P大島昌二:昭和天皇拝謁記をめぐって 2019.9.25

まだ冒頭だけですが掲題のようなレポートの作成にかかりました。

昨年の小林忍日記に続いて今年は田島道治による「昭和天皇拝謁記」が浮上しました。

NHKのスクープのようでつんぼ桟敷に置かれた新聞界の反応にはこれまでのような活気がなさそうです。

果たして新味はあるのかないのか。検討の必要はそこに盛られた内容よりはその解釈にありそうに思われます。

大島昌二

昭和天皇「拝謁記」をめぐって

昨年8月27の新聞各紙は昭和天皇の元侍従、小林忍の日記に残されていた昭和天皇晩年の心境を一斉に報道した。ほぼ1年後の今年も8月16日に田島道治宮内庁長官の「拝謁記」が処を変えてNHKから独占的に報道された。その第一報は〈昭和天皇「拝謁記」入手〉と題するものであったがその後も数日にわたってネット上の「NHKニュース・防災」に〈 語れなかった戦争への悔恨〉、〈「象徴天皇」初期の模索明らかに〉、〈旧軍否定も再軍備や憲法改正に言及〉、〈国民の目を気にする姿も克明に〉、〈歴代首相の人物評繰り返す〉、〈国民が退位希望するなら躊躇せぬ〉などと細切れ的に掲載された。

しかしNHKは「拝謁記」の第一報が掲載された翌17日夜の9時から1時間にわたってNHKスペシャル〈昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録「拝謁記」~〉を放映している。第二報以降の活字による報道に先んじてドラマ仕立てのドキュメンタリーを放映するという手回しのよさは見事といってよい。ネット上では八幡和郎(徳島文理大学教授)、天木直人(著作家、元駐レバノン大使)などが早速「拝謁記」の内容や報道の仕方に批判的なコメントを載せている。天木氏は「大手新聞や民放テレビは、このNHKのスクープについて一切の報道がない」と書いているがそれは同氏がコメントした19日の時点でのことであって遅ればせながら20日には大手新聞社が報道している。20日の東京新聞のトップ記事の見出しは「昭和天皇戦争反省語れず 初代宮内庁長官の拝謁記公開」となっている。いずれにせよこの時間差は出し抜かれた大手報道機関に生じた混乱を思わせる。

田島道治は48年に宮内庁の前身である宮内府長官に就任、49年から53年まで宮内庁長官を務めた。資料は「拝謁記」と題された手帳やノート計18冊。遺族から提供を受けたNHKが公表したという。これで見るとNHKはまだすべてを公開していないようだがすでにNHKスペシャルとしてドラマ化までしているからには、これ以上のものをNHKから得られるかどうか疑わしい。このNHK特別番組はNHKアーカイブズで見ることができるが私は見ていない。これまでネットに公開された限りでは特に新しい事実は見当たらないからでありその解釈や発表の仕方に不純なものを感じるからである。

天木氏はNHKのスクープ報道なるものは「昭和天皇の戦争責任を免責するための意図的な報道ではないのか」と述べた上で、戦後最悪の日韓関係とともに「改憲反対の上皇に対する意趣返しではないのか」と言い切っている。八幡氏は「番組では、昭和天皇があたかも、退位を望んでおられたような解釈を前提に、吉田茂や田島が(それを)止めたような印象で構成されていた。しかし、これまでもそういう見方はなかったし、今回の『拝謁記』もそう解釈できるような材料はない」と断言している。八幡氏はまた、その短評の中で昭和天皇と吉田茂との間には世評をよそに不協和音が介在していたことを指摘している。

私はこの田島道治の「拝謁記」に興味を引かれるのはもとよりであるが反面ではその新味のなさに「いまさら」という思いを否定できない。ただそれは「拝謁記」そのものではなく、そのNHK的解釈に新味が感じられないのである。秘匿されていた資料が出現したのは良いとしてそこから何も新しいものが見出せないとすれば宝の持ち腐れに過ぎない。

私は以前から長年にわたって太平洋戦争を中心とする昭和史を読み続けているがそれはとりもなおさずこの戦争をめぐる疑問の多くがいまだに論争の種として残されたままだからである。(そこから生まれた疑問の一端は小林忍日記の報道を契機にして昨年3回にわたって詳述した。)近年に至ってこの問題に関する読書はペースを落としていたことはそこでも述べているがこの7月、「拝謁記」発表の直前には豊下楢彦氏の『昭和天皇の戦後日本』(15年7月刊)に遭遇して目から鱗の落ちる思いをしていた。

豊下氏の取組んだのは『昭和天皇実録』である。彼は膨大なだけで無味乾燥な官制ドキュメントと見なされ、あまり話題にも上らない『実録』が実は資料の宝庫であることに衝撃を受けてその著書に着手したという。「NHKスペシャルの解説」は以下のようである。「番組では、昭和天皇と田島長官の対話を忠実に再現。戦争への悔恨、そして、新時代の日本への思い。昭和天皇が、戦争の時代を踏まえて象徴としてどのような一歩を踏み出そうとしたのか見つめる。」

豊下氏の著書にはこれらのすべてのこととそれ以上のことが書かれている。同書をひもとけば、昭和天皇の戦争への悔恨とはどのようなものであったか、新時代の日本への思いとはどのようなものであったか、象徴としてどのような一歩を踏み出そうとしたのか、などについてNHKの描く狭く、不確実で個人的な心情の第三者による推量とは一線を画した、厳しい現実が浮かび上がってくる。

「拝謁記」について私がネット上で目にしたのは天木、八幡両氏の短評であるがNHKの番組には何人かの識者が出演して意見を述べているらしい。八幡氏はそれに触れて「歴史研究家が何人か登場していたが、あまり有意義なコメントは出てこなかった。外交や政治や皇室についてのリアリティの知識や感覚がない人が推理や解釈などしても価値がある分析などできるはずがない。資料分析の専門家は参考意見を言うだけに留めておいてほしいものだ」といささか高所から批判している。

私は豊下楢彦氏の著書から学んだことをご紹介したいと思うのであるが、その手始めとして、ここではとりあえず天木、八幡両氏のコメントへのリンクを添付しておく。NHKのニュース画面は抹消されていて再現できないのでNHKオンデマンドの紹介欄のリンクを付しておいた。(25/09/19)

天木直人 「昭和天皇の告白を奉じ続けるNHKの真意を疑う」 http://kenpo9.com/archives/6232

八幡和郎 「NHK「昭和天皇 拝謁記」の悪質な歪曲に呆れる」

http://agora-web.jp/archives/2041016.html

NHKスペシャル「昭和天皇 拝謁記」