最近メールを交換するようになった10歳ほど年下の友人が丸紅出身であることを知って昨年3月に読んだ『The American Trap(アメリカン・トラップ)』(ビジネス教育出版社)というフランス人ビジネスマンの書いた本を紹介、推薦しました。副題は「アメリカが仕掛ける巧妙な経済戦争を暴く」です。戦争もそうですが経済の世界も苦しくなれば「なんでもあり」となる嘆かわしい世の中です。著者のピエルッチは自分が何で逮捕されたかがわからない。外部との接触を断たれた状況下でその理由を探ることから彼の戦いは始まります。同じころに読んだエドワード・スノウデンも香港に逃げ落ちたままで国際的ベストセラーになった自叙伝『独白:消せない記録』の収入を差し押さえらたままです。アメリカの“Long arm of the law” はかくの如し。
日本の法網をかいくぐったカルロス・ゴーンは今いずこ?
アメリカには「海外腐敗行為防止法(Foreign Corrupt Practices Act=FCPA))という法律がある。FCPAは外国官吏への贈賄を防止することを目的として1977年に米国連邦法として制定された。ところがこの法律がアメリカの企業だけに適用されるのは国際競争上不公平であるという声が高まり、その結果FCPAは1998年に修正され、外国企業や外国人へも適用が拡大された。
この修正によってアメリカは外国企業を起訴できる法律上の根拠を拡大した。外国企業がドル建てで契約を結んだり、その取引に関するEメールがアメリカにあるサー
バーを経由したり、そこに保存されるだけでFCPAが適用される対象となった。つまりFCPAの修正法は「アメリカの産業を弱体化させ得る法律から一変して、外国企業に介入できる、経済戦争を勝ち抜くためのこの上ない手段になったのだ。」実際の適用面では1977年から2001年の間、司法省が摘発したのは21社にとどまり、その多くがマイナーな企業であった。ところが2000年代半ばから司法省とSECはしきりに外国人や外国企業を摘発するようになる。この法律の切れ味を試すかのように、外国人の医師を(医師は公共のサービスに従事するからという理由で)「公務員」として裁判にかけて製薬会社の起訴につなげることもした。アジアや中東の政府がからむビジネス取引には必ずと言ってよいほどそれを仲介するロビイストが絡んでいる。そのロビイスト
がその働きに対して外国企業から受け取る報酬の一部が政府関係者に渡れば、それを支払った事業者はアメリカの法律上の犯罪者となりアメリカの法律によって裁かれ
る。
2019年にフランスで「人権文学賞」を受賞した『The American Trap(アメリカン・トラップ)』(フレデリック・ピエルッチ著)はこの罠に落とされた著者の獄中からのこの法律との格闘の記録である。著者はアメリカの検察や司法がこの法律を恣意的に運用して経済戦争に一役を買っていることを詳述しており国際的なビジネスに携わる者にとっての必読書と言える。本書を読んで私にはもう一つ思わざる発見があった。FCPAは1977年、かのウオーターゲート事件を受けて制定されたというくだりがある。当時のアメリカ大統領を辞任に追い込んだ政界スキャンダルの捜査過程で、大規模な闇資金ルートと外国公務員への贈収賄が明るみに出されアメリカの400企業が捜査対象にされた。「上院委員会の報告書では、アメリカの防衛産業大手のロッキード
社の取締役が数千万ドルの賄賂を支払ったことが明るみにでた。賄賂の支払先は、イタリアや西ドイツ、オランダ、日本、サウジラビアの有力政治家や公的企業の幹部
で、自社の戦闘機の売り込みが目的である」という。この事件ではオランダのユリアナ女王の夫であるベルンハルト殿下へも100万ドルほど渡ったことが明らかにされている。日本の一部では「ロッキード事件」なるものは単なる贈収賄ではなく、アメリカの思うようにならない田中角栄首相を追い落とすために仕組まれたものであるとする説があるが以上のような経緯を見れば根拠の乏しい陰謀論だということになります。
著者の苦境を乗り越えて本書の主題となる大きな問題は国際間の企業戦争の手段としての、アメリカの国内法の域外適用問題である。トランプ大統領の「アメリカ・
ファースト」のスローガンは広く知られていますが、アメリカの企業はつとにそれを実践していた。ここで浮かび上がるのは海外腐敗行為防止法(FCPA)であるが、その恣意的な適用によってアメリカの企業は国際競争を戦い、アメリカ政府は多大の罰金を国庫に取り込んでいる。
わたしが本書を手に取った理由は、しばしば、しかし断片的に報じられる巨大企業に課される巨額の懲罰金の全体像を知りたいということであった。本書を読んでその目的が達せられたばかりでなく、その取引の背後にある巨大な権力構造を伺い知ることもできた。長い間、「世界の警察官」として闊歩してきたアメリカはいつの間にか「世界の検察官」の衣服をまとっていた。巨額の罰金をアメリカの国庫に召し上げられるヨーロッパや日本の巨大企業はそれなりの悪事を働いていたという単純な印象は表面的にすぎなかった。ロビイストの介在するアジアや中東の政府関連のビジネスは常に危険にさらされていることになる。ロビイストの本場であるアメリカの大企業は罰せられることなく、どのようにしてこれらの国々のビジネスを獲得しているのだろうかという疑問も避けがたい。
大島昌二