1 仏教は《 いのち 》の科学である
釈迦は宗教家ではない
仏教とは、非常に大づかみに、そしてあえて一言(ひとこと)でいえば、「人としてどうしても分からないことは棚上げにして、ともかくいかに生きるかを考えよう」という教えであるといえる。つまり、あの世は本当にあるのかとか、霊魂は本当に存在するのか、人は何故生きるのか、というような問いはそのまま棚上げして、「まず、この世をどう生きるかを問う教え」であるということになる。もう少し禅的に言葉を足せば、「この世をいかに楽(・)に(・)、軽(かろ)やか(・・)に生きるか」を実証的に追求する教えでもある、といえる。その楽の極まることを極楽という。「極楽」とは場所を指す言葉ではない。
仏教はその基本的な構え方として、「この世には人間にとってどうにもならないことがある」ということを素直に認め、この事実を動かしがたい自然の事としてそのまま受け容れる姿勢、つまり【 一切受容 】の姿勢を何ものにもまして最大限に大切にする。後は、仏陀、すなわちお釈迦さんが指摘したといわれる「生老病死」、いわゆる「四苦」をどうしのいでいくか、ということが目の前の課題になる。
したがって、仏教はあの世のことには関知しない。そしてまたこの教えは、あの世での救いの話でもない。仏教のすべてはこの世の事である。わかるはずのないあの世のことなど考えず、まずこの世をどう生きるかを考えよう、というお話なのである。さらにいうと死後の世界のことなどに囚(とら)われることなく、今を生きることに、この世で偶々与えられたこの「いのち」をそう生きるかに専念せよ、と教えている。つまり、生命あるうちに「楽に、軽(かろ)やかに毎日を過ごし、楽しんで生きる」生き方を学んではどうか、と提案していることになる。
以上のような意味で仏教は、本章末尾に掲げた西洋の識者達も認める通り(p54~55)、実践的であり、あくまでもプラグマティックな姿勢を保持した科学であるといって間違いではない。だからこそ、日本における仏教研究の第一人者ともいわれる中村元氏は常々、「仏陀(=釈迦)は超人でも神でも仏でもないことはもちろん、宗教家でもない。今、ここに生きている人間がいかに生きるべきかを究めた人であったに過ぎない」と繰り返し述べておられる。ちなみに、序章で紹介したスマナサーラ長老も「仏教は科学である」と明言しておられる。
しかるに、中村元氏の真摯な思いとは異なり、未だに我が国の多くの人々は仏教というとあの世のことに関してのことであり、後生を願うこと、つまり仏教とは、あの世で極楽に行けるかどうかの話に違いないと思い込んでしまっているように見える。
中村元氏は、一般の人々にも仏教を本当に理解してもらうにはどうすればよいかを一筋にコツコツと研究を重ね、釈迦が述べた言葉に最も近いとされる『原始仏典』(サンスクリット語)にまで遡り、その生涯をかけて研鑽を積まれた仏教学の巨人ともいうべき努力の人である。その中村氏のこの思い切った言葉、「釈迦は仏様でも宗教家でもない」という明言は、普通一般には釈迦は仏教という宗教の創始者であり、宗教家中の宗教家であると広く信じられている中での、そういった間違った常識を覆そうとする激しいいい方であり、この思い切った言葉の中には氏の思い、つまり多くの人々が陥っている重大な考え違いを正したいという思いが切ないほどに込められている。
氏の言葉として次のような述懐がある。「日本には、わからないことが有難いことだとする変な考え方があります。難しいことを学術的だと受け取る風潮です。わからないことが学術的なのではなく、誰にでもわかることが学術的なのです」。宗教にしろ、哲学にしろ、日本の学問の世界は難しい表現が幅を利かす世界である。実に愚かしいという外ない。
「無記」について
釈迦は「死とは何ぞや」と問われても、「霊魂は存在するか」と食い下がられても、「あの世というものはあるのか」と詰め寄られても、このような問いには一切口を閉ざし、答えなかった。これがあまりにも有名な釈迦の「無記」である。
「無記」とは、人間が命を繋ぎ、生活していくことにとって何の関係もない、頭の中の遊びに過ぎない事柄や疑問、やや哲学的にこむずかしくいえば形而上学的な問いかけに対しては、釈迦は徹底的に沈黙で通した、ということを指す。一瞬ともいえる人間の短い一生の中で、このような無意味な問いにかかずらわっていては迷いのもとになるだけだといっておられることになる。ノーベル賞受賞のヘルマン・ヘッセもこのような形而上学的な問いかけについて次のようにいっている。「それらのことについて考えること、議論することは、一つの素敵で面白い遊戯でしょうけれど、私たちの生活上の問題を解決できるものではありません」
「無記」とは以上のようなことであり、したがってまた、仏教があの世のことに一切関知しないということは、一般にあの世におられると信じられているいわゆる仏(ほとけ)様というものが、仏教の考え方の中にはまったく存在しないということになるのはいうまでもないことである。
また、この「無記」は仏教の土台でもある。冒頭にも述べた通り、これこそが釈迦の教えの大前提であり、仏教という教えの根本的かつ基本的な構え方を示しているという意味で、これを見落としたり、無視して通り過ぎるわけにはいかない。つまりこの「無記」を前提とし、また基盤として仏法が構築されているのであり、これを外(はず)しては仏法は崩れ墜ちる。
「無記」とは、問いに答えられなかった、ということではない。「無記」は、いわば、先ず良く生きるための道を究めようとした釈迦の決意である。いい換えれば、意味のない無駄な論争の弊害を避ける態度を堅持してゆるがないという釈迦の強い意志の表れといえる。
この「無記」については、いやしくも仏教をこころざす僧侶・学者・評論家には広く知られているはずの事であるが、どういうわけかこのことについては正しく伝えられているとは到底思えないような現状である。しかしながら、仏(ほとけ)様が想定されていないことが仏教の仏教たるところなのであり、釈迦の「悟り」の「悟り」たるゆえんである。釈迦は反ホトケを主張して、この教えを打ち立てたといっても過言ではない。この「無記」を無視し、素通りして仏教を云々するのは欺瞞にほかならない。
我が国の仏教についてのこの辺りの理解の曖昧さ、説明のいい加減さを放置していることが、仏教を不必要にわかりにくくしている。また、このことが仏教を習おうとする人々の心にあらぬ疑念を生じさせ、また仏教という科学的ともいえる壮大な教えを単なる迷信とどこが違うのかというレベルに貶(おとし)めているといえる。そしてこのことは同時に、真摯な人々の仏教研究の意欲を大きく阻害し、またそれらの人々を失望に追いやることに繋がり、ひいてはこの国の仏教衰退の遠因を作っているともいえる。
2 仏教に仏(ほとけ)様はいない
「仏」という文字の由来
仏教について何ごとかを語るに際して、改めて確認しておかなければならない大切なことがもう一つある。枝葉ともいえるようなつまらないことと思われるかも知れないが、仏教を正しく理解する上において避けて通るわけにはいかない。それは、仏教の「仏(ぶつ)」という文字から来る誤解についてのことで、その誤解から派生した一般の人々の大きな思い違いのことである。
専門家であるべき僧侶の中にさえそのような思い違い、事実誤認をしている向きが少なくないのは驚きである。
日本では、仏教とは、仏(ほとけ)様がいらっしゃるからこそ、仏教というのだ」と思っている人がほとんどである。しかし事実はまったく逆である。神様・仏様がいないからこそ、仏教なのである。
普通ほとんどの人々は、仏教とは仏(ほとけ)様(さま)についての教えであり、その仏(ほとけ)様とはこの世の外に、つまり天国か、あの世かどこかにおられる超自然的な存在、いわゆる神(かみ)様・仏(ほとけ)様の仏様であり、あるいは釈迦が牟(む)尼仏(にぶつ)、すなわち釈迦牟尼仏としてあの世でお待ちであると信じ切っている。したがって仏教とは、そのような仏(ほとけ)様の教えであり、この世を超えて存在しておられる仏(ほとけ)様(さま)のことを研究し、学ぶのだから仏教なのであり、そのような仏(ほとけ)様がおられるからこそ仏教と称するのだと信じ込み、なんの疑いも抱かない。また釈迦如来なり、釈迦牟(む)尼(に)を、仏(ほとけ)様(さま)と考えて当然のことと思っている。しかし、釈迦如来の如来とは聖人という程の意味での尊称に過ぎなく、また釈迦牟(む)尼(に)の牟尼も同様であり、決して仏様というような超人的な、また超自然的な存在を指し示す言葉ではない。
はっきりいって、仏教には仏(ほとけ)様(さま)は存在しない。何度もいうように仏教はそのような超自然的な存在を前提にしていない。いや、そのような前提をむしろ釈迦自身が拒否し、否定したところから仏教というものは始まっているというべきである。釈迦が悟ったといわれる「正覚」、つまり「諸行無常 諸法無我」こそがこのような超自然的な存在をきっぱりと否定する宣言であったことを無視するわけにはいかない。さらにいうと、禅においてはこのような超自然的な仏(ほとけ)様(さま)というような存在について云々することを一番嫌った。
臨済宗の中国における開祖である臨済義玄が残した言葉に「逢仏殺仏」(仏に逢えば、仏を殺せ)という有名な言葉がある。つまり、そんな人間を超えた化(ば)け物(もの)に出会ったら、即刻そいつを抹殺せよという意味である。実際には、そんな化け物がいるはずもないから、この臨済禅師の言葉の真意は、そんなことをまことしやかに説く奴がいても相手にするな、ということをわざと激しい言葉を使って教えようとしたということであり、それはまたその頃の日本の仏教界が先輩と仰いでいた中国においてさえも、このような迷路に入りかねない禅僧が当時から多かったということをも示唆しているといえる。
「仏」という文字の由来
では、仏(ほとけ)様(さま)がいないのになぜ、仏教という宗教の名前に「仏」という字が付けられてあるのか、なぜ、英語でもブッディズム(Buddhism)とブッという音(オン)が入っているのか、という疑問が出てくるのは当然である。仏教徒を含めて、日本人の多くの人々は、この「仏教」という訳語について大きな間違い、事実誤認に陥っているといえる。古代インド語 → 中国語 → 日本語という翻訳の過程で文化の違いからくる適格な訳語が存在しないという難しい問題があったことが大きく原因しているが、それぞれの国によって、依拠する文化の違いというものはいかんともし難く、致し方のないことであったとはいえ、日本の仏教にとって非常に不幸なことであり、不運な成り行きであったという他ない。よい機会なのでここで、仏教の「仏」、または「佛」という文字について簡単にその由来を明確にしたい。仏教についての誤解を解くためには非常に重要なことなポイントでもあるので少し長くなるがご辛抱願いたい。
「仏」という文字は発音上の当て字
仏教の「仏」という字はインド古代言語の「Buddha」(ブッダ)という言葉よりきており、この「Buddha」とは「目覚めた人」、「覚者」あるいは「覚(さと)った人」を意味する言葉である。仏様を意味する言葉ではない。
この「仏」という文字は、仏教が中国に入った時点で、当時の中国にはこの「ブッダ」というインド語に正確に相当する訳語がなく、翻訳できなかった。そこで、翻訳の代わりにこの《ブッダ》というインド語の発音に近い「仏陀」という漢字で置き換えたに過ぎなく、単なる発音を基にした当て字に過ぎない。
宛て字に過ぎないこの「仏陀」という麗々しい漢字は単に「ブッダ」と発音するための音標文字であって、この文字には漢字としての意味はまったくない。したがって、この仏陀という文字だけを見て、これを意味内容のある漢字であるとか、仏様を意味する漢字であるかのように思い込むことがそもそも間違いの元であり、混乱の原因となる。また日本人は昔から漢字に親しみ、古代世界の最先進国であった中国の文化の象徴としての漢字を崇拝気味に見てきたからでもあろう、私たち日本人にはこの「仏陀」という文字は、それ自体に漢字としての深い意味があるように見えて仕方がないといえるのだが、今いったように、似た発音の文字に入れ替えただけの当て字であるから「仏陀」の「仏」という文字には漢字としての意味はまったくなく「ブツ」という発音記号に過ぎない。
ちなみに、日本語ではよく「仏」という文字を使って、米仏会談や、日仏関係等の言葉で仏国、すなわち仏蘭西(フランス)を表すことがあるが、「仏」という文字がくっついているからといって、フランスを仏教の国だとか、ホトケの国だと思う慌て者はいないし、日仏関係という言葉を日本と仏様の関係と間違える粗忽者もいないはずである。単にフランスの「フ」の音に「仏」という漢字を当てただけである。したがって、「仏陀」とか「仏教」の「仏」という文字を仏(ホトケ)様(さま)と結びつけるのは、同様に間違っている。単純なことでありながら、日本では非常に入りくんで、混乱を極めているから、よくよく気を付ける必要がある。
もちろん、「ブッダ」と発音される古代インド語の「Buddha」には、当然ちゃんとした明確な意味はある。「ブッダ」というインド語の原義は「認識する」、「気づく」、「目覚める」(英訳=known, observed, awakened, fully awake)である。道元禅師も「仏」は「インドではブッダヤという。シナでは「覚」と翻訳する」と記している。したがって、Buddhismを素直に訳して「覚醒思想」とか、「目覚め主義」とでも翻訳した方がわかりやすかったといえよう。
したがって、仏陀とは「目覚めた人、この世のあり姿に正しく気づいた人」というこの世に生きている生身の人間そのものを指し、この世の外にある超自然的な存在を指すものでは決してない。つまり、神様でも、仏(ほとけ)サマでもない。「仏陀」とは悟りを開いた人を指す言葉であり、生身の人間を意味している。
仏教が中国にもたらされた時点で、その「ブッダ」すなわち「悟りを開いた人」を漢字で表音的に表すと「仏陀」となるという訳である。仏陀という文字には日本でいうホトケ様的な意味はまったくなく、単に「覚(さと)った人」という生きた人間を意味するに過ぎない。前節でも述べた通り、日本最高の仏教学者といわれる中村元氏も、日本人のこれらの間違いがよほど気になったのであろう、機会あるごとに「仏陀(=釈迦)は超人でも神でも仏でもないことはもちろん、宗教家でもない。今、ここに生きている人間がいかに生きるべきかを究めた人であったに過ぎない」と強調している。(p12)したがって重ねていうと、カミ様・ホトケ様的な意味での仏(ほとけ)様とか、死体としてのホトケとかは、仏教とはまったく何の関係もないということである。
もう一つ気をつけねばならないのは、日本では「仏」をブッと読まずにホトケと読む場合がある。ホトケさんになってしまった、とか川や海から仏(ほとけ)さんが揚がったなどといろいろないい方があるが、要するに死人なり、屍体を指す言葉であり、また誰でも死ねば仏(ホトケ)になる(つまり死体になる)、といった言い方をしたりするが、これは日本の俗語と理解すべきであろう。ホトケという語が何処から来たのか、いろいろの推測はあるが、どれも確たる根拠はなく、その出所は不明であり、少なくとも仏教の「仏」とは、今まで述べてきた経緯からいっても、何の関係もない。釈迦の入滅(涅槃に入る)とも意味がまったく違う。いろいろなことが混同され、勝手な解釈が行われ、ごちゃまぜもいいところである。たとえば、何かが駄目になって使い物にならなくなったことを「おシャカになる」とか、「お陀仏になる」といったりする。誰かの冗談が時と共にまことしやかに伝えられるようになったとしか言いようがない。
「目覚めた人」とは
先に「仏陀」とは「目覚めた人」のことであるとしたが、禅宗の始祖である達磨の著と伝えられる『血脈論』に「仏陀とはインドの言葉で、わが国(中国)でいう覚性のことを指す」とある。仏陀とは覚性の意であり、覚性とは《目覚め》であり、すなわち《覚(さと)り》である。したがって、仏陀になったからといって決して仏様というような超自然的存在に変身したのではない。繰り返しになるが、日本では普通私たちは仏教の「仏」とは、いわゆるカミ様・ホトケ様の仏様を指すと思い込んでしまっており、それが当然の常識となって誰も疑わないようであるが、とんでもない思い違いであり、大きな誤りであるといわねばならない。「仏陀」とはもともとは、そして本当は決してそんな万能の神様や超自然的な仏様を意味するものではまったくない。大間違いである。また当然、本来の正当な仏教からすれば、単なる偶像に過ぎない仏像を指すものでも決してない。
さらに付け加えると、仏教には「仏陀即ち釈迦の教え」であると同時に「仏陀即ち覚者、または悟れる人になるための教え」という二つの側面がある。つまり仏教は、釈迦即ち生身の人間であるゴータマ仏陀の教えを学びそれを実践し、同時に私たち自身もブッダ即ち「覚者」、または「覚(さと)った人」になることも期待されているといえる。つまり、「目覚めた人」、「気づいた人」になる、ということに尽きるのである。神のごとき存在になれとか、超人になれとかいっているのではない。このことから見ても、仏陀とは拝むものではなく、自分がそう成るべきものなのである。当然のことながら、釈迦は釈迦自身の尊像を拝めとか、礼拝せよなどとは一言もいっていない。
さきほどもいった通り、仏教と、カミ様・ホトケ様の仏(ほとけ)様(さま)のとは何の関係もない。言い換えれば、前項でも述べた通り、仏教には人々に慈悲を垂れ、人々の苦しみを癒してくれるという仏(ほとけ)様(さま)は存在しない。
まずどう生きるかを考えよう
以上、仏教の入り口についての初歩的なことをくどくどしく繰り返したが、それはこれらの誤解、思い違い等が仏教への正しい道、あるいは正しい仏教理解への努力を阻んでいると憂えるあまりである。ことに、この仏教の「仏」という文字についての誤解は仏教理解の根本的な躓(つまづ)きとなる。
なおも繰り返しになるが、ざっくりといえば、「生とは何ぞや」、「死とは何ぞや」、「霊魂は存在するのか」、「あの世はあるのか」など、問いかけそのものが無意味であり、そんな思考遊戯のようなことを論じている暇があれば、どう生きればよいかを考えようではないか、と釈迦は教えたのであり、それが、有名な釈迦の「無記」であり、また「矢の譬(たとえ)」【註】である。つまり、「生きていくためには、とりあえずは必要でないこと」、すなわち上記のようないわゆる形而上学的疑問等は棚上げにして、まず今、私たちがいるこの世をどう生きるかを考えよう、という人生に対する実践的な構え方から始まるのが仏教という「教え」であると受け取るべきである。釈迦は仏像を拝めとか、どうこうすればあの世で極楽へ行けるなどということについては一言(ひとこと)も触れていない。したがって、一般にあの世で待ってくれているという仏(ほとけ)様(さま)については、釈迦の知らぬことなのである。 つまりこれらのことは、釈迦の亡くなった後の世での造りごとであり、後の世の人達の創作である。釈迦自身はこれらの創作とはまったく何の関係もない。信念として「無記」で通した人がそんなことをいうはずがない。
念のためにお断りしておくが、日本において多くの人々が素直に、そして無心に仏像を拝し、仏像を仰いで念仏を唱える風習があることについては、決してこれを批判・排斥するものではなく、またとやかくいうべき筋合いもない。あの世で仏様が待っていてくれると本当に信じられるのなら、それはそれで結構なことである。ただそれは釈迦が開いた仏教ではない。誰か他の人が新たに創った宗教というべきであろう。
また、もし人が何らかの契機によって、仏教を突き詰めて知りたい、場合によっては心のより処としたいと考える場合,以上に説明したような履き違え、思い違いについて充分に理解しておくべきであり、それを放置すると、とんでもない迷路に入りこんでしまう恐れがあり、充分な配慮と注意が必要ではないかと申し上げるのみである。
3 「四苦」について
「四苦」の「苦」は日本語の苦ではない
釈迦が説いたとされる生老病死の「四苦」が 日本では正しく理解されているとは到底思えない。また、「仏教とはこれらの四つの苦痛を克服することを目標とし、四苦という苦しみを癒す宗教である」などとまことしやかに説く僧侶や学者・仏教評論家が多い。まるで仏教という宗教そのものがこれらの「四苦」を和らげ、あわよくば取り除いてくれるものと期待しているかのようである。あるいはこれらの苦痛そのものから逃れるおまじないを教えてくれるものと信じている節がある。しかし釈迦はそんなペインクリニックをやろうというのではない。
釈迦が説いたとされる生老病死の「四苦」の「苦」とは、インド古代言語・パーリー語の「ドゥッカー」(dukkha)からきている。その「ドゥッカー」の意味は、「思うにまかせぬもの」、「意のままにならぬもの」である。この「ドゥッカー」、(すなわち「思うにまかせぬもの」)が中国に仏教が輸入された時、「苦」という漢字に翻訳された。そして日本ではこの「苦」を即「苦痛」や「苦しみ」そのものと受け取ってしまっている。
しかし、「思うにまかせぬもの」と「苦通」そのものとの間には、受け取り方にかなりのずれがある。そしてその微妙ではあるが、大きなずれが生老病死の解釈に大変な差をもたらすことになり、日本においては、もっともらしい、まことしやかな誤解・曲解に結びついてしまっている。「四苦」そのものを癒すことも、滅することも不可能である。釈迦はそんな不可能を説いているのではない。釈迦が説くのは、先程の「ドゥッカー」(思うにまかせぬもの)にあくまでもこだわってどうしても思い通りにしたいと執着する心、すなわち「囚われ」、「執念」を捨てよと説く。人間の悲しみや、悩みは、これらの「生老病死」をどうしても自分の思いのままにしたいという手前勝手な執念から出たものなのだから、そのような執念を捨てよ、それにこだわる気持ちを無くせば「四苦」は自ずと消え去ると釈迦は説き、執着することの愚を諭す。そしてその、思いのままにはどうしてもならないということを明らかに知り、明(あき)らめ、諦(あきら)めて、いっそすべてを受け容れてしまえば、つまり「一切受容」さえすれば、執着の心なり、こだわりの気持ちが消え、それと同時に「四苦」も自然に消え去るのだと教えている。「四苦」の苦とは単なる苦痛や苦しみ、災難を指すのではない。あくまで、「思いのままにならないこと」を指している。
「一切皆苦」という言葉があるが、釈迦は生そのものすべてが苦痛であるなどとは決していっていない。一切の悩み、苦しみは、この世の思い通りにならないことを、無理にでも思い通りにしたいという欲望、即ち煩悩からきていることを指摘しているだけである。「一切皆苦」を「人生はすべて苦であり、苦の連続である」などと有難そうに説く仏者も多いようだが、中村元氏によれば、釈迦はその最後の旅の中で思い出の故郷ともいうべきヴェーサーリーの地を丘の上から眺めて、従者の阿難尊者に、「アーナンダよ。ヴェーサリーは美しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。」と述べられ、
この世は美しい。
人のいのちは甘美である。
と感懐を洩らされたといわれている。この「甘美」のもとの言葉は「マドゥラ」、甘くて、深い味わいがある、という意味である(「『原始仏典』」(二〇一一年 ちくま学芸文庫) 中村元)。
釈迦は、人としてこの世に生きていることが甘美であり、味わい深いものがあるといっておられる。これから考えても、人生そのものが「一切皆苦」という苦の連続であるかのような意味での「苦」という訳語には大きな無理がある。
「生」そのものが苦痛であり、人生を苦の連続であるかのようにいうのは、日本人特有の自虐的偏見であり、自然ではない。たしかにこの世には苦しみは山ほどある。しかし、同時に喜びも、楽しみも少なくはない。日本には昔から、《楽あれば、苦あり、苦あれば、楽あり》、という言葉があり、日本人は皆そのようにこの世を見てきた。楽しみを捨てがたいものとして受け容れているのだから、苦もまた受け入れるのが当然のこととして疑わなかった。その苦だけを取り除いて、楽ばかりにしようというのはいかに大それたことであり、愚かしいことだということを子どもではないのだから、少し考えれば誰でも皆わかるはずのことである。したがってまた、そんな愚かしいこと釈迦がいうはずもなければ、苦痛だけを取り除こうとするような虫のいい企てに手を貸すはずもない。
釈迦が「人のいのちは甘美である」といった通り、人のいのちというものには基本的に大自然の恵みとしての甘みが満ちている。ところが物心がつき、いろいろと思いはじめ、思い通りにしたいという欲が生じるから「苦」が生じてくる。釈迦は、この思うにまかせないものを、無理やり思い通りにしようとする無益な欲望にとりつかれた心をまず捨てて、そのまま受け容れよと教えている。つまり「一切受容」である。苦そのものを仏法が癒してくれるのではなく、また仏法に帰依し、仏教を信仰しさえすれば自然に癒されるというものでもない。
また見方を換えれば、苦痛は人間がこの世で安全に生きていくために大自然が備えてくれた警報装置である。これがなければ人間は生命の危機を感知できない。刃で切られても、剣で身体を突き通されても、もし痛み、苦痛がなければ命を守ることができなくなる。大切な警報装置を取り除こうとする企みを釈迦がするはずがない。
また、釈迦は「ドゥッカー」(思うにまかせぬもの)としての苦を取り除くにはこうすればよいという方法を教えとして差し出しているだけであり、その「苦」(思うにまかせぬもの)を除き、癒すのは自分でやるしかない。『原始仏典』の中で最も人々に親しまれているといわれる「法句経」(=ダンマパダ:Dhammapada)に釈迦の言葉として次のような教えが残されている。
あなたの修行をわたしがすることはできない
自分の修行は自分でしなければならない
わたしがすることは、道を指し示すことだけである
他の宗教はともかく、仏教は単におまじないをしたり、祈祷によって癒されるというものではなく、釈迦のいうのは、みずから修行・実践して、「一切受容」を心から納得出来るようになれば、苦は自ずから消え去る、という教えである。釈迦は癒しのおまじないもしなければ、「苦」からの救出もしない。「苦」から解脱する道筋を指し示しているだけである。
「生老病死」は即、苦痛ではない
「四苦」を取り除くことも、「四苦」から逃れようとすることも、「四苦」を滅する努力も不要である。先ほども述べたように、すべてを受け容れてしまえば、執着の心なり、こだわりの気持ちが消え、それと同時に「四苦」も自然に消え去る。ここのところ釈迦は説いている。(イチロー)手前勝手な欲望が問題の根源であると釈迦は説いている。どうにもならないことと覚知すること、望んでも無理なことと明らかに知ること、つまり《明(あき)らめること》、即ち《諦(あきら)めること》を覚(さと)れば、悩みは自ずと消えざるを得ない。消すのでもなければ、滅却するのでもない。明らめて「一切受容」すれば、四苦の方から自ら勝手に消えていく。したがってこの「苦」(ドゥッカー)とは苦痛そのものではない。「悟り」を開いたとて苦痛がすべてなくなるわけではない。依然として楽あれば苦ありの世界はそのままである。
釈迦の説くこれらの「四苦」を「苦しみ」あるいは「苦痛」という一つの概念の中にごちゃ混ぜにして、「一切皆苦」をさも深遠な真理であるかのように大げさに説くのは、とんでもない大きな誤りであるといわざるを得ない。「苦」(dukkha)について釈迦は教えを垂れたといっても、身体と生命を守ってくれる警報装置としての痛み、苦痛そのものを取り除こうというのではない。また、先ほどもいったように、まるで医師が鎮痛剤でも与えるようなペインクリニックをやろうというのではない。釈迦自身も最後の旅で病に倒れている。「悟り」を開いたとはいえ、「病」を取り除いたわけでもなければ、「病」にかからない身体になったわけでもない。また、「病」からくる苦痛を逃れたわけでもない。釈迦も恐らく、晩年の病気のときにはかなりの痛みも感じていたことだろう。そして釈迦自身、「老」から自由になったわけでもなく、「死」を逃れたわけでもない。
「老」にしても、これを単純に苦であるとして忌避するのはあまりにも一方的な価値観を押し付けるものだということになる。今でこそ「老」は前期と後期に分けられ、過ぎ去りつつある世代という認識と扱いが当然であるかのようであるが、かつては「老」が尊ばれ、尊崇の対象になった時代もあった。老成とか、古老とか、老師とかの言葉がそれを示している。老成の時を人生の至福の時と観る賢者・聖人も昔は数多くいた。年寄りが、年寄りであるというだけで尊崇される社会であれば、老年を決して単純に否定的に捉えはしなかったはずであり、単なる「苦」とは思わなかったはずである。ところが作今は、一般に人は青春時代を人生最上の時と思っているようだ。実際には苦しみ多く、自殺の多いのも青春時代である。「老」と聞いて、ああ、生老病死という「四苦」のうちの一つであるから、即苦しいもの、忌避すべきものととるのはいかがなものか。
「死」そのものが苦痛であるかのようにいうのは、これもよくよく考えれば根拠は非常に薄いといわざるを得ない。いや、根拠が無いといえる。死を実感した人も、実体験した人もこの世に存在しない。死についての苦痛や、恐怖はすべて人間の頭脳が描く言葉による幻影であり、妄想といえる。そのようなものが人に直(じか)に苦痛を与えるはずはない。そう妄想し、その影に脅えているだけだ。「死」とは実体のない言葉であり、当事者である自分自身にとっては、私の死とはこれだと指し示す事実の存在しない、単なる観念としての言葉に過ぎない。すべてはより長く、でき得れば永遠に生きたいと願う虫のいい心根から悩みが発している。限りなく生きたいが、どうやらそうはなり難いと知る。つまり思うに任せない現実がある。それを「ドゥッカー」という。生も老も病も同じである。先ほどの老も、いつまでも若くありたいというむやみな、盲目的な思いが苦を生む。若いことが老よりも価値があるという思い込みが災いして苦を生み出しているだけだ。
ともかく、サンスクリット語の「ドゥッカー」を「苦」と訳すことは、中国ではいざ知らず、日本においては非常な無理がある。この訳語が生み出す現況を考えれば、誤訳に近いといえるのではないか。人々を誤らせやすいという意味においても、誤訳というべきである。
したがって、生老病死が四苦であるといわれて、なるほど、生老病死は人生の四大苦しみだな、などと珍妙な納得をする必要はないし、また、さも仏教の真髄を悟ったかのようなしたり顔で「一切皆苦」を解説し、人生とは苦の連続であり、苦そのものであるなどと人に説き、教えを垂れるのも笑止としかいいようがない。しかるに、多くの仏教学者、僧侶がこの誤った四苦をさも難しそうに解説し、「苦」を滅する方法を論じることのなんと多いことか。
良寛の有名な言葉『災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候』もこのことをいっている。この良寛の言葉こそまさに「一切受容」の心を象徴しているといえる。この言葉の前提として自然の成り行きに逆らうことなく、素直に受容する心がある。この受容なくして、この良寛の言葉の理解は不可能であろう。老いが訪れれば老い、病になれば病む。悟ったからといって老人が若返ることはなく、病が癒えるわけでもない。死をも忌み嫌わず、すべてを自然のこととして受け容れない限り、何処にも安心立命などあり得ない。そして一番大事なことは、願っても無駄なことに身心をすり減らさず、「一切受容」して、いかに生きるかを問うことである。
人生は大いに楽しむもの
あえていえばこの「四苦」について、日本の人々は長い年月にわたって仏教について大きな思い違いをしてきたといえる。もちろんそれは仏教を説く僧侶の側にも大きな責任があり、怠慢がある。
繰り返すが、人生は決して一切皆苦ではない。「一切皆苦」などというのは似非僧侶あるいは似非宗教評論家の単なる脅しに過ぎない。また、この「一切皆苦」という言葉から敷衍して、仏教はあきらめの宗教であり、ペシミズムである、早く浄土を目指す厭世の教えであるという見方があるが、とんでもない話であり、その逆である。仏教とは、いかに心楽しく《 いのち 》を輝かせて生きるかを説いている教えである。釈迦は、先ほども引いた「ダンマパダ」(=「法句経」)という『原始仏典』の中でいっている。「人生を楽しもう」。それも単なる「楽しもう」ではない。「大いに楽しもう」である。
さて、随分長い前置きになってしまったが、仏教をあり姿のままに理解するためには避けて通れない過程であり、上記のことをそれぞれ納得していただいて、やっと釈迦の教えの入り口に立つことになる。
4 「縁起」こそ仏教の主柱
「縁起」= 「諸行無常 諸法無我」
「縁起」の教えこそ仏教の主柱であり、その教えの核心である。この「縁起」の教えは、いくら議論しても論じ尽くせないほど難解であるとされるが、その根幹は、「諸行無常 諸法無我」という一節の言葉の中にしっかりと表現されているといえる。
釈迦が菩提樹下での坐禅・瞑想から得た「正覚」とは、人間の手前勝手な「苦」(ドゥカー = 思いのままにならぬこと)に囚われ、その「ドゥカー」から派生してくるあらゆる種類の欲望や勝手な思い込みによって惑わされたりすることなく、この世のすべて一切をありのままに観じ、そしてそれをそのまま、ありのままに受容することを指す。「正覚」の正は正誤の正でもなく、正邪の正でもない。ありのままそのままに、という意味である。ところが、釈迦の「正覚」の内容としてのこの「縁起」の解釈については、一般の人々だけでなく、仏教関係者にも大きな誤解がある。そしてこの仏教の教えの核心ともいえる「縁起」についての根本的な思い誤りのために、人々の仏教理解が実に重大な間違いの迷路に陥っているということにほとんどの人は気付いていない。これは仏教国といわれる日本にして、この認識不足は驚くべきことという他ない。
因果応報と捉えるのは間違い
「縁起」とは、俗に因果応報とか、善因善果、悪因悪果とかいう、いわゆる善いことをすればよい結果に繋がり、悪いことをすればその罰を受けることになるという単純な子どもだましのような話とはまったく違ったことである。原因が先にあって、その後にそれなりの結果がくるというような時系列的な時間軸を基底にした因果応報説などとは、この「縁起」の教えはまったく異なったものであり、似ても似つかぬものと承知した方が正解である。
京都は浄土宗法然上人ゆかりの法然院にいくと拝観券を買う際に渡されるパンフレットがあるが、そこに法然上人の言葉がいくつか掲げられている。その第一番に
われらの往生は、ゆめゆめわが身の善し悪しにはより候(そうろう)まじ
(私たちが極楽に行けるかどうかは、私たちのなすことが善であるか、悪であるかには一切関係がない)
とある。如何に善いといわれることを積み重ねようとも、極楽往生できるかどうかとは何の関係もない、との法然上人のお言葉である。つまり仏教の根本は、先ほどの善因善果、悪因悪果とか、また因果応報などということとも何の関係もないといい切っていることになる。いやそれどころか、わざわざ「ゆめゆめ」という強い言葉を使ってこうまで明言するのは、この肝心のところを取り違える人があまりにも多いのを憂え、このことをしっかり納得させるための法然上人の強い警告であるといえる。(写真)
ちなみに、『広辞苑』によれば、「縁起」とは、「いかなる存在も永遠普遍の実体を有しないということ」となっている。ということは、この世には究極的な善悪は存在しない、ということを指し示していることになる。ここから親鸞聖人の「善人なおもて往生遂ぐ、いわんや悪人おや」という一節の言葉が生まれてくる。「縁起」の意味にについては、後ほど詳しく触れたい。
また、この「縁起」を「縁起がいい、あるいは縁起が悪い」というような日本語から類推すると、とんでもない間違いになることはいうまでもない。先に序章において河合隼雄氏が「自己」のあり方について論じた折に、この「縁起」を「関係」という言葉を使って説明していたように、この「縁起」という壮大な教えを単なる言葉で叙述することは容易なことではない。あえて言葉にして説明しようとすれば、次のようないい方でしか表現できないといわざるを得ないだろう。つまり、釈迦の言葉として「縁起」の説明によく使われる、
これある、ゆえに、かれあり、これ生ずれば、かれ生じ
これなければ、かれなく、かれ滅すれば、これ滅す
という一節である。簡単な叙述であるが、その意味するところは難解であり、通常の合理的理性では理解不可能といって過言でない。この叙述から「縁起」の意味するところが、単に原因があるからその結果が生まれるのであり、悪いことをしたらその報いが必ず来る、というような誰にでも思いつく因果応報という考えを指すに過ぎないとしたら、何も釈迦の「悟り」を待つ必要は少しもない、ということになる。
したがってまた、この「諸行無常」を、平家物語の冒頭で語られる「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」のような美文調の語りのなかに表現されているいわゆる世をはかなみ、諦(あきら)めの情緒に浸る諦観(あきらめ)の教えであるとか、もののあわれの情感を歌い上げたものであると解釈するなら、それは私たち日本人特有の情緒に過ぎる性質が筋違いの解釈に導いてしまったものという他ない。「無常」を「無情」と取り違えているところもある。
釈迦の仏法とは、そのように情緒でべとつくようなものでなく、早くいえば、もっと乾いている。カラッとしているといえる。釈迦の眼差しはもっと冷徹・非情にこの世の姿を見透しているといえる。その結果としてのこの「縁起」の覚(さと)りであるというべきである。
さらにまた日本では、「諸行無常 諸法無我」の中の「諸行無常」があまりにも有名で、この一句がことあるごとに方々で引用されるが、実は後の句の「諸法無我」と一体になっており、この「諸法無我」こそが「縁起」の中心思想を端的に表しているともいえる。そしてこの一句に釈迦の革命的な覚りが表現されているといえる。
にもかかわらず、なぜこれほどまでに「諸行無常」ばかりが喧伝されるかというと、どういうわけか日本では、先にも述べた通り、仏教とは諦観すなわち「あきらめ(あきらめ)」の宗教だという抜きがたい俗説があり、それが通説になってしまっているという事情がある。 つまり「諦(あきら)めのこころ」こそ、釈迦の教える無常の境地であるというような俗説を信じ込んでいる人が多い。そのような俗説をまことしやかに響かせるために、この「諸行無常」の一句がピッタリであり、日本人のこころはこの情緒的な語感に魅了されてきたともいえよう。しかし、「諸行無常」とは、そんな情緒的な「諦(あきら)めのこころ」とは何の関係もなく、それどころか、仏法はもっと積極的な生き方の勧めであり、決して先に述べたような「あきらめの境地に浸る」といった感傷的な情緒を意味するものではない。「諸行無常」とは、万物はとどまることなく移ろいゆくもの、如何なるものも永遠に変わらぬ姿を保つものはない、すべては一瞬も止まることなく変化していくのであり、同時にまた、この世に常に変わることのない「真理」というようなものも何ひとつとして存在しないという冷徹な世界観を指している。
「諸法無我」の「我」とは
これに対して「諸法無我」の方は少し入りくんで複雑であり、単に字面の漢字の意味から解釈しようとすると誤ることになる。「諸行無常」の方は漢字の意味通り解釈して、当たらずといえど遠からずだが、「諸法無我」の方はそう単純ではない。つまり、「無我」の「我」は単に漢字の字面の意味から類推すると、とんでもない間違いになる。
仏教をインドまで遡って研究する人にはよく知られたことであるが、この「無我」の「我」とは、もともとはバラモン教のアートマンという梵語(サンスクリット語)を指し、「事物の本質」とか「究極不変の存在」とかを意味する。物事を突き詰めていくと最後に残ってくる究極不変のもの、変わることのない本質という意味である。それはまた、同時に「真理」をも意味するといえよう。つまり、
「我」= アートマン(ātman)= 究極不変の存在 = 真理(ātman)
となり、この「我」とは、漢字の唯の「我(われ)」ではなく、アートマン即ち世界の究極的根源を意味する言葉である。そして、この真理という意味での「我」をこそ、釈迦は「無我」といい切り、「我」の存在を、つまり「究極不変の存在」をきっぱりと否定したことになる。したがってこの「我」を否定することは、同時に、「事物の本質」とか「究極不変の存在」とか「真理」とか、これらすべてを人間の思考が欲念から生み出したありもしない単なる観念に過ぎないとしてその存在の否定を意味する。すなわち、無我とはアートマンとしての「我」の否定であると同時に、「真理」の否定でもある。すべては移り変わっていくものであり、永遠に変わらないものごととか、永遠に存在する真理など、そんなものはこの世に無いとはっきり否定したのがこの「諸法無我」という言葉である。釈迦のこの「縁起」の教えは、当時インド社会に深く浸透していたバラモン教の根幹を否定する革命的な観点でもあったといえる。つまり、アートマン(我)の存在を信じる当時のインドでは、釈迦の「諸行無常 諸法無我」、つまり真理とか本質などこの世のどこにも存在しないという考え方は、実に革命的な考え方であったといえよう。
したがって繰り返しになるが、この「我」をいわゆる単なる「われ」とか、「私」と解釈し、「無我」だから「我」が無い、つまり無私ということになり、「無我」とは自己が無欲になったすがすがしい心の状態を指すなどという、いかにもわかったような大間違いを臆面もなく説く仏者がいるが、釈迦が説いた「無我」とは、そんな自己が無欲のすがすがしい姿になる、などとはまったく関係ない。あるいはまた、この「我」という言葉は、普通日本でよくいわれる無我の境地とか、無心の勝利というような些細な個々人のことを扱った話しでもない。我執を捨てた「無心の勝利」も結構だが、釈迦の説くところはそのような一個人の功利的な筋道の問題を追及してのことでもまったくない。つまり先ほどの「これある、ゆえに、かれあり、これ生ずれば、かれ生じ これなければ、かれなく、かれ滅すれば、これ滅す」と表現されている「縁起」の教えとは、この世、つまり世界全体がどのように成り立っているかをありのままに直視した釈迦の発見であり、「諸行無常 諸法無我」とは、その世界がいかなる姿であるか、それを描写した言葉である。「諸行無常 諸法無我」とは、単なる一片の情緒的な経文ではなく、それほど重大な意味合いを持つ釈迦の悟りの高らかな表明だったというべきである。したがってこの教えは「究極不変の存在」とか「真理」の存在を否定した教えであるという意味でも、「癒(いや)しの教え」などという安易で甘ったるいものではなく、それどころかもっと冷徹な、突き放した考え方であり、要するにこの世には頼れるものは何もない、ということの覚悟を人間に迫っている教えであるともいえる。言い換えれば、人間が拠って立つ基盤なり、根拠は何処にも存在しない、という厳しい現実をまず直視せよと迫っていることになる。このことの直視、すなわち、ありのままのまっとうな認識、すなわち「諸行無常 諸法無我」という「正覚」があってはじめて「悟り」なり、「解脱」への道が開かれることになる。
この「諸行無常 諸法無我」はまた、まさに序章でふれた「崖を落ちる」そのものであり、頼るべきものもなく、ただひたすら落ちていくだけの人生のありのままの姿を白日の下にあらわに示し、まずこの現実を受容すべきであると説いていることになる。
諸法無我の意は、何度も繰り返すように、一言でいえば、万物にはその存在の根拠となるものは存在せず、この世のすべては現れては次の瞬間には消えていく幻のようなもの、という認識であり、それがありのままのこの世界の観方(みかた)ということになる。そしてこれが、釈迦の諦観の基盤である。この「諦」の意味は「明(あきら)める」であり、諦観=明らかに観る、であり、いわゆる「あきらめの境地」とはまったく異なる。give up ではなく、look clearly である。そして何のために明らかに観ること、すなわち「正覚」を勧めるかというと、いかに正しく次の一歩を積極的に踏み出すかを、つまり「いかに良く生きるか」を見極めるためであるといえる。よってまた、あえて再度繰り返すが、仏教は一般によくいわれるような諦(あきら)めの境地というような消極的な姿勢をすすめるものでは決してなく、先にも述べた通り、もっと積極的な生き方の実践的な道筋を指し示すものであり、したがってまた、決して「癒(いや)しの教え」でも「救い」でもない。仏教を癒しの宗教であると捉える風潮が一般に多いが、とんでもない話で、それは誤り伝えられた幻想とでもいう他ない。大安楽、安心立命を目指すという意味で癒しの宗教といえなくはないかも知れないが、仏教は単なる理論に止まることなく、三学、すなわち「戒、定、慧」の「定」、つまり禅定(座禅)を基盤とした確たる身体的実践を伴った教えである。よくいわれるように、ご本尊といわれる仏像の前に坐ってお坊さんの説教を聞いていれば自然と癒される、というようなものではない。先にも述べた通り仏教とは、自分で自分を癒す、その癒し方を説き、自分で癒す道の勧めであり、教えであるというべきである。したがってまた、決して誰かが救ってくれるというような救済の宗教でもない。このことは先ほどの釈迦の言葉(p30)通りである。
以上要するに、釈迦はこの世の多くの悩める人々の姿を見てこれを憐れみ、できるだけその悩みを少なくするための科学的な身体技法、すなわち禅定を含めた実際的な道を説こうとした。苦を減ずれば、それだけ楽に近づき、その楽の極まるところは極楽である。この世での極楽を目指したのであり、決してあの世でのお話しではない。日本人は仏教のことというと、あの世の話と早合点している人がほとんどだが、何度もいうように、釈迦はこの世をどう生きるかについて説いたのである。その教えの中身はすべてこの世のことである。あの世の話ではない。
仏教の教義をあまりむつかしく考えないことである。ことに大乗仏教以降の教義はなるほど精緻深遠で見事なものであるが、あえて大胆にいえば結局は僧侶・貴族等、知識階級の自己満足に終わっており、かつての日本仏教の総本山とも思われていた叡山を捨てた法然や、道元の行動も、一口でいえばおどろおどろしい迷妄に陥っていた当時の大乗仏教への反撥であり、その証左ともいえるのではないか。道元が帰国後にあえて示した大乗経典軽視の言動も、大乗仏典の形骸化を暗示している。道元が「学道の人、教家の書籍及び外典等を学すべからず」といい、法然が「愚かなるこそうれしけれ…」と詠み、一休禅師が大乗経典を「便所紙と代わらぬもの」と言い放ち、さらに、「臨済宗の宗祖である臨済義玄禅師は、その有難いお経で何のためらいもなくお尻を拭いた」と付け加えたのも、その表れである。 したがって、道元禅師は「仏道をならうというは、自己をならう也。自己をならうというは、自己をわするる也。・・・」と説いた。大乗経典を読めとか、大乗の理論を研究せよ、などとは決して言っていない。いやそれどころか、仏道を習うには、そんなものを読んだり研究するのは不要であるとさえいい切っている。(p000)
ところで、仏教には定められた「聖典」というものは存在しない。キリスト教には唯一の定まったものとして、バイブルという聖典があり、イスラム教にはクルアーンがある。それぞれ唯一無二の聖典とされているが、仏教にはそれらに相当する唯一無二の聖典というものはない。いわゆるお経(きょう)といわれるものは実に数知れぬほど多くあり、日本においてはおおまかには二種類に大別され、その一つは『原始仏典』といわれるものであり、もう一つは大乗仏教の流れに沿う大乗経典と総称されるものである。『原始仏典』の方は釈迦がこのように述べたという言い伝えを集めたものであり、「如是我聞」(わたしは是(これ)の如く聞いた)という文字が釈迦がいったといわれる言葉の冒頭に置かれていることが多い。時間的にも釈迦に一番近いとされ、それでも釈迦入滅の約二〇〇年後に言い伝えを文字にして編纂されたものであり、残念ながら間違いなく釈迦が自ら説いたこととしての確証はない。さらに、もう一つの大蔵経と呼ばれる大乗教典も、さらに三〇〇年ほど経過した釈迦入滅五〇〇年後のことであり、はるか後の世の誰かによる造りものという意味で「偽経」とも称される。いずれにせよ、結局は人それぞれの、自分が納得いくかどうか、己が心に響くものであるかどうかの判断に帰するというしかない。
ちなみに、梅原猛著『梅原猛、日本仏教をゆく』(二〇〇九年、朝日文庫)には、次のような一節がある。
佛教には大乗仏教と小乗仏教があるが、大乗仏教こそ真の仏教であり、小乗仏教は取るに足らぬものであると長い間日本の仏教者は信じてきた。しかしこのサンスクリット原典研究に基づく西欧の仏教学は、小乗仏教こそ釈迦の仏教であり、大乗仏教は仏滅約五百年後に出現した龍樹の開いた異端仏教ともいうべき新仏教であることを科学的に証明した。
また、中村元著『原始仏典』(筑摩書房)の解説の中で、宮元啓一氏が、『原始仏典』の一つである「スッタニバータ」を「きわめて合理的な思惟に貫かれたもの」であり、「最初期の仏教は、いわゆる宗教ではなく、透徹した哲学だと初めて知った」と述べておられる。加えて、この原始仏教の流れが西欧における仏教学の成果として明治時代の日本に、奔流のように押し寄せた。その結果、大乗仏教は釈迦が説いたものではない(大乗非仏説)ということが、パーリ仏典研究を通じて明らかになってしまった。当時の日本の仏教学研究者のほとんどが僧籍にあったという状況から、まさかみずからが属する宗派の開祖たちの教えや大乗仏典の教えが仏説ではないとあからさまにいえるわけでもないため、真摯な研究者ほど苦悶の道を歩まざるを得なかった、と当時の苦しい状況を洩らしておられる。そして「その状況は今日でもそう大きくは変わっていないように見える」という。
難しいお話でもなければ、神秘的な教えでもない
さて、では、どのように仏道をならうべきか。
道元禅師は禅こそ正伝、つまり釈迦入滅以降の色んな人達の解釈を経ない、釈迦の教えそのままに伝わったという意味で「禅」こそ正伝の仏法だと主張した。そして、その正法眼蔵において、「仏道をならうというは、自己をならう也。自己をならうというは、自己をわするる也。・・・」と説いた。禅とはどのように自己を忘れるかを探っていく実践的技法であるといえる。
ここまでるる述べたとおり、仏教には決まった一筋の道というものはない。「八万四〇〇〇の法門がある」といわれるゆえんである。これだけの数の仏教の教えへの入り口があるということを指している。しいてその理由をいえば、先ほども触れたように、仏教には唯一の聖典というものが無く、また同時に、仏教は唯一絶対的な神(かみ)様・仏(ほとけ)様を想定していないからともいえる。仏教は神様・仏様のお告げでもなければ、預言でもなく、生身の釈迦という人間のプラグマティックな教えであり、また実証的ともいえる身体に即した教義である。したがって天からの救済を説き、それを保証するといったようなものでもない。救うのは自分でやるしかない、他人が救えるものではない。自分で自分を救う方法を説いているのが、釈迦の教えであるということになる。
欧米では仏教をどう捉えているか
日本では仏教を信じる人は減りつつあるようである。もう二世代も後になれば、寺院仏閣の文化財的遺構だけが残った形骸化の姿が思いやられる。それでも今はまだ何かを求めて仏教に興味を持つ若者はかなり存在すると思われるが、しかし、日本の仏教の現状はこれらの科学の洗礼を受けた若者達を結局は失望させ、説明を聴けば聴くほど、いかにも難しいだけのわけのわからない印象だけに終わってしまう。そして、そこから先は、信心だ、信心が大切だ、理論からでなく、信心から入るべき、といったもっともらしい押し付けで、逆に真摯な人を遠ざけてしまう結果に終わっていく。このような現状は、一九九五年に事件となったオウム真理教の例に見られるように、知能豊かな若い人たちをとんでもない新興宗教に追いやることになる。
この日本における現状にひきかえ、仏教は欧米人を魅了する流れが大きくなりつつあるようだ。ことに米国に多い。先に亡くなったスティーブ・ジョブス氏、俳優リチャード・ギア、歌手ティナ・ターナー、ゴルフのタイガー・ウッズ等々、国会議員もいれば、黒人政治家もいる。 「仏教に何らかの重要な影響を受けた」と答えた人が、二〇〇七年調査で二五〇〇万人いたという。驚くべき数字である。日本には家の宗教が仏教で、宗旨はなになに宗ですと答える人はゴマンといるだろうが、仏教に重大な影響を受けたと誇らしげにいえる人が果たして何人いることだろう。仏教国だといわれるにしては、お淋しい限りである。このことからもいえることは、仏教がこのように日本と欧米でまったく正反対に近い受け取られ方をしているという事実は、どちらかが大きな間違いを犯しているといえるのではないか。
日本では仏教を論じるようとすると、ともすれば「まず信じることだ」とか、宗教は「信じることから始まる」とか言われることが多く、そのような通説がもっともらしく、大手を振ってまかり通る。それを聞くほうも、そう聞いていかにもわかったような顔をし、納得したつもりでいる。
欧米の人たちは仏教を「信じる宗教」(Religion of faith)ではなく、「目覚める宗教」(Religion of awakening)である、と捉えている。「目覚めた人」になることを素直に、そして一直線に目指し、あの世の事とか、ホトケ様とかいうような余計な寄り道に惑わされることなく、二一世紀にふさわしい宗教としての正しい仏法の道を歩もうとしているといえる。先に、仏教とは仏陀になる教えでもあると説明したが、まさにこれら欧米の人達は仏陀、すなわち「目覚めた人」を目指し、目覚めようと努力する修行にダイレクトに入っていけるのである。途中で大蔵経典を研究したり、ホトケ様のことなどに寄り道させられることもなく、直接に「目覚める道」、「気づきの道」に向かって行ける流れの中にあるといえる。
欧米の識者の中には、仏教を高く評価する人は少なくない。中でもH.G.ウェルズは仏教についての深い理解を示す次のような言葉を残している。「仏教によれば、人間の苦悩は自分の欲望に対するこだわりからくる」。彼は「四苦」の苦が単なる苦しみ、苦悩ではなくドゥッカー、すなわち、思うにまかせぬものを指す、ということを正確に理解しているといえる。一方日本では、「四苦」というものは自分が生みだしているものであるという釈迦の言葉をそっちのけに、つまり受容さえすれば「四苦」は簡単に消滅するという釈迦の言葉を理解できず、今もなお人生は「四苦」だ、「一切皆苦」だなどと口々に言い、「四苦」を有難がっていれば仏教だと思っている。日本に仏教徒は多いが、仏教をまっとうに正しく理解し、釈迦の教えを実践する正しい道筋に乗れている人のいかに少ないことか。
以下に外国の人々が仏教をどのように見ているか、ご参考までに列挙する。残念なことではあるが、 多くの日本人が仏教を、単なる葬式のための儀式、葬式仏教と認識している今日の現状とは大きな開きがあることに気付いて頂けよう。
現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものがあるとすれば、それは仏教です。
・・・ アインシュタイン
公平に、どの点から見ても、世界で最大の偉人は仏陀釈迦である。 ・・・ H.G.ウェルズ
仏教はキリスト教に比べて100倍くらい実際的である。仏教は歴史的に見て、唯一のきちんと理論的にものを考える宗教といえる。(注1) ・・・ F.W.ニーチェ
解決することのできない問題について思い煩うことはおやめなさい。神あるいは世界精神の本質に関する問題や、宇宙の意義と支配に関する問題や、世界と生命の発生に関する問題は、解決できないものです。それらのことについて考えること、議論することは、一つの素敵で面白い遊戯でしょうけれど、私たちの生活上の問題を解決できるものではありません。あなたは生きる理由も知らずに、この世に存在しているのです…。 ・・・ ヘルマン・ヘッセ
素粒子の研究に、ギリシャ思想はまったく役に立たなかったが、仏教には多くを教えられた。(注2)
・・・ 湯川秀樹
これらの言葉を見れば、いかに仏教が実際的な教えであり、先に紹介した宮元啓一氏が、仏教を「きわめて合理的な思惟に貫かれたもの」であり、「最初期の仏教は、いわゆる宗教ではなく、透徹した哲学だと初めて知った」と評しておられるのも頷かれるところである。
また河合隼雄氏は文部大臣時代に出版された対談の中で「最近、欧米にいくと、仏教に対する関心が高まってきているのを感じる。単なる異文化への興味としてではなく、自らの生き方を考える上において参考に、また指針にしたいという、誠実さが感じられる」と述べておられた。これは二十一世紀になって盛り上がりつつある欧米の人々の仏教に対する関心が、 生半可のものではないということであろう。
(注1):ここにいうキリスト教とは、パウロによって創始されたといわれているキリスト教であり、
ナザレのイエスが広めようとした教えを指すのではない。
(注2):湯川博士のいうギリシャ思想とはギリシャのプラトンに始まり二十世紀までの西洋哲学を指す。
サピエンス
2020.9.9