33年ネット諸兄姉どの(2024.11.17)
「パンドラの箱をあけたソ連(=ロシア)の行きつく先は」
昨日、NHKラジオで日本でも「1932‾1933年のウクライナ大飢饉の中でスターリンの苛
酷な徴求による餓死者数百万人をだした、ホロモドール(Holodomor Ukraine
genocide)の追悼式が行われたことが伝えられた。本件は2022.06.02映画「赤いい闇
―スターリンの冷たい大地」の要約をお伝えした。ロシアに関して書くのは2年ぶり
になる。
これも、終活の一環として拾い読みである。文芸春秋1988(H元年)年六月号に伊東
憲一「この目で見た改革派の大勝利―パンドラの箱を開けたこの国の行きつく先は」
と題する論文がのっていた。
★筆者;伊東憲一( 1938年3月7日 - 2022年3月14日)
東京都出身。1960年に一橋大学法学部を卒業し外務省に入省。ハーバード大学留学等
のあと、在モスクワ、マニラ、ワシントンの日本大使館書記官、南東アジア一課長な
どを歴任し、1977年に外務省を退官した。外務省退官後は新自由クラブの一員となる
一方[4]、1980年から2006年まで[5]青山学院大学に助教授・教授として在籍するかた
わら、1980年から1987年までジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS) 東京代
表を務めた[6][7]。また、新自由クラブ時代の縁で、大来佐武郎の公益財団法人日本
国際フォーラムの設立に参画した[7]。Wikipedia
そうか、同時代の人間であったか。彼の卓見は見るべきものがある。生きていればぜ
ひ話を聞きたい一人である。
この小論は、彼が1988(H元年)3月24日から4月8日まで15日間、ソ連と西欧回って
来た時の感想文と彼のロシアに対する考え方を述べたものであるが、感想は省略して
彼の考え方には共感を覚えるので紹介してみたい。
つでながら、わたしが1973年ロンドン赴任でモスクワ・シェレメチュボ空港に降りた
ときは、ターミナルへ向かい歩くとき、両側に銃を持った兵士が並んで警護してい
た。ブレジネフの時代、空港は軍の管理なのだなと思った。
★三層の殻の外側に向かって
旅行の感想の最後に、わたくし(伊東憲一)の総括的な感想を述べてしめくくりのこ
とばとしたい。「ソ連は三層の殻のなかに入っている」というのが、わたくしの持論
である。卵でいえば黄身にあたる最深奥部にあるのが、1930年代以降形成されたスタ
―リン体制的ソ連の殻である。これを第一の枠組とよぼう。その外に、1917年のレ―
ニンの革命によってつくられた社会主義的ソ連の殻がある。これを第二の枠組とよぼ
う。この外に、帝政ロシア以来の長い歴史のなかで形成されてきたロシア =スラブ的
ソ連の殻がある。これを第三の枠粗とよぼう。
現在進行中の・ぺレストロイカ「再構築(再革命)」のプロセスが、スタ―リン的な
第一の枠粗を乗り越えようとするものであることは、もはやだれの目にもあきらかで
ある。問題は、社会主義的な第二の枠組を乘り越えようとするものであるか、どうか
であろう。ゴルバチョフにそのつもりがないことは、かれ自身の発言から明らかであ
る。しかし、わたくしは、ゴルバチョフの意思と無関係に、かれが引き金を引いたぺ
レストロイカのプロセスは、いまや第二の枠組みを乗り切る方向に走りだしたと考え
る。
国内のデモクラチザーツィアやグラスノスチ(ペレストロイカの一環として「情報公
開」)がその強で大きく逆戻りすることは、もはやありえないであろう。しかし、と
いうことは、ソ連がただちに西側のようなデモクラシーの国-それが良いか悪いかは
別にして ―になるということではない、とわたくしは考えている。ここで、多分わ
たくしは西側の大部分のゴルバチョフ崇拝者たちと意見を異にすることになるのだろ
うと思う。私見では、第二の枠組をはみだしたソ連は、そこでただちに西側諸国の体
制に合流するのではなく、そこで母なるロシアの大地にいったん帰るのである。そこ
では、 ロシア =スラブ的な第三の枠組が、ロシア革命という放蕩をしつくした息子
の帰ってくるのを待っているのである。在米の亡命ロシア詩人のレフ・ロ―ゼフ
(?)は「人民代議員選挙の結果は、十九世紀スラブ主義者の主張した ロシア古来
の価値観-調和とコンセンサスを重視する権威主的民主主義 ーへの回帰を意味する」
という。ロ-ゼフは「複数政党制のもたらす妥協」を「酸っぱい」と形容し「コンセ
ンサスのうえに築かれる調和」を「美しい」と表現する。「権威的」とはそれが ―
チエックス・アンド・バランセズ」に依存しないからであるが、それにもかかわらず
「民主主義」なのはそれが「人民の承認と支持を存立の要件とするからである、と説
く。ロ-ゼフの指摘にふくまれるロシア的な感覚の側面を理解できないひとに、ソ 連
を理解することはむずかしいと思う。そういうひとたちは今日ソ連に進行しつつある
デモクラチザーツィアに 対する西側の価値や制度の影響力を無意識のうちに過大評
価しているのである。しかし、ロシアほどの大国が動くときは、その主たる動因は内
発的なものであることを知る必要がある。 ロシアはロシアの内発的な必要によっ
て、その独自のデモクラナザーツィアを進めているのである。
ロシアが、ほんとうに西側のデモ クラシーと合流するときはーもっともそういう厳
密な意味であれば、わが日本の民主主義というものも「ほんとうに西側のデモクラ
シーと合流しているのかどうかは、改めて問い直されねばならないであろうがー第三
の枠組が取り払われたときである、といわねばならない 。ところで、しかし、現実
のソ連はそのような「権威的民主主義一へ向かってその秩序を再建築しうるのであろ
うか。現実には、一方でこのようなデモクラチザーツィアの進行が政治的*社会的な
既成秩序の弛緩ないし 崩壊をもたらしつつある間に、他方で経済改革の失敗が、国
民生活水準の停滞ないし下落を同時進行させつつある。「政治的なパンドラの箱は開
いた」にもかかわらず、国民の経済的な不満はむしろ増大しているのである。ここか
ら、現夷に予測されるコースは、新秩序の建設であるよりは、むしろガバナビリ
ティー(統治可能性 )の 喪失にともなう政治的混乱である、といわざるをえない。エ
リッィン現象は、国民のまえにおける党のパーセブション(認識)の変化の確認で
あったと思う。党はもはや国民とともある選良なのではなくて、かつての帝政貴族た
ちと同様に、むしろ一般庶民と対立する「特権階級」として 認識されたということ
である(プーチンが表に出てくるときの衛兵のしぐさは他国では見られない)。グル
ジアの民族の騒動に対処するためトビリシを訪れたシェワルナゼ外相が「西側諸国と
対話できる党が、なぜこれまで自国の国民と対話できなかったのか」と嘆いた由であ
るが、党をみるソ連国民の目は、リクルー卜汚職に汚染された自民党をみる 日本国
民の目以上に厳しくかつシニカルである。そして、遠雷のようにいまや非ロシア民族
の民族意識の高揚の雄叫びも聞こえてくる。ソ連帝国は、まさにこれから内患の時代
を迎えつつある、といわなければなるまい(グルジア、チェチェン、今まさにウクラ
イナである)。
彼は、最初にソ連については、ソ連の国家*社会の体貿や行動の多くを、1917年に忽
然としてこの地上に姿を現したマルクス主義のイデオ ロギ-の権化としてよりも、む
しろ帝政ロシア以来のロシアの悠久の歴史の流れのなかで理解しようとする立場であ
る。イワン大帝以来五百余年にわたる「不断の、しかし慎重な対外膨張」という歴史
的事実や市民的契約観念の欠如の伝統からくる 「力の支配」の根本的体質に着目し
て、ソ連を理解しようとする立場である。また、日ソ関係については、第2次大戦末
期に生じた異常事態としての北方領土問題 の解決を避けて通ることのできない課題
としてとらえる立場である。
★KGBの役割
わたくしは、ロシア =ソ連の国家・社会の諸体質の根源を「力の支配 」に求める
立場をとってきた。いまでも、その立場を基本的に変える必要はないと思っている
「力の支配」が極限に達したのは、スタ ーリン時代であったが、スターリンの支配
を可能ならしめた万能の道具は KGBであった。 KGBをマルクス主義のーつまり革命の
産物のように思っているひとがいるが、大きな間違いである。KGB は帝政時代の政治
秘密警察オフラ-ナの生れかわりであり、 ロシアの「カの支配」の伝統の嫡出子であ
る。ソ連のデモクラチザ ―ツィア (民主化 )の行方を考えるとき KGBの「カの支
配」とデモクラチザーツィアの「法の支配」は、ゼロサム (一方の進出 は、他方の
後退 )の関係にあるからである(プーチンの出身がKGBであることは忘れてはならな
い)。
ところで、しかし、 最後にソ連とわれわれとの関係に 対するこれらすべてのことの
もつ意味合いは、いかなるものであろうか。第一の枠粗を抜け出て、第二、そして第
三の枠組へと進みつつあるソ連は、われわれにとって依然として 手強い交渉相手で
あろう。しかしこのプロセスのなかで、ソ連の外交がより国益志向型の外交となり、
われわれにとって分りやすく、また共通のことばの多いものとなるであろうことは、
予想できる。 対話をすすめることによって、共通の利益を迫求し、かつ拡大するこ
とが、可能かつ必要になろう。
1991年にベルリンの壁が壊され、ロシアは西欧的民主主義化すると思われたが、
あっという間に
彼のいうイワン大帝以来五百余年にわたる「不断の、しかし慎重な対外膨張」という
歴史的事実や市民的契約観念の欠如の伝統からくる 「力の支配」の根本的体質にハ
ンドルを切ってしまった。ついで、日本の民主主義体質についても触れている(まさ
に、いま議論されようとしている)。
イチハタ