33年net諸兄姉どの(2023.01.06)
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
初荷をお届けします。
2022.12.04にはNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について網野善彦の著作からこの時代背景を紹介したが、今回は、鎌倉幕府成立の歴史的意義について紹介したい。「鎌倉殿の13人」という題目には、一応、御家人の共和制を表現しているが、御成敗式目成立までの苦闘が全く描かれていない。
★鎌倉幕府成立の重大さ
寺西重郎は「日本型はいかに形成されたか(日本型資本主義)」(2018.8中公新書著書)の中で鎌倉幕府成立のインパクトを述べている。
(寺西重郎(てらにし じゅうろう)、1942年12月28日 ~ は、日本の経済学者。専門は金融史。一橋大学名誉教授。紫綬褒章受章、日本学士院賞受賞)
ヨーロッパの封建制は、北方民族など異民族の侵入と、その後の分権的な各地の領主層の割拠と絶えまないない抗争のなかから、国王による分断された国土の統一過程として生まれた。それ以前は体制らしきものがない分断状態のなかから、いわば「ゲルマンの森のなかから」封建制が生まれたのである。また中国では早くから統一国家ができていたか、例えば階級的には漢の豪族支配の時代から、六朝の貴族支配の時代に移り、隋唐の科挙の整備などを経て、次第に士大夫か力をつけとというふうに、いわば連続的な支配階層の変化が生じた。これに対して日本の鎌倉幕府の体制は、それ以前に律令国家(701年~大宝元年,文武天皇(第42代、持統天皇の後)が400年にわたり厳然とそびえるなかに、その貴族階級によるによる中央集権的国家支配を否定する形で新しい武士という階級が全く不連続的な形で新体制を構築したのである。こうした他の国ではあり得なかった革命的な体制の変化が人々の心理に及ぼした影響は、やはり想像を絶するものがあったのではないだろうか。
日木的無常観、末世思想、地獄思想、などか革命的な体制変化に触媒されて宗教変化のインパクトを爆発的なものにしたのであり、それには十分なな理由がかあったとみるべきであろう(つまり、国家仏教から大衆仏教への変化、親鸞、道元、日蓮の登場ー易行化の推進)。
★長谷川宏の解説
長谷川宏(1940年~ )東大、哲学博士、ヘーゲルの翻訳で名を上げる)「丸山眞男をどう読むか」(2001.5.20講談社新書)で丸山の鎌倉武士団に関する論考について以下のように語っている。
わたしの見るところ鎌倉武士団エートス(生き方・習俗)は丸山(眞男)の日本史思想史講義の白眉というべきものになっている。とりわけ、鎌倉時代代に材をとったその前半部分は。白眉の講義とはいえ駆け足で見ていくしかないが、エートスのは母体となる東国武士団の特質が、まずこうこうとらえられる。
一言にしてにしていえば、それは,一族一門といわれる同族的結合と、主従の恩給的(封建的)結合との、二要素の統一体である。…… 一族・一門・家門は、血族、姻族を包含し、擬制的一族までを含めて。武士団のの中核をなす。多くはは、自己の所領の開発者を先祖と仰ぐ祭祀共同体(共祭・共墓)である。
武士団のUNIT(単位)は一族よりは広いが、一族がその中核となり、それが祭祀共同体である点で、それは、まぎれもなく古代の氏姓制の伝統をひいており、主従恩給制の側面が西欧封建制とのとの類似性を示すのに対して、あきらかに日本の武士団をヨーロッパの騎士団と区別する特徴をなしている。血縁共同体およびその擬牲的拡大が団結の人きな支柱となっているのである。
★武士団の個人主義
『弓矢の家に生れたるものは名こそ惜しめ、命は惜しまぞ』(太平記)、これは武士のエートスの中核概念といっていい。「名」とか武門の誉というコトバで呼ばれる。将軍や武将に対する身命を捧げての献身と服従も。この名誉感に裏打ちされることによって自発性を得、単なる職務的服従や、権力への黙従や、奴隷的屈従と異なったトーンを帯びる。
(名こそ惜しめの)名誉感には外向的なものと内面的なものとの二つの側面があると丸山真男はいう。外にむかう場合には、名声や評判を気にする立身出世的(対世間的『個人主義』となり、内に向かう場合には、自尊心に支えられた独立と自由の「個人主義」になるという。日本の中世に「個人主義」などという言葉はあるはずもないが、それを承知で武士なり名誉感の内にあえて西洋風の「個人主義」を読みとろうとするところに、武士のエートスを普遍的なものとしてとらえようとする並ならぬ熱意を(丸山真男に)見ることができる。
★御成敗式目の制定
武士団のもつこういう独立精神と「個人主義」を、合理的なな法の形で表現したのが御成敗式目であったとすれば、御成敗式目も武士団の現実の生活から切り離せない。
「御成敗式目の制定は「貴種」源氏将軍のカリスマの時代が終って、武士団の特殊な構造の自覚の上に、幕府体制が築かれたことの表現である。・・・ここで評定衆の合議制が定められたことにも関連する。そこに一種の共和制的性格を持ちえた。したがって、武士のエートスの法的合理化である御成敗式目の制定は、権力の一方的強制でなく、むしろ幕府権力の支柱であった在地御家人の相互対等性を基盤として、その既得権を擁護し、しかもダイナミックに動く実力関係のなかに平衡点を探し求めて一般原則へと昇華した点に基本的特色がある。律令のようなうな整然した体系性を持たないないが、あくまで武士の動的生活の中に根を下ろしたプラクィカルな法規であるから律令や明治以後の法典整備のような、外国法を継受した天下り立法に対して、法制史的にのみならず、思想史的にもユニークな意味を持った。」(丸山眞男講義録)
★御成敗式目の普遍的原理「道理」
御成敗式目の思想史的なユニークさの最たるものを、丸山真男は、「道理」の強調に求めている。いま、式目末尾の起請文にふれた一節をひいて
「....およそ評定の間、理非において親疎あるべからず、.好悪あるべからず.ただ道理の推すところ心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞を出ずべきなり。・・・」(今の官僚や政治家に聞かせてやりたい言葉である)
「こでは、『道理』は何より、およそ権力と道理の癒着から出た政教一致のイデオロギーとは対蹠的な意味さえ帯びる.事実上の権力、伝統的権威、あるいは自然的な感情的・血縁的いずれの意味でも親疎関係によって、裁判や政道なりが引きずられ、左右されてはならないのが「道理」なのである。」(丸山真男講義録)
事実上の権力からも、伝統的権威からも、自然的な関係からもぬけだしたところにある理非の判断基準が「道理」だとすれば「道理」とは、まさしく.日本の「原型」的思考の対極にある普遍的原理にほかならない。東国武士団の独立精神と個人主義は、日本的な共同生活の中から共同生活を超える普遍的理念を生み出したということができる。しかも、その普遍的原理は共同体内の紛争を裁く具体的・合理的な思考として働く以上、共同体から切り離された、どこか抽象的に祭り上げられたものでなく、あくまでも現実の生活とのせめぎあいの中で、その普遍性を保ち続けるものである。(以下に同じ内容の丸山真男講義録が続くが省略する)
社會のただなかから普遍的原理がたちあらわれるとき、それが、あらゆる利害や力関係を超えた純粋無垢の普遍性をもってあらわれることなどありえない。キリスト教の人類愛や隣人愛の原理は、古代ローマ帝国の下層民や奴隷を精神的に励まし、圧政下で生きる力をあたえたものだったし.フランス革命で謳われた人権や自由・平等・博愛の原理は、貴族階級や僧侶階級とかとたたかう新興市民階級の利害に密接不可分に結びつくものであった。利害や力関係のなかに組みこまれてこそ.思想は社会を動かすかす力を持つことができるのだが、その一方で、結びついた利害や力関係にのみこまれれば原理としての曹遍性が失われる。利害や力閥係と不可分に結びつく思想的原理に、利害や力関係を超えた善遍性をどこまでこめられるか原理を担う個人や集団や階級の思想的力量はそういう形で問われる。その意味で、古代ローマの下層民や奴隷、フランス革命時の市民階級は、並ならぬ力量を示したといえるが、同じ意味でで、利害と暴力から所領や所職の裁定に当たって、普遍的な「道理」貫ぬこうとした鎌倉の新興武士団は、並々ならぬ思想的力量を備えていたと言えるのである。
イチハタ