00055 2025.7.31
寒い冬だったので今年はとりわけ桜の開花が待ち望まれました。国立も大学通りを中心にして花見客が押し寄せました。そのような時に「如水会々報」で堀江秀昭君の訃報を知りました。そのすぐ前に山岳部時代から山行を続けていた上原利夫君の訃報を見たばかりでした。ご冥福をお祈りする次第です。
堀江君からは例年同様、雪山をデザインした年賀状をもらっていたばかりでその後2月8日に死亡の報せは意外でした。同君は96年3月に発足した「ミミ歩会」のリーダー格で健脚、河岸段丘の街、沼田市の出身。温和な人柄が偲ばれます。私は吉野山の桜にご執心の丸山則二君に連れられて2度吉野の桜を見に行きましたが一回目は安原和雄君、二回目は堀江秀昭君が加わりいずれも3人連れの遠征でした。
私の手許には堀江君が作成したミミ歩会の107回(08年4月16日権現山)までの山行リストが残っています。ミミ歩会の正式発足は96年3月2日ですから最初の12年間の記録です。私のメモには13年4月(今熊山)の記録があり、ミミ歩会はその後も数年続いています。原則自由参加ですからこのうち半分に参加したとしても、よくも歩いたもの、歩いてよかった、と思います。私はこのほかにも国立国分寺支部の山行にも参加して幾つかの東北の名山(燧ヶ岳、那須、安達太良、蔵王、月山、鳥海
山)にも登りました。こちらは数回に分けた秩父34観音の巡礼を達成したところで終止符を打ちました。この会はまだ続いていますが小平支部と合同した「里歩きの会」になっています。私個人としては2020年のコロナの襲来が諸悪の根源、すべてのアウトドア・スポーツが終り、老化現象に拍車をかけられたように感じています。
前回の「読書遍歴」は昨年8月の20回以来8カ月ぶりでした。この間怠けていたわけではなく、新三木会と縁が深まってその会報に同会の講演に合わせて以下のタイトルで数回出稿していました。「古地図の世界」、「デフレ・インフレと日本経済」、「日米開戦はなぜ回避できなかったのか」、「太平洋戦争の歴史(原爆とソ連の参戦)」、「投資の世界」などです。
前回テーマに取り上げた森嶋通夫教授の著書『血にコクリコの花咲けば』(朝日文庫)には、「いしぶみの会」作成の『80年目のレクイエム』に記載のある村越祐三郎氏について硫黄島に赴任する直前の村越(森嶋中尉が「通信学校時代最も親しくしていた」)の消息が書いてあるのに気がつきました。同書168頁ですが167頁には村越がその1人である硫黄島の通信隊の働きを想像を絶するものと書いています。同書には森嶋瑤子夫人が解説を書いていますがその中に以下のような文章があります。「村越少尉の話は本書では10行足らずの短いものだが、私は何度聞いたことだろう。…
『貴様はよいところに決まってよかったな』と言い残して死地に向った村越少尉との別れは、彼の人生に決定的といってよいほどの影響を与えたと私は思っている」。
『80年目のレクイエム』には硫黄島で戦死したこと以外の情報がないので同会あてに一報しておきました。
添付した国立の桜の写真は東キャンパスまでの最初の4枚が3月30日、後の3枚が4月5日の撮影です。