3月28日。西キャンパス正門。東キャンパス正門から大学通り越しの景色。学生はこの横断歩道を行き来する。
同じ位置から谷保方面を見る。
この写真は見覚えがないでしょう。大学通り側から見た旧専門部校舎です。老朽化に伴う大規模修繕で周囲の見通しが良くなっています。ほとんど使われずにいましたが私はここで大畑末吉教授のドイツ語原典購読をしばらく聴講しました。
旧専門部校舎の正面。入構制限が厳しくてここまで入るのに私はしばらく守衛と議論しなければならなかった。この正面しか見たことがなかったので小さな建物と思っていたが前掲の写真は奥行きも深いことを教えてくれた。改修後は活用されるに違いない。
これは前日夕刻の花見客。小雨に降られて駅へ向かう。
小平2年、国立2年計4年に過ぎなかった学生生活も掘り起こせばいろいろあったのだと思う。処分したつもりの「一橋寮誌」が4冊だけ手元にある。欲しいと言われたのでいずれ大学図書館に寄付すべきだと思っている。このようなものがいつまで出されていたものかわからない。現在図書館には何も無いに等しくパンフレットのような寮誌が数件だけ保存されていた。年2回の発行だったようでここにあるのは1954年と1955年のもの。ほかに読んだ記憶のあるものが見当たらないし処分した記憶もあるのでその間の事情を知る人、あるいは実物を保存されている方にはご教示いただきたい。
私が保存した記憶があったのは第8号で津田塾へのストーム事件について短文を載せていた。編集委員の浅井満蔵君が部屋に来て「お前寮生大会で発言していたのだから何か書け」というのがいきさつであった。この号には一橋寮廿周年記念として「先輩を囲んで」という座談会の模様が掲載されている。5号と8号の目次を添付しましたがこのほかには随想、創作、詩・短歌などがあり多士済々であった。
最後に、日々のニュースを追いながら読んだ本を2冊。プーチンは一旦は収束したチチェン戦争を蒸し返して第二次戦争(1999~2009)を戦った。今回ロシア軍にチチェン部隊が加わっているという報道が気になった。新疆における中国政府の振る舞いを具体的に知りたくてウイグルの再教育収容所の本も読んだ。習近平はプーチンと同じ穴のムジナとしか思えない。