令和の天皇の在り方論
33年ネット諸兄姉殿
10月22日(火)は大嘗祭である。
若槻泰雄(日本の戦争責任 2000.10.20 小学館)によれば”宮中の伝統”と称するものも、明治からはじまったものが多いという。すなわち宮中の儀式を仏式から神式にしたのも明治初年以来であって、即位式を従求の唐制風から日本古代の衣装束帯にすっかり改めたのも明治天皇からで、大嘗祭が新しい様式になったのもこの時であるという。(p242)
令和の天皇の象徴天皇としての在り方について議論が
朝日2019.10.08作家赤坂真理「象徴は箱の中に何入れる」
朝日2019.10.10一橋大学特任教授吉田裕「戦没者慰霊の在り方議論」
朝日2019.10.11評論家若松英輔「祈りを姿を変えつつ継承」
これらの意見をすべて紹介することはできないが、2019.03.07一橋大学の名誉教授渡辺治「政治的行為の拡大を許した」、2019.10.10一橋大学特任教授吉田裕「戦没者慰霊の在り方議論」を紹介しておきます。
要は本来政治が取り組むものを天皇に丸投げした。これが天皇の政治行為を拡大したという意見である。渡辺治は国民が主体的責任で解決すべき問題だという。吉田裕も現状のように天皇に丸投げするのではなく、どういう形で天皇が戦争の歴史に向き合っていったらいいのか、政府や国会、社会が議論し、その行動が憲法の枠内にとまっているのかどうか目をこらすべきですという。
白井聡(国体論-菊と星条旗、2018.04.22 集英社)によれば2016.08.08テレビで述べられた上皇天皇の「お言葉」に関して「さて、以上のような「お言葉」の解釈は、その内容に政治的意義を読み取ることによって「天皇の政治利用」につながるとの批判を招くことか予想される。またあるいは、天皇の発言に霊性に関わる次元を読み込むことは、『天皇の権威主義的な神格化』につながるという批判も予想される。白井聡は、自らの展開してきた「お言葉」の解釈が、現実政治にあからさまに関係するという意味で政治的であること、また「お言葉」にある種の霊的権成を認めていることを決して否定しない。しかしながら同時に、白井聡は「尊王絶対」や「承詔必謹」を口にする気はさらさらない。なぜなら、かかる解釈をあえて公表する最大の動機は、今上陛下の今回の決断に対する人間としての共感と敬意であるからだ。その共感とは、政治を超えた、あるいは政治以前の次元のものであるという。」 2015年上皇は全国戦没者追悼式で「深い反省」と表現した、以後この言葉は続けられた。安倍は2013年から「深い反省」は全く使っていない。
2019年、現天皇が全国戦没者追悼式でどういうかは注目の的であった。「深い反省」は継承された。
以上