コロナ規制が緩和されて以来,中断されていた大人数での会合が堰を切ったように押し寄せてきた。
その多くは恒例行事の復活である。
5月には大阪倶楽部住金会、如水会大阪支部の定時総会、住特金和彊会、住金入社同期会、
6月には神戸大写真部OB会(凌影会)総会・撮影会・懇親会、芦屋写真展2023、鹿島アントラーズ激励会などが予定されている。
如水会大阪支部総会では本年度の行事予定(案)が議論された。その中のメインイヴェントは「新年賀詞交歓会」と「納涼の集い」である。
そのプログラムとしては「講演」と「余興」が中心となる。2019年新年賀詞交歓会では、羽島が企画した「大正琴バンド~万華鏡」が高評価を博した。愚妻の親友が主催する尼崎のトラキチ熟女のバンドである。メンバー全員生涯二十歳と称し、海外にも出掛け演奏をしています。
この時期大流行していた「DA PUMPのU.S.A.」の曲に合わせて若手会員がダンスをしたり、
カラオケ部主将のT会員が加山雄三顔負けで「君と何時までも」を絶唱するなど大いに盛り上がったのです。勿論、タイガースファンの愛唱歌「六甲颪」も組み込んだ。録音を聞くと巨人フアンの私までが美声を張り上げている。また関西経済連合会会長松本正義住友電工会長の出身校洲本高校に因んで、関西知らぬ人のないCMソング「ホテル ニューアワジ」の一節も挿入した。
「大阪ラプソディー」で始まった演奏の掉尾を飾ったのは、ウイーン・フィルのニューイヤー・コンサートに倣ってラデツキー行進曲である。
8月末までの期限付きではあるが、アップロードしたので下記のURLをクリックしてお聞きください。パソコンに保存することもできます。画面の指示に従って行ってください
FILE: 19.01.19如水会大阪支部新年賀詞交歓会/大正琴バンド.mp3
URL: https://83.gigafile.nu/0830-bf7014db79dbecd90a4cdd84ff057e1ee
削除KEY: 57b5
支部会員から本企画に対し高い評価を頂いたので、老生は2020年の「納涼の集い」の企画に取り掛かった。2019年納涼の集いでは河合摂子さんのピアノ伴奏でソプラノ歌手宇留嶋美穂さんが「オペラで祝福」、2020年の新年賀詞交歓会では「女性4人による弦楽四重奏」と上品なクラシック系が続いたので、2020年の納涼の集いは肩の張らないエンターテインメントでどうだろうと考えたからだ。
そこで思いついたのは2019年が童謡100周年だったので、童謡唱歌の路線で行こうと決めた。
その時の提案書はこんな内容だった。全文を引用します。
令和元年6月12日
如水会大阪支部 定例行事の講話と余興についての提案
S33 羽島賢一
1.提案の概要
唱歌・童謡について、講話と100人以上の規模で『歌声喫茶』を開催する。
平成30年は、大正7年(1918)鈴木三重吉が童話と童謡の児童雑誌『赤い鳥』 を発刊してから100周年に当たる。赤い鳥運動とも呼ばれるが、それを契機に、海外の名曲を参考に編まれた文部省唱歌から脱し、日本独自の童謡の名曲が続々と誕生した。
100周年に当たって、『こころに生きつづける歌 童謡・叙情歌への想い 二宮清/加藤登紀子』が上梓された。著者の二宮清氏は羽島の友人であり、加藤登紀子さんの兄の京都支部会員加藤幹雄君(S36年・住金の後輩)とも面識がある。二宮清氏に『唱歌・童謡の素晴らしさ』について講演を依頼する。
引き続き、うたごえ喫茶の店『あかとんぼ』を経営し、各地で舞台演奏をしている米村博実氏にアコーディオン伴奏と歌唱指導をお願いし、会場を歌声喫茶店化する。
因みに、愚妻羽島敦子は米村博実氏と懇意である。
2.二宮清氏のプロフィル
唱歌・童謡研究家。ライフワークとして唱歌・童謡の歴史の研究に取り組む。また、作詞者・作曲者の歌碑・記念館や生家などのゆかりの地を訪ね、それぞれの歌の誕生の経緯・背景を学び続けている。1943年、大阪市生まれ。68年、大阪大学大学院基礎工学研究科修了。沖電気を経て、ダイキン工業入社後、総合企画室主席研究員、電子技術研究所所長などを歴任し、2000年同社常務取締役に就任。その後、同社顧問と(公財)関西文化学術研究都市推進機構の理事・プロジェクト長を務め、けいはんな学研都市の文化・学術の振興や産官学連携事業に従事してきた。
現在はダイキン工業の社友と(公財)モラロジー研究所の特任教授およびジャトー株式会社技術顧問を務める。宝塚市在住。工学博士 ・・・羽島のダイキン工業時代の同僚です。
https://tech.nikkeibp.co.jp/it/article/COLUMN/20060423/236000/
著書 : 唱歌・童謡で学ぶ 伝え続けたい日本のこころ単行本 – 2012/11/16 二宮 清 (著), 李 広宏 (著)
関連する書籍として、『教科書から消えた唱歌・童謡』 単行本 – 2002/4/1横田 憲一郎 (著)』があります。
3.米村博実氏のプロフィル
年齢は、正確には分かりませんが、今年の年賀状に「古希目前」と書かれています。
神戸市垂水区で歌声喫茶の店『あかとんぼ』を経営する傍ら、各地で歌唱指導など
をしておられます。一例として下記に示します。
2007年に、西宮北口「兵庫芸術文化センター・中ホール」で開催した大規模 歌声喫茶の情景を下記に記します。アコーディオンは米村氏、歌い手は羽島夫妻の友人元タカラジェンヌ、司会は羽島敦子でした。
緑色の服の女性は羽島の家内です。
4.その他
上記の著作物は羽島が所持しています。お求めがあれば、いつでも持参します。
以上
この企画は大阪支部執行部で承認され、関係者との間で実施計画を作りかけた2020年初頭、コロナが襲来し、中断を余儀なくされ今日に至っています。この度、大阪支部の役員も改選され、これまでの事情をご存知ありません。そこで定時総会を機に本企画を再提案したところです。
冒頭に記した鹿島アントラーズ激励会とは、アントラーズの前身である住友金属蹴球団OBを中心に作られたもので、老生は蹴球団に所属したことはないが、住金蹴球団からアントラーズへの移行期から関係が深く、Jリーグで神格化されている鈴木満常務取締役強化部長が製鉄所勤務時代の部下だったこともあり、今でも欠かさず激励会には参加している。今回の激励会はスズキマンちゃんの退職慰労会も兼ねて行われる。
1993年Jリーグ発足直後のジーコとのツーショット写真、並びにダイキン工業を退社した時ジーコから頂いた色紙を掲載します。色紙には「ハジマサン ガンバッテ クダサイ」と記されています。
今季は超不調でスタートしたアントラーズですが、このところ好調で4位を確保しているので喜んでいます。
続いて芦屋写真展について補足します。
2011年に発足した芦屋写真協会は「美の創造、美の発見」を合言葉とする写真団体です。現在の会員数は65名前後です。羽島のように中学時代から写真を始めたのはごく少数で、ほとんどがサラリーマンを卒業してから写真を始めた方々ですが実力者揃いです。
協会は海外の写真団体と提携をし、現在は、フランス・ルーマニア・ポーランドの写真愛好家たちと交流をしています。年間を通して国内外数多くの写真展を開催しています。その中で唯一の公募展が「芦屋写真展」です。内外から約180名の応募者から600点前後の作品を応募されます。この中には会員の作品も含まれます。一次審査で選んだ250点程度を兵庫県立美術館に展示して、その段階で二次審査を実施します。最優秀作品にはパリ往復航空券が与えられます。そんなことから本写真展のキャッチフレーズには「Road to PARIS]が使われています。
審査員も写真評論家飯沢耕太郎・ファッションデザイナー&アーティスト コシノヒロコさんなど幅広い分野から選んでいます。平均年齢75歳前後の実行委員は老骨に鞭打って役割を全うすべく奮闘しています。もちろん最年長は羽島です。受け付けた作品を管理台帳に入力するのですが、スプレッドシートで17列×600行にもなる膨大なデータインプットは高齢化とともに困難になり、今年からは羽島の二男の嫁に時給2000円で依頼しました。彼女は住友ゴムのCAD&CAMエンジニヤーですからお手の物です。
この管理台帳をもとに各種の作業の際に使う書類を作っています。審査作業、審査結果の報告作業、入選作品の連絡、宛名ラベル作成、入金管理、目録作成、展示作品のキャプションなど様々な作業が管理されます。
芦屋写真展では、海外提携団体から送られてきた作品45点と、神戸大学はじめ大学写真部の参加作品100点弱が展示されます。羽島は学生部長として対応しています。展示物の設営は高所作業が多く、以前は障害保険をかけて会員で行っていたのですが、最近はギャラリー設営の専門業者に依頼しています。
コロナ前まではパリ写真協会の代表者も来日されていたのですが、本年は欠席となっています。
芦屋写真協会のHPは https://ashiyaphoto.jp/ です。
最後にエピソードを一つ、それは2014年の納涼の集いでの出来事です。事件と言っても良いでしょう。大阪支部M前幹事長の奥様が所属する和太鼓集団が出演しました。舞台中央の太鼓には「昭和三十三年卒剣道部一同」と書かれているではないですか。わざわざ見てもらえるよう正面に向けています。団員に尋ねると「メルカリ」で買ったと言ってました。どんな事情があったのでしょうか?数奇な運命の太鼓ですね。大阪支部のS34卒の剣道部OBに聞いても答えはありませんでした。剣道部OBのQ高橋健夫さん並びにその他の部員の方ご存じないですか。全体画面の右の女性がM夫人です。