33年net諸兄姉(2021.09.19)
自民党総裁選も激しくなってきました。
そのあとに衆院総選挙も控えており、我が国のリーダーについては重大な関心事です。
新自由主義を軸に何が問題なのかを少し歴史を調べてみました。称して「新自由主義メモ」です。
岸田文雄が総裁選で「新しい日本型資本主義 ~新自由主義からの転換」を打ち出した。
われわれにとって懐かしいケインズ経済学は政府の政策に大きな影響をり与えたが.ケインズ経済学に代わって経済学のメインストリームに躍り出た新古典派経済学→ネオリベラリズ(新自由主義)も『1980年代には政府の政策』に大きなきな影響を与えた。その代表格と云えるのがイギリスのマーガレット・サッチャー政権が進めた「サッチャリズム」や、アメリカのロナルド・レーガン政権で進めたレーガノミクス」です。
ポイントは、ケインズ理論がもたらした大きな政府への批判であり民営化の指向だ。
★1979年にイギリス首相となったサッチャーは、主に労働党政権下で進められてきた「ゆりかごから墓場までと高福祉政策や産業の国営化がなどによる産業保護政策がイギリスの国際競争力を低下させて経済成長の停滞を招き、『スタグフレーションの発生につながつながったと批判している(MMTとケインズ経済学;永濱利廣、2020.3ビジネス教育出版社)。
1972年からロンドンに赴任した直後、ロンドン地下鉄信号手組合70人がストを起こし、全線ストップになりました。職能別組合もここまで来ているのかと驚きました。
ミッドランドの部長なんかと話していると、わたしの上司が昔の社会科の教科書並みに、保守党と労働党の二大政党でうまくやっておられますなんていうと、とんでもないと労働党をくそみそに云っていました。両党の亀裂は尋常ではないなと思った。
丁度、1974年に労働党ハロルド・ウィルソンウイルソンから保守党エドワード・ヒースに首相が替わったときですが、急に帰国することになりました。友人からポンドは取引停止になるかもしれないからポンドTCだけで帰るのは危険、同時にドルTCを持っていきなさいと云われ、ポンド・ドルのTCをつくったが、何事も起こらなかった。
ヒースの後のマーガレット・サッチャーは、社会保障政策は継続するする一方でで国営の水道や電気、ガス、鉄道、航空などなどの民営化や大胆な規制緩和を実施することで.政府の機能を大幅に削減した。
結果、公共投資などを仰えた緊縮財政はインフレの抑制にには効果を発揮したものの『ポンド高は不況の長期化や失業率の上昇を招くことになったといわれている。皆さんも「no alternative」と何度も連呼するサッチャーの議会答弁を見られたろう。サッチャーがこの言葉をスローガンとして使ったことで知られており、そのために TINA (There is no alternative)という略称まで生まれた(同書)。
ついで英語に、エンバシー「empathy(他社の感情や経験などを理解する能力」とシンパシー「sympathy(誰かをかわいそうだと思う感情や友情)」と云う言葉があるが、サッチャーにはシンパシー(sympathy)、優しく思いやりがあったが、衰退していく地方の製造業者に厳しく自助を求めていく経済政策を進め、それについてこられない人は理解できなかったと元秘書が証言しているという。
★1981年にアメリカ人統領に就任た共和党のレーガンは「強いアメリカの再生」を目指して、政府支出の伸びの大幅抑制と大幅な減税を含む規制緩和む安定的な金融政策を柱とする「レーガノミクス」を発表した。
これらはいずれもサッチャリズム同様にに『市場のメカニズムを重視する新自由主義に基づくもので.インフレの抑制や失業率の改善には、一定の効果をを発揮したものの財政赤字と貿易赤字の拡大という「双子の赤字を」をもたらしたとも、あるいは90年代のアメリカ経済の繁栄をつながったともいわれる(同書)。
レーガンが皆さんご存じのラッファーの命題(平均税率を下げれば、税収が増加するという理論)に依存して、軍事大幅拡大、3年間亘る30%所得税減税、政府予算赤字の削減という三つの公約を掲げた。前二つの公約は実行されたが、その結果アメリカ始まって以来の巨額な財政赤字を生み出した。
ラッファーの命題には表に出ない目的は最高所得階層の税率を70%から50%に下げ、まず最高所得階層に恩恵を施すことによって、その恩恵がしたたり落ちる雫のように低所得者に及ぶという、トリクルダウン理論(Trickle Down Theory)と呼ぶべきものであった(宇沢弘文、岩波新書p203-204)。1990年代までは所得の底上げが生じ、アメリカの下位20%に位置する世帯の実質所得の変化をみると、1970年代には2%弱の増加にとどまっていたものが、1980年代には7.3%、90年代には12.2%増えている。しかし、2000年代に入ると上昇がストップし、2009年の水準は2000年対比8.4%も減少し「トリクルダウン」効果が消滅した(websiteによる)。トリクルダウンの効果については議論が続いているという。しかし、「トリクルダウン」こそは、新自由主義の核である。
★1982年、中曽根内閣は戦後の自民党で最も新保守主義・新自由主義色が濃い内閣であった。日本専売公社、日本国有鉄道および日本電信電話公社の三公社を民営化させた。これによって総評および総評を支持母体とする社会党を切り崩す意図があった。また、長年半官半民であったフラッグキャリアの日本航空の完全民営化を推進させた。
次第に国民からの支持も安定し、1986年の衆参同日選挙(死んだふり解散)では衆参ともに自民党史上最多獲得議席となる圧勝となり、その功により総裁任期が1年延長された。しかし、経済政策ではアメリカの貿易赤字解消のためプラザ合意による円高ドル安政策&内需拡大政策を採り、内需拡大5兆円、のちに6兆円が使い道がなく、回り回って文部省に予算が付き、そのおかげで我が母校の小平→国立移転のカネが出たのである。これは、結果的に日本をバブル経済に突入させたこともあり、批判の声も少なくない。
★2001年、小泉内閣は、「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫・交通営団など特殊法人の民営化など小さな政府を目指す改革(「官から民へ」)と、国と地方の三位一体の改革(「中央から地方へ」)を含む「聖域なき構造改革」を打ち出し、とりわけ持論である郵政三事業の民営化を「改革の本丸」に位置付けた。特殊法人の民営化には族議員を中心とした反発を受けた。
新自由主義については労働市場で活躍し市場に多くの金を落とすという意味で「社会の役に立つとみなさればマイノリテーでも積極的に包摂するが「能力の活用を拒否する怠け者や貧乏人は「役に立たない」とみなされ徹底的に排除され、ネオリベラリズムの秩序は維持される。多様性に寛容であることは、個々の能力を尊重することは大いに歓迎すべきことだが、巡り巡って「弱者のパンのことなど知らん」という帰結をもたらすものであれば、首肯しかねる。一見して進歩的な態度の裏には、弱肉強食的な価値観が引っ付いているかもしれないとみる人もいる。
安倍内閣が、國際競争力を強化するためにと云う理由で、法人税を下げ、大手が儲かれば中小企業が儲かるので、中小企業で働く従業員たちに恩恵がもたらされるという、大企業中心の政策が進む、まさしく「トリクルダウン」であるが、結局失敗している。コロナで顕在化した、赤字病院の統廃合も新自由主義的な施策であろう。
菅政権は「自助 共助 公助」を「自助」を最初に持ってきたとこで新自由主義的とみてよかろう。
岸田文雄が総裁選で打ち出した「新しい日本型資本主義 ~新自由主義からの転換」は、具体的な分配論がどうなるのか注目される。
★アメリカでは,バイデン米大統領は(2021.1.28)の施政方針演説で、「国の背骨」と位置づける「中間層」を重視した政策運営を強調した。大企業や富裕層ではなく、中間所得層や低所得層に恩恵が及ぶ経済政策や外交方針を進め、支持基盤としたい労働者にアピール。働き手の賃金上昇に結び付ける狙いの巨額のインフラ整備計画や教育支援策を表明し、実現を訴えた。バイデン大統領は、雇用拡大を促進し、経済格差に対する懸念を解消していくために、さまざまな法人事業税・個人所得税の引き上げを掲げています。ウォール街がこの国をつくったのではなく、中間層がこの国を築いたのだという。
なお、「トリクルダウン」について;大企業が収益を増やせば労働者に恩恵が波及するという「トリクルダウン」の経済理論について、バイデンは「機能しなかった」と指摘。中間層や低所得層の収入を増やし、経済を底上げする「ボトムアップ」に転換すべき時だという。明らかに新自由主義的思想ではない。
イチハタ