33年net諸兄姉どの(2023.12.9)
これは、12月6日(水)NHKで「フロンティア 日本人とは何者なのか」で配信されたものの要約です。
日本の祖先観のみならず、歴史観・世界観が根底から変わる可能性があります。
「今、日本人のルーツに関する常識が覆ろうとしている。カギを握るのは、「古代DNA解析」。数万年前の骨から大量の情報を読みだす驚きの技術だ。浮かび上がってきたのは“最初の日本人”の意外な姿。アフリカから最初に東アジアにやってきた人類との密接なつながり。世界にも類を見ない文化の誕生。そして、今の日本人のDNAを決定づける“謎の集団”との混血の証拠。最先端の科学技術によって、私たち日本人の祖先観が覆る。」
2. 縄文人DNAは、だれに近いか。東南アジアの古代人DNAとの比較
3.東南アジア人が一万六千年前、日本列島に渡来し、縄文人になった。日本列島は当時大陸と接触していた。やがて大陸から離れて、初期集団は1000人ぐらいだったが、その後、一万年間、数十人、数百人の単位で、狩猟生活で長期定住を続けていた。世界に類のない社会をつくり、発展を遂げた。
縄文土器をみれば、実に複雑な、考え方、思想を持っていたとうかがえる。世界遺産になったのも当然であろう。なぜ、東南アジア人が、日本列島に渡来したのかについては、フロンティア精神が旺盛だったとしか解説されていない。これはおかしい、動因は他にあるはずだ。
4. 弥生時代のDNA
弥生時代は上図の構造である。従って縄文人+渡来人=日本人と考えられた。
しかし、
5.現代の日本人は
この青い部分のDNAは、なんだ? どこから来た人のDNAだ?
それを追ったのが以下の図である。
つまり、弥生時代後期から古墳時代に入る、3世紀から7世紀まで、東アジアから、驚くべき大量の人々が渡来したことをものがたる。弥生時代後期の青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)(鳥取)では、沢山の人骨、109体以上の人骨が発見され、鉄製の武器、刀,剣など切られた人骨、銅製の矢じりが突き刺さった大腿骨などが発見されている。
日本人は、二重構造ではなくて三重構造だろうと、覚張隆史(金沢大学人間社会研究域附属古代文明・文化資源学研究センター)は云う。この大渡来のことは、古事記にも日本書紀にも書かれていない。DNAの世界では、東側アジアと日本は切っても切れない関係にあるのだ。
ところで、若い頃に読んだ「日本語の起源」(大野晋、岩波新書、1957年初版16版まで出版されたベストセラーである)では、
アイヌ語は日本語と同系か
同書で引用されている服部博士(服部 四郎(はっとり しろう、1908年〈明治41年〉5月29日 - 1995年〈平成7年〉1月29日)は、日本の言語学者。東京大学名誉教授)は、アイヌ語と日本語とは、もしかすると同系であるかもしれない。私(大野)がヽこれまで一見したところでは日本語とアイヌ語とは、音韻や文法で類似するところが少なくないが.相違しているところも多く、基本的な語彙の対応は見出しがたいとするも、しかし.新しい見地から研究を進めておられる服部博士は、同系であるかもしれないと言われ.もし同系とすれば、分離の時期を7000年から一万年前と書かれている。これは最近言語学界に新しい方法を提起したアメリカの言語学者ミリス・スワディッシュ氏の言語年代学(Glotto-chronology)によるものであるという。
最初の図;現代人に残る縄文人のDNAでは、アイヌ人に七割残っている。
7. チベツ卜・ピルマ語は親戚か
日本語とチベツ卜・ピルマ語とを結びつけて、そこに同系の見込みがあると考え、その証明を試みたのは元大阪高等学校教授C・K・パーカー氏(経歴不明)である。日本語の構文法・文法的語彙(代名詞・助詞・助動詞)と、チベットーピルマー語の構文法・文法的語彙との間に、私は沢山の同一性を発見するが、それが何故かは、私にはまだ満足の行くように説明できない。やがて満足な説明が現われて、この同一性に対する歴史的理由を明らかにするであろうとネガティブであった。
いまから、50,60年前の日本の言語学では、縄文人や東南アジア人に眼差しを投げかけていたのだ。
現在の日本言語学では、どうなっているのか知りたい。
イチハタ