P半澤健市:市畑兄新天皇コメント紹介拝読2019.10.28
半沢君のご意見を参考に
「令和の天皇の行方」をまとめてみました。
以下です。
33年ネット諸兄姉どの
2019/10/20 (日) に諸兄姉に「令和の天皇の在り方論」をお送りした。
これに対して半沢君からご意見をいただいた。
22日(火)「即位礼正殿の儀」も終わった。朝日は「令和の天皇―象徴の行方」を27日上・28日中・29日下を連載した。そのうち政治利用の危うさを書く(下)のみ添付しておきたい。半沢君は、この問題を二つに分類した「一つは、戦争犠牲者の慰霊・鎮魂の問題二つは、天皇個人と天皇制の問題である」という。わたしは、この問題は天皇個人の問題が最重要だと思っている。令和の天皇に関して批評家若松英輔は云う(2019.10.18朝日)『全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています-上皇美智子さまは皇后時代の文書回答にそう記しました。皇室の「祈り」とは何か。皇室に受け継がれている宮中祭祀だけではなく、上皇ご夫妻が繰り返してきた戦没者慰霊や被災地の慰問も「祈り」です。現地に足を運ぶことは被災者を励まし、何かを与えに行くだけではありません。この世にいない人の語られざる思いや、災害で家や家族をなくした人々の悲しみを、わが事として引き受ける。苦しむ人から学び、苦しみを受け取りに行く行為こそ尊いということを、上皇ご夫妻は体現されていたのだと思います』
靖国神社に行き「どこの国にも、国のために亡くなった方々に対する慰霊の場があり、慰霊行事を行っている」という。高級車を乗り付けて拝礼と玉串ぐらいで済ませるほど不精な慰霊行為はない。それよりも前に、神になった英霊に慰霊を行うということは何だろう。わたしは若松英輔の主張する「共感」を加えて「祈りと共感」を持って「行動する」象徴天皇に賛成である。前回、現天皇が2019年全国戦没者追悼式で「深い反省」は継承された。令和の天皇にも「祈りと共感」が引き継がれることを期待する。
白井聡(国体論-菊と星条旗、2018.04.22 集英社)でいうように、政治を超えた、あるいは政治以前の次元のものであると思う。それにこの文章には皇室外交の危険を主張している。しかし、日本は全方位外交こそが生きる道だろう。日本の利益になる皇室外交をどんどんやるべきだ。わが母校の渡辺治や吉田裕は、憲法の解釈論的には正しいのかもしれないがきわめて狭量で温かみがないように思える。加えて渡辺治の「国民が自らの主体的責任で解決すべき問題」と言っているが、戦争の責任すら明らかにできなかったこの国では無理だろう。
かねてからわたしの主張だが天皇は「インパール白骨街道」や「シベリア日本兵墓地」に行ってもらいたい。
2019.11.04イチハタ