U市畑進:原発事故と国家の責任 2022.7.22 Home

33年net諸兄姉(2022.07.22)


7月7日七夕であった。あさ朝刊を見ると、天声人語で先月6月17日の最高裁判決判決に触れていた。再度読みなおし、判決文も読んでみた。

一言で云えば「想定外」だから「国家に責任はない」と云うことであった。

やっぱり、問題のある判決だ。最高裁が国家権力の擁護機関になっているのではないかという批判も出ているのでご披露したい。

★2022.6.18の社説でも批判している(2022.06.18朝日社説添付参照添付)

この社説は「これに対し検察官出身の三浦守裁判官は水密化措置は十分可能だったと述べ、実効ある対策をとらない東電を容認した国の責任を厳しく指摘した。

 津波予測をもとに国と東電が法令に従って真摯な検討を行っていれば、事故は回避できた可能性が高いとし、「想定外」という言葉で免責することは許されないとの立場をとっだ。この反対意見にこそ理はある」と主張する。

★そこで、三浦守裁判官の反対意見


 「国は、損害賠償責任を食うべきだと考える。


 電気事案法に基づく國の規制権限は、原子炉施設の従業員や周辺俘民の生命、身体に対する危害を防ぐことが主な目的だ。できる限りすみやかに、最新の科学的、専門技術的な知見に基づき、極めてまれな災害も未然に防ぐために必要な措置が講じられるよう適時かつ適切に行使されるぺきものである。

 国は、長期評価の合理性の検討や津波の想定に一定の期間を要することを考慮しても、遅くとも長期評価の公表から1年が過ぎた03年7月ごろまでの間に、原子炉施設か津波により損傷を受けるおそれかあると認識でき、東電に改善を求める「技術基準適合命令」を発する必要があることを認識できたと認められる。


 津波は予測か困難な自然現象だ。


関連する化学技術も発展週程にあり、最新の知見に基づいて想定された津波であっても、これを超える津波が発生する可能性を否定することは難しい。浸水の危険性は、いかにまれとはいえ、数多くの人の生命、身体に重大な危害を及ぽす問題だ。取り返しのつかない深刻な災害を確実に防ぐという法令の趣旨に照らすと、津波による浸水を前提としない設計は、合理性を認めがたい。講ずべき措置としては、単に、想定される津波を前提とした防潮堤の設置では足りない。極めてまれな可能性であっても、敷地が津波により浸水する危険にも備えた多重的な防護について検討すべき状況だった。


 長期評価は、今回の地震のような超巨大地震か発生することを想定していなかった。だが、「想定外」という言葉によって、全ての想足がなかったことにはならない。長期評価を前提とする事態に即応し、保安院や東電が法令に従って真摯(しんし)な検討をしていれば、事故を回避できた可能性か高い。地震や津波の規模にとらわれて、問題を見失ってはならない。


 国は、03年7月ごろには、原子炉施設が津波により損傷を受けるおそれがあるとして、東電に技術基準適合命令を発すべきだった。国が規制権限を行使しなかったことは著しく合理性を欠き、国家賠償法上、違法である。福島第一原発の安全管理について、一次的に責任を負うのは東電で、国の責任は二次的なものといえる。しかし、原発の設置や運営は、国民生活や国民経済の維持、発展に不可欠なエネルギー政策を踏まえたものだ。深刻な災害の発生を未然に防ぐため、国か設題の許可から、その後の各段階における規制を通じて万全を期すことを前提としていた。


 技術基準適合命令は、稼働中の原子炉施設の安全性を確保するために、国に与えられた重要な規制権限である。国と東電は、周辺住民らの損害の全体についてそれぞれ責任を負う。」

(注)電気事業法 第56条第1項

(技術基準適合命令)

経済産業大臣は、一般用電気工作物が経済産業省令で定める技術基準に適合していないと認めるときは、その所有者又は占有者に対し、その技術基準に適合するように一般用電気工作物を修理し、改造し、若しくは移転し、若しくはその使用を一時停止すべきことを命じ、又はその使用を制限することができる。

田中耕太郎の砂川判決もひどかったが、今回の判決も

最悪の最高裁判決として司法府の信用を失い、歴史に残るだろう。

★社説&三浦裁判官がが指摘したもう一つは「裁判を通じて改めて見えたのは、大手電力会社と国のもたれ合いの構図だ。先の三浦裁判官は当時の原子力安全・保安院について、「主体的に最新の知見を把握し、責務を果たすという姿勢には程遠いものだった」「規制権限を行使する機関が事実上存在していいなかったに等しい」

これについては慶應の歴史学者小熊英二は「 それでも原発を運転するなら、事故か起きないように対応する責任が誰にあるのか、過酷事故の時に誰か最後に対応するのか、誰が巨額の賠價を最柊的に負担するのか、責任の所在を明確にすることが必要です。

 こうした問題か未解決なことを明碓に示したのが今回の訴訟の意義でしょう。今後の社会には、責任の所在を問い観けることが求められます。事故は現実に起きました。安全神話に頼る状態にはもう戻れません。」

小熊の「責任あいまいを問つずけて」を添付しておく

【日本の宿痾は残り続ける】

イチハタ

朝日社説06.17.pdf
小熊英二の意見.pdf