「石垣島風土記」(前編)
戸松孝夫(33年経済卒)
「新三木会」の前身、旧「三木会」は、僕が未だ企業で現役として働いていた1980年台の後半に発足し、最初の頃は講演後の夜の飲み会が楽しみで毎月コンスタントに出席していたように記憶する。その後海外駐在中に僕は定年を迎え、帰国後喧騒な東京に住む必要性がなくなった為、岡山県の山奥に家を買い(22年前)東京とは縁がなくなり、新三木会とは如水会報を通しての接触だけになっていた。今回たまたま33年卒の集まり「一橋33ネット」で、本年4月新三木会の財務省矢野次官講演にネット参加が可能だと知ったので、代表幹事と連絡をとったところ、遠隔地からの参加を快く承諾してくれた。しかしそれと引き換えに、僕が毎年冬の間は南の石垣島で暮らしていることを知っている彼からは、「石垣島風土記」との題名で会報に一筆寄稿するよう宿題を課せられた。錚々たる方々の文集に載せて頂けるのは大変光栄なことでもあるので、早速執筆にとりかかったのだが、下記するようにこの冬、僕はとんでもない事故に遭遇し、肝心の石垣島には行けず、目下岡山の山間地で寝ているため、正しい「石垣島風土記」を書くに必要な諸々の資料入手が困難であることに気が付いた。石垣島には2014年以降昨年までの7年間毎年冬の3ヶ月間滞在していたので、石垣島通と自称できる筈だが、後述するようにこれまでの僕の石垣島滞在目的は寒さ逃れの冬眠だから、風土記と畏まった文章を発表するには正確な情報に欠けていることを認識させられた。従ってこの題名で発表するのは次冬、その目的で訪島した後にすべきだと考え、今回はその前書きとして、定年後20年間毎年南の島に滞在するようになった経緯について報告させて頂きたい。
昔から僕の身体には皮下脂肪が付いておらず、冬の寒さは身に応えていたが、若い頃はエネルギーが体内から発散されていたので、外部からの冷気に耐えることに問題はなかった。極寒のデトロイトやニューヨークでも十数年間冬を平気で過ごしていたが(燃料費の安い米国では、冬は全ての建築物が全館暖房、一般の民家も各戸の一階道路に面した部屋に駐車場が設置されているから外出時も冷たい外気に触れることは殆どない)、定年帰国後は、老化現象の自然の結果として、徐々に体内での熱の生産力が弱くなってきたようで、日本で尋常に冬を越すのが難しくなってきた。これが冬眠生活を始めた切掛けである。
20 年前の冬の 3 ヶ月、初めて暖かい米国フロリダで過ごしてみたところ、極めて快適だったので、今後は冬季はここで暮らそうかと考えたが、老齢化に伴う第二の問題に直面した。「時差」の壁にぶつかり、往きも帰りも目的地到着後時差の調整に数日間苦しんだ。現役時代は仕事柄、時差を乗り越えて地球上を東西あちこちへ移動し、目的地に着いたらその足で仕事場に直行して、夜まで働くことに苦痛を感じることはなかったのにと、齢をとったことを恨めしく思った。
爾来僕は時差がある欧米行きは諦めざるを得ず、海外旅行は地球を縦に、つまり南北のみに、動くことにして、翌年の冬は昔暮らしたオーストラリアで、翌々年は時差の小さいニュージーランドでと、南半球の夏を楽しんだ。
ところがここで新たな第三の問題に直面した。退職金を全部はたいて岡山の山間地に「趣味の家」を買ってしまい、貯金もなく、年金以外に収入のない身には3ヵ月間のホテル代の支出は日常生活上の大きな圧迫材料になることが判明した。この克服策として思いついたのが、生活費の高い先進国で冬場を過ごすのではなく、開発途上国の一般のホテルで寒さを凌ぐことに切り替えるというアイデアだった。しかしそれまで東南アジアで暮らすことなどは全く念頭になかったので、具体策が判らず、定年後マレーシアに移住していた会社の同僚を訪ねて知恵を借りた。そこで得た新しい情報は:
1 日本人定年退職者が、マレーシア政府の優遇策を利用して、相当数マレーシアに移住している
2 物価が安いから経済的に日本の年金で楽に暮らせる
3 会員制で長期格別割引制度のある近代的ホテルが幾つかあり、欧州からも長期の旅行者が少なからず滞在している
実際に友人を含め多くの日本人が快適に生活をしている現場を観て、「東南アジアは後進国で、日本人が暮らすには不適当な生活環境」との従来僕が持っていたマイナス・イメージが払拭された。
この結果として、その後5年間、冬は毎年2-3ヶ月マレーシアに滞在することになった。但し首府のクアラルンプールは忙しい大都会だから敬遠して、西のペナン島と東のボルネオ島(北海岸のコタキナバル)で毎日海を眺めながら静かに過ごしていた。その時にペナン島で会った日本の年金生活者から「マレーシアは物価が高いから泰へ行った方がいいよ。でも首都のバンコクは人間がうじゃうじゃ居るから、北部の旧都チェンマイを薦めたい」と言われた。好奇心だけは歳をとっても衰えておらず、何でも新しいものは自分で試してみないと気が済まない性質だから、早速翌年チェンマイに行ってみたが、このアドバイスは正解で、結局その後の 3 冬を泰王国の古都で過ごすことになる。
確かに泰は物価が強烈に安く、治安も問題なく快適に生活出来た。チェンマイは「知る人ぞ知る」という穴場で日本人年金生活者が多いことに驚いた。自分たちを「年金難民」と称して、日本の公的年金では物価の高い母国で暮らせないので、難民としてここへ流れてきているのだとの弁明。但し身内・親戚の関係で日本を完全に脱出することは出来ないので、毎年半年間を安いタイで暮らして年金の一部を貯金し、その貯金であとの半年の日本での生活費の不足分を補うという、いわば出稼ぎ組も居た(といっても泰では労働許可がないと働けないから、収入を得るのではなく、支出を抑える生活)。
これで時差の苦しみと経済上の問題は完全に解決されたので、引き続き東南アジアで冬籠りをすべきであったのだが、新たに第四の問題に直面した。医療問題が心配になってきたのである。外地で冬眠生活を開始してから 12 年間に二度医者の世話になった。最初はコタキナバルで野犬に噛まれ(同地には、昔の日本と同じように生存している犬は全て放し飼い)、狂犬病の疑いありとの忠告で、即座に現地の医者に看てもらったこと。二度目は、シンガポールから神戸までアメリカの客船で帰ってきた折、原因不明で船の中でぶっ倒れ、船内専属のヤブ医者の世話になり$1,000もぶんどられた。外地で治療を受けた場合、日本の健康保険法では医者の詳細なレポートがあれば、同じ治療を日本で受けた場合の金額の 70%を返してくれるが、今後海外で医者にかかる度にこの面倒な手続きをするのは大きなストレスである。更には言葉がうまく通じない外人の医者の診察を受けるのはもどかしい。老体の精神衛生上も好ましくない。
このため7 年前、パスポート期限切れを機会に外国行きは一切諦め、冬眠先を日本国内の暖かい場所、沖縄辺りに切り替えることを真剣に考え始めた(冬眠生活を止めることは僕にとっては「死」を意味するから考慮外)。しかし物価が高い日本では上記第二の問題点のように3ヶ月間のホテル滞在は年金生活者には非現実的であることは判っていた。友人の勧めで短期賃貸マンションに的を絞り、7年前の冬、那覇と石垣島の7つの物件を週単位で滞在体験をした結果、現在住んでいるマンションを永代冬眠先に選んだ。海辺の 7 階建てマンションの6階角部屋を僕は12月中旬から3月中旬の3ヶ間に限定し、死ぬまでの期間確保した。家賃は月十万円、光熱費は実費。保証としては、毎年本島に帰る時に自分の個人荷物すべてをマンションの倉庫に残す。(往復の道程は軽いリュックサック一つで足りるから極めて便利)石垣島は沖縄本島からも 400 キロ南に在り、地理的には亜熱帯に属する日本唯一の場所だから、冬も暖かく常に摂氏20 度前後。関西空港からは格安航空機(全機体が派手な桃色のピーチ航空)が飛んでいるので、早めに上手くLCC(格安航空券)を予約すると片道1万円程度で利用できる。LCCは事故の可能性は大きいだろうし、事故の場合の命の値段も安く評価されるだろうが、この歳になっては命なんてどうでもよい。
滞在中の島内での足は、最初の年はレンタカーを使ったが、2年目からは自分の足と公共バスだけ。毎日1万歩くらいは歩いているが、最近、老齢化の所為で身体のバランス保持が難しくなり、時々、道で転びそうになる。僕には骨粗しょう症の持病があり、過去 20 年間に2回の骨折・入院をしており(背中と腰)、「今度転んだら寝たきりになるから遠出の旅行は止めよ」とかかりつけの医者から忠告を受けている。しかし止める気はないので、僕の冬眠生活を妨害する第五の事由になるのは骨折かなとも思っていた。案の定、今回見事これにひっかかった。幸か不幸か旅先ではなく、出発直前に自宅で起きた。昨年 12 月15 日出発で、飛行機と宿泊先マンションを予約していたのだが、その一週間前の 12 月7日に日本各地で珍しく気温が氷点下になった日の朝、まさか氷が張っているとは考えず、無防備で家の門を出た途端に道路で滑り、老齢化で運動神経が鈍くなっている為、上手く身体を躱せず背中を諸に道路にぶっつけ、背骨を圧迫骨折、全治3ヶ月の宣告を受けた。このまま寝たきりになってしまうかと懸念していたが、目下徐々に回復しているようで、来年は旅に出られそう。「石垣島風土記」後編を投稿出来る筈である。但し今世界を賑わしている台湾問題がこじれると、尖閣諸島と共に石垣島も一年後は中国領になっている可能もあり※
*尖閣諸島は行政上石垣市登野城に属し、上記僕のマンション(石垣市登野城 530-6)前の海を越えた先で、台湾とは100km 程度しか離れておらず、中国が台湾に侵攻してきたら台湾諸共占領される。
(2022年2月3日)
新三木会々報第60号からの転載(新三木会了承済)です。新三木会々報購読申込みは、代表幹事 則松久夫さんにお願いします。
(Email ) shinsanmokukai@gmail.com
【参考】新三木会々報第60号
【1】 満州国残影―溥儀、溥傑兄弟の数奇な生涯 牧 久
【2】 『文藝春秋と私の青春時代』 石原慎太郎氏
【3】 石原慎太郎氏会見記 大塚 融
【4】 石垣島風土記(前編)戸松孝夫