33年net諸兄姉どの(2022.11.23)
久し振りに、11.19(土曜日)朝6:15分空WOWOWで映画「『白鯨との闘い』、原題: In the Heart of the Sea)を鑑賞する。前にも述べたように米国高裁で捕鯨船の帆布について訴訟で、著作権という権利がはじめて認められたという学生時代の感激が捕鯨船に向かわせるのだろう。
今年4月に、終活の中の一冊、【黒船前夜の出会い】(1994.7.25初版NHK books平尾信子著)、捕鯨船長サム・クーパーとの出会いの要約をご披露したが、この映画は久し振りの人間の欲・生への戦いは、老人には刺激が強すぎたが実に面白かった。捕鯨船長サム・クーパーの出航は1934年、「白鯨との戦い」の捕鯨船エセックス号の出航は1920年で、14年も前の話になる。
原著者はフィルブリック・ナサニエルは、1956年アメリカ生まれ。ナンタケット島の歴史についての屈指の研究家。『白鯨との闘い』は2000年に全米図書賞のノンフィクション部門を受賞し、2015年に映画化された。その他にも数多くの作品がベストセラーとなり、複数の賞を受賞している。現在も妻と共にナンタケット島に在住し、ナンタケット歴史協会の研究員として活動中という。
【映画要約】
1850年、アメリカの新進作家ハーマン・メルヴィルは、トーマスという年老いた男を訪ねた。トーマスはかつて1819年にエセックス号(英語版)という捕鯨船に乗り組み、巨大な白いマッコウクジラと戦った人々の最後の生き残りだった。渋るトーマスから当時の壮絶な実話を聞き出すメルヴィル。
冒頭、ナンタケットは鯨油の中心地だ。長老たちがチェイスに、エセックス号の船長はポラード、君はその下で一等航海士をやってくれと口説てる場面から始まる。なぜかポラードの父は出資者であり、曽祖父はナンタケットの創始者という家柄だ。長老はよそ者には船長を任せられないという。これに対して、がチェイスは家柄で鯨はとれないと反論する。結局、利益の十五分の一、2000樽の鯨油を持ち帰ったら次回、船長にするという一札をつくらせ、しぶしぶ了承する。
1819年、エセックス号は捕鯨基地ナンタケットを出港した。
船長は家柄だけで選ばれた未経験者のポラードで、ベテランの一等航海士チェイスはそれが不満だった。船には14歳の孤児トーマスもキャビン・ボーイとして乗り組んでいた。1年以上の航海でもなかなか鯨油を集められないエセックス号は、エクアドルのアタカメス(現在でもある、観光地らしい)に停泊した時、遭難したスペイン捕鯨船サンタマリア号のペラエスから南米大陸から4800キロメートル以上離れた未知の海域に乗り込み、鯨の大部隊を見つけたが、群れを率いる巨大な白い鯨に襲われ8人も死んだという話を聞いた。未知の旅に出発する。マッコウクジラの大群を見つけて色めき立つ船員たち。だが、群れを率いていたのは巨大で大理石のような白い肌、30mもある白鯨だった。船員たちはこの白鯨に銛を打ち込むも、逆襲され沈没するエセックス号。3艘のボートに分乗した船員たちは、僅かな水と食料で漂流を始めた。船員たちは途中で無人島であるデュシー島(今でもある)にたどり着くが、島にいても生存は見込めないことを知り、残留を希望した4名を残して、再び洋上を漂流した。その後食糧は尽き、最終的に生き残るためには、死者の肉を食べる必要もあった。デュシー島を出てから90日の漂流の後、チリのマス・アフェス島にたどり着いた。救助されたのは船長とチェイス、若いトーマスなど、ほんの数名に過ぎなかった。トーマスはその後、漂流中の体験を妻にさえ語らず、苦しみ続けて来た。メルヴィ全てを語ることで、救われるトーマス。メルヴィルは、トーマスの話を聞いて、新しいことを見つけたという、「危険な領域に足を踏み入れる」勇気です。ところでとトーマスはいう;ペンシルバニアで土の中から油が出たという話をごぞんじですか? メルヴィルがわたしも聞いていますと返事をした。土の中らねぇとトーマスがいう。
捕鯨基地ナンタケットルに帰還した船長と一等航海士のチェイスは、遭難の事情聴取を受けた。鯨に船がやられたなど、捕鯨産業に与える打撃は計り知れない、本件は、船の座礁によるものと事実を伏せてしまいたい船主、出資者側の意向だった。
一等航海士のチェイスは反対した。伏せることで皆さんは枕を高くして眠れるのですかと痛烈に言い放った。査問会が開かれ、船長ポラードが証人席に座った。船長ポラードは、白い巨大な鯨によって破壊されたと一等航海士のチェイスと同じ証言をした。査問会は大混乱に陥った。
一等航海士のチェイスは、約束を守ってデュシー島に残った4人を救出に向かい、一人はすでに死亡していたが3人を救出した。その後、商船の船長になった。船長のポラードは再び捕鯨船になったが不運にもハワイ沖で座礁して岡に上がった。
1年後にメルヴィルは、取材した実話ではなく、そこから膨らませたフィクションの『白鯨』を出版した。
なお、この映画のDVDはアマゾンで買うることができる。
注)ペンシルバニアで土の中から油が出たという話が最後にある。
エドウィン・ドレーク(英語版)(Edwin L. Drake)大佐という人物が発見した。
アメリカ石油産業のパイオニア。19歳まで父の農場で働き、その後、汽船やホテルのボーイ、雑貨屋の店員、列車の車掌などを勤めたが、健康を害して1857年に石油業に転じ、綱掘り式井戸掘り法による石油採掘を試みた。当時の原油採取法は、手掘り井や池に浮かんできた油を集めてくみ取る程度であり、原油は石炭油よりも高価で量も少なかった。1859年8月27日、ペンシルベニア州のオイル・クリークの地下20メートルでついに原油を掘り当て、多量の採油に成功した。しかし、ドレークはこの採掘法の特許を得ることには失敗し、やがて石油投機で文無しとなったうえにふたたび健康を害し隠退。ドレークの成功によってアメリカ石油産業は急激に興隆したが、ドレーク自身は悲惨なまでに貧乏を続け、1870年から有志による救済活動が行われ、1873年からはペンシルベニア州議会が年額1500ドルの年金を与えた。
こころ温まる話だ。
これにより捕鯨事業は一挙に衰退する。
イチハタ