12月16日(土) 20:13
諸兄
午前中囲碁室で2局打ち、勝った。女性で、2子置かせるとなかなか勝てない。
午後、熱海短歌教室であった。小生の出詠は、
<エスパルスからくれないの一年は今宵の分けで昏黒となる> であった。
先生の講評は「昏黒はいい言葉を見つけた。サッカーの歌は珍しい。」であった。概ねよろしいということである。
なんの具合いだったか先生の息子のお嫁さんの話になった。
インドネシア人なのだそうだ。インドネシア一番の大学の院卒で、もう漢字混じり日本文でメールをくれるそうだ。
結婚式をしたのはバンドン会議が開かれたホテルで、先生が泊まったのは周恩来が泊まった部屋だったそうだ。
バンドン会議と言えば1955年ネール、スカルノ、ナセル、周恩来が開いたアジア・アフリカ会議である。日本から参加したのは高碕達之助だった。
さぞかし古いホテル、古い部屋だつたろう。
孫は息子の赴任先のデンバーで生まれた。18才になった時、日本、インドネシア、米のどの国籍を選ぶだろうと笑っていた。
夜はカラオケクラブだった。
丁度12月15日で、赤穂浪士討ち入りに因んで浪曲俵星玄蕃を20分謡ってくれた人がいた。良かった。
小生が歌ったのは、誰もいない海、北の蛍、錆びたナイフ、であった。
いろんな人が居る。
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