しい包囲のなかにあったから、事態に対処するときは必ず実際の情況から出発せざるを得ず、いささかの油断も許されなかった。」この状況の下で周がより多く配慮したのはコミンテルンの指示、決議であり、少なくともそれを実状とどう結びつけるかということであった。
コミンテルンはソ連の国家的利益にもとづいてその戦略を決めたためにその判断は各国の革命情勢と乖離していたが当時中共はコミンテルンの一支部に過ぎなかったから組織原則からすれば中共はコミンテルンに絶対服従しなければならなかった。加えてソ連共産党内部の闘争も熾烈を極め、それが各国共産党にも「反傾向闘争」の指示となって反映された。その結果、毛の主流を外れた言行は党内の反傾向闘争の標的とされたのである。反傾向闘争は残酷、無慈悲な打撃として知られ、往々にして党員の政治生命を左右するものであった。このようにして毛周間の衝突は避けられないものとなり、毛の周に対する積年の恨みがここに生れ、毛はことあるごとにそれに言及して周を平伏させた。
高文謙はここで「周の性格がもともと柔弱であり、物事の調和をはかろうとする傾向が強い」という判定を下している。確かに周はこの後いたるところで自己批判を行っている。それは毛に対する謝罪ばかりでななく、毛の怒りをとりなす場合、党内の融和を図るためなど枚挙にいとまがない。そのような周の真率さは賀竜の家族への言葉で見たところであるが常人の域を脱している。
周の上位に立った林彪は、いつも強い方になびく周に不満だった。「八方美人で原理原則がなく、政治的立場が揺れ動いて信用できない、君たちも気をつけるように」と周囲に語っている。御本尊の毛沢東も「党内闘争において常に差しさわりのないように、あいまいに事を運ぶ周のやりかたを快く思っていなかった。「自分がしっかりと大局を把握して優位に立っていさえすれば、必ず自分の側に着くと確信していた。」
革命後の中国は常に存立にかかわる危機に次ぐ危機に遭遇した。 国共内戦を「長征」によって乗り越え、建国の翌年には朝鮮戦争に突入した。台湾をめぐっては背後のアメリカの脅威を無視できず、ソ連とは国境をめぐって一触即発の危機に直面し、ソ連技術者の総引き揚げが行われた。新中国の専制政権は、正に「兄弟牆(かき)にせめげども、外そのあなどりをふせぐ」べき状態に置かれ続けたのであった。そのような状況下で、中国革命のアイコンとして隠然たる権力と威信を身につけた毛沢東を神棚に飾り続けた。エドガー・スノウの『中国の赤い星』に始まる毛沢東伝説によって毛は情熱溢れる革命家であり、雄渾きわまりない詩人の魂を持っていた。毛ばかりでなく周も多くの罪を分かたなければならないのは革命の成就という事業の途方もない困難さを示すものというほかはない。
日本降伏後の長春(旧新京)に残され、その包囲戦の惨状を『チャーズ 中国建国の残り火』に著した遠藤誉は『毛沢東 日本軍と共謀した男』で異色の毛沢東伝を著している。その作業に没頭することによって彼女は中国で受けた毛崇拝の教育からようやく脱け出すことができたという。
コロナの季節の拾い読み(3)中国編
2020.8.28
:P大島昌二
2020.9.17
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