この施設では3食賄い付である。毎食2つづつの選択肢があり、どちらかを選んで申込み、食堂に行って食べる。部屋に持ち帰りもOKである。晩酌を楽しみたい人はそうする。
各部屋に厨房があるので自分で作ってもいい。
うちでは朝だけ自前で作り、昼と夜は食堂で食べている。その朝食はミルク、パン、果物主体だが殆ど私が作る。妻は自分でやろうとするがまどろっこしいので私が作る。
妻は、手際がいいのね、と笑っている。
昭和20年8月、敗戦の詔勅の直後、母は私を庭に連れ出した。そして飯盒で飯を炊くことを教えた。
北の方でソ連軍が侵入して来たと伝えられた頃である。「何があっても自分で食べられるように」と母は教えた。
昭和24、5年頃、中学の遠足の時、私は飯盒持参で参加し出先での炊飯を常とした。引率の教師は煩わしさを感じただろうが、禁止することはなかった。私に引揚者の荒みがありそれを憚ったのかもしれない。
まだ世の中は焚き火の煙にメクジラをたてる時代ではなかった。
長じてクルージング中は自炊は当然である。
かくして私は自炊を当然として生きてきた。
ただし料理として考えることは全くない。あくまで飯であるから味付けなどに凝ることはない。