昨日のFujiTVのプライムニュースで、伊藤敦夫が言っていたが、コロナと経済は車の両輪のようなもので、車輪のスピードが違うととんでもないことになるとうまく表現していた。今どうなのですか? どっちも!!!!ではないですか。
33年ネット諸兄姉どの
終活かたがた昔々,大阪時代に歩こうとして買った古事記に関する本4~5冊を読んでいた。たまたま、新聞に添付の「はがきの名文コンクール」の記事が出ていた。そのとき「古事記への旅」(萩原浅男1979.7NHKブックス)を読んでいた時だった。そこに雄略天皇(第21代天皇;行田稲荷山古墳鉄剣銘で知られている)が葛城山(959m)を登り、一言主之大神に遭遇する記事があった。なお、わたしは奈良では三輪大神、山ノ辺の道、當麻寺、二上山(大津皇子の墓?)、橿原神宮ぐらいしか行っていない。
以下、要約を紹介します。
『天皇に従った官人たちの「紅き紐著けたる青摺の衣」は、当時の宮人の正装だったらしい。、こうした服裴をした大勢の官人が天皇に従駕し長い列を作って葛城山を登って行く光景はまさに古代特有の美しさといえよう。天皇一行は向かいの尾根伝いに登っていく人を見た。その行列は服装も何もかも天皇の行幸とそっくりであったで、天皇はこれを見て「茲の倭国に吾を除きて亦王は無きを云々」と官人を遣わして尋ねさせた。この天皇の言葉は如何にも専制君主の強烈な威力を発揮した言葉である。すると、向こうから答えてくる言葉も、天皇が咎めた言葉と同じようなものであった。これを聞いて天皇はひどく怒り、宮人と共に弓に矢をつかえで相手を射る構えをした。すると、向こうの人たちも同じ動作をした、そこで天皇か相手の名告りを促がしたところ、自分は「悪事(まがこと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主之大神ぞ」と答えた。「一言主之大神」は葛城地方に住む鴨族系の強力な呪術師の集団に信奉された託宣の神ではないかと思われる。
(市畑注;言離(ことさか)とは、「吉事も悪事も、一言で元あった場所から離し別の場所に移す」ことを意味していよう。吉事も悪事も、其の吉凶の本質を一言の言霊に取り込み置き換え別の場所へ離(はな)つ。能力としては、かなり高度な神だという。)
一言主の名告りを聞いた天皇は恐れ畏まってその無礼を詫びる。 天皇は無礼をわぴるしるしとして、太刀・弓矢から宮人の着ているいる衣服までも献上した。この時、一言主は謝意の表明のため「手打ち」、即ち拍手をしたとある。この作法は『魏志』倭人伝にも大人((身分のある人)を敬って拍手すると見えている。』
「一言主之大神」ってすごい神なのだ。全国に100社位末社があるという。
「手打ち」「拍手」「かしわ手」の由縁を伝えるものか?
イチハタ