33年net諸兄姉どの(2022.09.14)
作家神坂(こうさか)次郎さんの訃報が伝えられた。1984年のベストセラー『元禄御畳奉行の日記』(のちに文庫本)の作者である。訃報・表紙添付記事。私も当時文庫本を買ったが、中身のことはすっかり忘れていたので再読した。
神坂次郎さんが尾張藩の役人「朝日文左衛門」なる人物の『鸚鵡籠中記』という日記をもとにし、整理した本である。
朝日文左衛門は27歳の時に御畳奉行に、石高は100石に加え御役料40俵が付いた。当時、諸大名家では家臣の知行地を廃止して扶持米で支払う方向に進んでいたが、尾張藩だけは知行地制であった。庄屋を呼びつけて、今年の年貢を決めたり、知行地に視察することもできた。(補足すると、このころ、お城はもとより庶民にも畳が普及した)
『今日、野崎村へ検見に行く筈のところ、庄屋来て免を請ひし故止む。長良村の免四ッ八分五厘、野崎村の免三ッ九分五厘、ともに去年のに一分づつ上がる』(元禄9・10・2)などと書かれている。村に来てもらうと、もっと金がかかるのである。(免とは租税後、あとは「免ずる」お構いなしと云う意味である。一石に対して一斗の租税を一つの免という。現代風には長良村の租税は四割八分五厘、野崎村の租税は三割九分五厘)
この『鸚鵡籠中記』という、ちょっと気どった日記の名は、日ごろ白分のまわりに流れてくる風説(うわさ)、見聞をそのまま、ありのままに写して”鸚鵡返し”に書き記したという意味なのであろうか。
ともあれ文左衛門は、当時の世相、物価から天候気象、日蝕、月蝕の観察、城下に起った大小の事件から身辺雑記、演劇批評から博奕情報まで、それらを一種独得のリアリズムをもって赤裸々に書きとめている。
おどろいたことにその記述のなかには、当時のサムライ社会では死を覚悟せねば書けなかった幕政への批判、藩政の無能や、名君といわれる藩主吉通の陰の部分、藩主の生母、本寿院の淫乱きわまりない行状まで、小心な文左衛門が躊躇することなく書きつづっているのである。
その『鸚鵡籠中記』のなかに現われてくる″元禄”は、豪奢絢爛たる美とロマンに刷き重ねられた華麗な世界ではなかった。ここには、そんな”元禄”のイメージとは裏腹な、幕府の政に喘ぎ、市場経済の血液ともいう貨幣の悪鋳によるインフレ、家康の時代からみると十倍という米価の高騰、諸物価の値上がりのなかで、一粒の年貢米もなく逃散(ちようさん)していく潰れ百姓や、貧窮ゆえにわが命を絶っていく微禄な武士や町の人ぴとの暗い表情、そして、なまぐさいまでに揺れあがっててくる欲望と痴情に彩られた”もうひとつの元禄″があった。享保3年(1718年)9月14日死す。45才であった。文左衛門の残した『鸚鵡籠中記』は、なぜか、名古屋城の奥深い書庫で260年間眠り続けた。このなかで、街談市語編の「貧窮無類の世」は、尾張藩の、武家社会、庶民生活の歪を描いて余りある。4ページになるが添付してみた。是非お読みいただきたい。たまたまであるが、今日は旧暦・新暦により違うかもしれないが、304年目の朝日文左衛門の命日である。
イチハタ