憲法が保障する「信教の自由」
――神学者である森本学長は、宗教の価値について広く発信してこられました。元総理の銃撃事件(昨年7月)は許されるものではありませんが、それ以降、宗教の在り方や、信仰と社会の関係性が改めて問われている状況を、どのように見つめていますか。
事件を機に、反社会的な団体と一部の政治家との関係性が明るみに出ました。それまで蓋をされていた問題が顕在化したことは、良いことだったと思います。
一方で、この問題と共に論じられがちな「宗教二世」を巡っては、少し注意が必要だと考えます。まず大前提は、宗教が関わろうと関わるまいと、子ども一人一人に人権があり、尊重されなくてはならないということ。ネグレクトや体罰、自由の侵害が許されてはなりません。
それを前提に申し上げたいのは、人が自分の信仰を大事に思い、子々孫々に伝えたいと考えるのは、当然であるということです。かつそれは、憲法で保障された「信教の自由」に含まれると思います。
子どもに何を教え、どう育てたいのか。教育には、常に価値観が含まれます。価値中立はあり得ない。とりわけ信仰に関しては、親の考えが子どもに影響を与えるのは自然ですし、子が幼いうちは、そうあって然るべきです。それを否定するのは、それこそ信教の自由の侵害になります。
「宗教二世」の切実な訴えは、次世代に信仰を伝えるという本来の目的が失敗していることを示しています。虐待や強制という方法では、信仰は伝わりません。彼らの親や教団は過ちを正さねばなりませんが、日本では世論がそれらの宗教をまるごと否定したり、危険視したりしがちです。これでは別の人権侵害を引き起こしてしまいます。
世界の教育のスタンダード
世界人権宣言には、「何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない」とあります。子どもの教育は、「自己の私事、家族、家庭」のことなので、親に優先的な権利があるということです。
日本では、公教育が第一で、私教育はそれを補完するものと考えられがちです。しかし本来は、家庭をはじめとしたプライベートな教育がまずあるべきで、それが十分行き届かない場合に、公教育がお手伝いをする。まずは親が、自分の子どもの教育を担うのが、世界のスタンダードです。
アメリカではしばしば、保守派のキリスト教の人たちが、公教育とぶつかります。例えば、聖書に書かれた「創造物語」を信ずる親たちが、科学的な「進化論」を教える公教育を否定し、子どもを家庭で教えるか、自分の教派の学校に通わせます。
私は進化論を否定する彼らの考えに賛同しません。それでも、その考えに従って子を育てるのは、親の優先的な権利なのです。人それぞれの「正しさ」や価値観が尊重される。そうした中で、人権感覚が養われていくのだと思います。
――世間の“空気”が正しさを規定するのではなく、人それぞれの価値観が尊重されるよう、人権意識を育むことは重要です。
アメリカ東部や中西部に、「アーミッシュ」と呼ばれる人たちが住んでいます。キリスト教プロテスタントを信仰する保守的なグループで、公共電力も使わず、車やスマートフォンも持たず、自給自足に近い生活を送っています。
彼らはアメリカ国民です。しかし例えば、アメリカの義務教育は高校までですが、アーミッシュでは、学校教育は14歳まで。公立学校ではなく、自分たちのコミュニティー内で教育を行います。そうした独自の教育方針が、連邦最高裁判所の判決において許可されているのです。
世間一般と異なる考えを持つ人々の扱いに、その国の人権感覚の成熟度が表れていると感じます。
あるいは、ユタ州を拠点に活動するモルモン教は、初期には一夫多妻制を教義としていました。しかし19世紀末、ユタ地域がアメリカの「州」になることが決まると、その教義を放棄して一夫一婦制になりました。社会に適合するために、宗教のほうが変容していったのですね。
一方では社会の側が、多様な価値観を尊重し、他方では宗教の側が、社会に適応してかたちを変えていく。この相互作用が、社会と宗教の健全な関係性を保っていくのだと思います。長く生き延びて発展していく宗教は、時代に合わせて変容する知恵と柔軟性をもっている。それは歴史の常でしょう。
自らの幸福に責任を持つ
――近著『不寛容論』は、トランプ氏からバイデン氏へと、アメリカ大統領のバトンタッチが決まった2020年12月に出版されました。寛容でありたいと考える人が、なぜ、不寛容に陥ってしまうのか――。コロナ禍の中でも重要なテーマを取り上げています。
例えばコロナ禍の中で、マスクをするのか、しないのか。これまでは政府が方針を示してきましたが、最近では個人の判断が基本となりました。自分のことは自分で決める。そこには責任が伴います。自分で決めたことによる帰結を、引き受けていくということです。これを繰り返して、人も社会も成熟していくのだと私は思います。
寛容とは、自分と異なる人や、自分が否定的に評価するものを、受け入れること。無関心なことに対しては、そもそも寛容にも不寛容にもなれません。日本人は、宗教に寛容でも不寛容でもなく、「無寛容」なのです。
ところがこの無寛容は、時として、凶暴な不寛容に転じます。自分に無関係なうちは鷹揚にしていた人が、ひとたびそれを“異物”として認識するや否や、徹底的に排除しようとしていくように。
そうならないためには、自分で決めて、その帰結を引き受ける覚悟を身に付けることだと思います。
自分の生き方を選び取っている人は、人をうらやんだりはしません。反対に、自分の生き方に自信を持っていない人は、それができている人に対して、危機感や脅威を感じるものです。だから、“宗教を信じている連中は……”と不寛容を露わにする。根本的には、自分の選択した人生に自信がないのでしょう。
これは突き詰めれば、自らの幸福に責任を持つべきだということです。
日本国憲法にも、アメリカの独立宣言にも、「生命・自由・幸福の追求」の権利を保障する、とあります。生命と自由はそれ自体を保障しているのに、幸福については、「追求する権利」だけを保障しているのですね。
なぜか。幸福そのものは保障できないからです。「これがあなたの幸福です」と、一様にいえるものではない。だから最終的には、自分自身で幸福になる道を選び取るしかない。憲法が保障しているのは、その選び取る権利のほうです。
アーミッシュ村の民宿で。(2004.10.21)
上:Q真栄城朝敏君
下:Q真栄城&森夫妻
この民宿では公共電力が使われている。
アーミッシュの人々は馬車で交通していた。
wiki画像の馬車
アーミッシュのマウスパッド
森本学長の著作の一部
あらゆる人権に先立つ大原則
――『不寛容論』では、集会・結社・言論・出版などのあらゆる自由が、「信教の自由」に帰着することを、イギリスからアメリカにやって来たピューリタン(注)の群像を通して描かれています。
例えば「言論の自由」は、もともとは宗教的な言論の自由のことです。当時のイギリスでは、国家や教会が認めた特定の人だけが説教することを許されていた。これに反対し、「説教の自由(Freedom to preach)」を求めたのがピューリタンです。それが「言論の自由(Freedom of speech)」の出発点となりました。
あるいは、「集会の自由」。コロナ禍で、人が集まる場での“人数制限”が設けられましたが、17世紀のイギリスでは、ピューリタンの礼拝を禁止するために、「5人以上が集まってはいけない」といった法律が定められています。その弾圧に抵抗してピューリタンが掲げたのが、「集会の自由」です。
同じように、「結社の自由」も「出版の自由」も、信仰活動を妨げようとする働きに対する、ピューリタンの抵抗から育まれたものでした。
このように、今日の人権の基礎にあるのは、「信教の自由」なのです。このことが、日本ではあまり理解されていません。
何かを信ずる・信じないという内面の自由は、他のいろいろな自由に先立つ大原則です。ですので、“宗教は自由を抑圧するものだ”という考えは、一面的すぎると思います。
(注)イギリス国教会体制に反発したキリスト教プロテスタントのグループ。その多くが17世紀、イギリスの植民地だったアメリカに移住した。
「不寛容」を理解してこそ
――「寛容論」ではなく、「不寛容論」をテーマにされた理由は、何でしょうか。
一般に、寛容は美徳であると思われています。「不寛容ですね」と言われて、喜ぶ人はあまりいないでしょう。でも考えてみれば、誰もが万人に対して、寛容であり続けることはできません。例えば、戦争や虐殺をする人間に寛容にはなれないし、なるべきでもありません。全ての文化で同じ価値観が共有されることはない以上、時と場合によっては、不寛容にならざるを得ないことはあります。
そう考えると、私たちに必要なのは、寛容の理解や押し付けではなく、不寛容の理解だと思うのです。
不寛容な人々にも、それなりの理由がある。それを何とかして理解しようと努力しない限り、互いに歩み寄ることはできません。
それと、自分は寛容だと思っている人や国にも、不寛容なところは必ずあります。そのことに自分で気が付かないと、相手を責めるばかりで対話が成り立ちません。「不寛容という限界があってこそ寛容が生きる」という意味で、『不寛容論』を書きました。
そこで紹介している、アメリカ植民地時代のピューリタンであるロジャー・ウィリアムズは、先住民や異教徒への寛容を実践しました。彼の寛容は、宗教への無関心からではなく、燃えるような信仰心から出ています。何かを信じることの尊さを知っているからこそ、自分とは異なる信仰を持つ人にも、尊さを見いだすことができたのです。
無関心から来る寛容は、ひとたび自分の身に危険が迫ると、たちまち吹き飛んでしまいます。しかし、信ずるがゆえの寛容は強い。嵐の中でも揺るがない、「筋金入りの寛容」です。そうした寛容が、社会を根底から変える力となっていきます。
「最低限の礼節」を守る
――立場や意見の異なる人との出会いでは、全てを分かり合えない場合もあります。不寛容に陥らないために、心掛けるべき点は何でしょうか。
親しい人との間や、時には家族の中でも、全ての意見が一致することはないですよね。それでも一緒にやっていかざるを得ない。そうしたとき、両手を広げて、心の底から相手の全てを受け入れなくてもいいのです。心掛けるべきは、「最低限の礼節」を守ることだと思います。
小手先の対応だと思われるかもしれません。でも、これからの社会では、価値観や世界観の異なる人との出会いや交流がいっそう増えるでしょう。その中で共存するためには、どうするか。相手に賛同はできなくても、それでも受け入れていくための現実的な知恵が、求められていると思うのです。
礼節を守るということは、対話のチャンネルを開き続けること。分かり合えない相手や、自分を批判してくるような人に対しても、関係を切らないことです。忍耐です。礼節を保ち、つながり続けていく。するといつかは、それまで気付かなかったような、相手の一面が見えてきたりするものです。
イエスの言葉に、「汝の敵を愛せよ」とあります。博愛を説いた言葉でもありますが、同時に、「敵」は必ずいるということです。反論してくる人は必ずいる。それでも共存しなさい、と。
この実践を貫ける人は、自分自身を肯定できる人でしょうね。他者に攻撃的な人は、自分が何かに脅かされていると感じている人です。不安なのです。だから、どこかで誰かに、自分の存在を無条件に認めてもらうことが大切です。
信仰とは、そういう無条件の肯定や是認が与えられることだと思います。そういう信仰を共有する人々が周囲にいれば、さらにそれが実感できるでしょう。そのつながりの中で幸福を見いだし、真の寛容を育んでいけるのだと思います。