名簿と趣味
羽島 賢一2020.2.12
名簿というものは、組織集団のアイデンティティの根幹をなすものと考えている。しかし、近時、行きすぎた個人情報保護の動きを反映して、名簿が作られることは極めて稀である。大学同期会の名簿も、U市畑進君はじめクラス世話人達の労作である卒業45周年記念同期会名簿が最後となっている。
この種の名簿の趣味欄は、私にとって新しい発見をもたらしてくれる楽しい場所だ。学生時代から半世紀近く続いている趣味を持つ友がいる。「あいつこんなことをやってんのか」と吃驚させるようなことを趣味にしている友もいる。会社勤めの必要から断り切れず身につけたものが、今や趣味の域に達してしまっただろう人もいる。人様々だ。
45周年名簿では、私は、「モノクロ写真」「酒」「読書」とした。ある時期「ゴルフ」「麻雀」と、いかにもサラリーマン然とした趣味におぼれたことがあった。また、今、思い出すと若気の至りだが「家内」と書いたこともあった。その妻は今や趣味を超えて、空気とでも言うべきものになってしまった。
写真や読書は珍しくないが、「酒」を趣味として公言している友は少ない。今回の名簿で見る限り、R川上武男君の「日本酒探究」が見当たるだけである。「日本酒」というのもまた良い。加えて「探究」という語に彼の意図と意気込みが読み取れる。「探求」の域に留まっている私より、かなり高級なようだ。同君は40周年名簿でも同じように記していた。手元にないが記憶によれば、35周年の名簿ではT山下二朗君が「酒」と書いていた。
監査役懇話会(ミミの会)の発足当時、三菱代表の彼と住友代表の私は、このことを話題にして楽しく飲んだこともあった。ミミの会はQ坂本幸雄・R上原利夫・T橋本卓爾、M原治平の諸兄と始めたものであるが、後輩たちの頑張りでその後順調にまた格調高く発展し、既に300回を超える例会を重ねている。嬉しい限りだ。
酒を趣味とする私にとって、最近、酒がそれほど美味いと思えない日が稀に訪れる。些細なこととして、あまり気にしないようにしていたが、山口瞳のエッセイを再読していて、頭を抱えこんでしまった。
『酒がまずくなる年齢というものがあるそうだ。それが、一つの人生の曲り角であるという。(中略)ある人は女色にふけり、賭博に走り、あるいは会社の金を使い込み、時には急に政治家になろうとして立候補したりする。こうなると酒の美味いまずいは大問題である。』個々に列挙されている以外にも様々な出来事が目に浮かぶ。恐ろしいことだ。
幸いなことに、(中略)の部分に『40歳前後のことであるらしい。』という一行を見出し、ほっと胸をなでおろした。山口瞳が記している事象に無縁の私にとって、酒が旨いかどうかは、私の体調バロメーターとなっている。ところが最近バロメーターが外圧を受けて狂いだした。心地よく飲んでいる最中に、掛かり付けの女医の顔が突然浮かぶのだ。この先生は、私にしきりにセッシュを勧めるのだ。日頃私はこれを摂酒と理解しているのだが、時々、節酒という嫌な言葉が出現する。そこからバロメーターいやベロメーターが狂いだす。
でも、世の中には不思議な人もいるものだ。35周年の名簿には「焚き火」と書いた友がいた、燃料の調達はどうしているのだろうか、暑い夏場はどうしているのだろうか、病が昂じて周りを焼き尽くす究極の焚き火に至ってしまったらどうなるのだろうかと思わず考えてしまった。40周年の名簿で「病気」というのを発見して、深刻な事態と考えるべきか、ゆとりや達観と見るべきなのか、気になってしまった。幸いに、この度の名簿では消えていた。病気を無事卒業したのはS近藤健君である。
趣味欄に記載のない人が意外に多い、サラリーマン現役時代には、なかなかそこまで手が回らないからだろうか。老後の楽しみに残しているのだろうか?
珍しい趣味を持つ人もいる。エアロビックス・唱歌・陶磁器鑑賞・森林浴・考古学・天文学・ディベィティング・バイオリン造り・射撃・道元・鉱物標本採集などである。天文学を挙げているのは、日蝕の度に、世界各地に観測に出かけた故Q木村英三郎君である。
もし、卒業65周年名簿が作成されるならば、趣味として何を挙げるだろうか?
私は「適量の酒」「写真」に加え「愛妻」を復活させたい。読書は好きだが、小説などは登場人物を失念するし、すぐ眠くなるから、今回はお引き取り頂いた。「適量」は伸縮自在で、その場の雰囲気次第である。写真はデジタル時代になり、銀塩時代の暗室作業が省略でき、体力の衰えた老人でも続けられる、有難いことだ。
最後の名簿以来20年、80歳を超えた同期の仲間たちは、今、何を趣味にしているのだろうか。