2021.8.9 18:39
To EverNote黒潮丸
さて3までで学生時代のバイトは終わりである。あとは就職後だからバイトは無かった。
しかしここで麻雀について書かせてもらいたい。サラリーマンの麻雀を普通バイトとは言わないが、小遣い稼ぎではあるし、わが生活の中であまりに大きな存在だったから何か書いておきたいのである。
私は20才から55才まで麻雀に淫していた。35年間、毎月20日は麻雀をしていた。
ある時計算したら5万時間になるのであった。この短い生涯の中で5万時間も麻雀に費やしたとは、何たる愚か者であったか!この内1万時間だけでも有意義に費っていたら、何事か為せたであろう。
何が為せたか。環太平洋一周クルージングか、NY州の弁護士資格か。
私が麻雀に入り浸ったのは営業マンであったことが大きい。燃料の営業は機械や工事など単発のプロジェクトの営業と違い、契約さえあれば常時パイプを流れて消費してくれるものだから、普段はご機嫌取りに訪問して業界情報を提供し、他社動向に注意していればいいのである。普段の接触が大切なのである。だから足繁く通い、時に一杯やりに誘う。
ところが私は酒が弱く、酒席は苦手なのであった。飲み屋よりも麻雀の方がいい。自分も楽しめる。会社としても宴席より麻雀代の方が安くすむ。
当時は麻雀好きが多かった。
某通運会社の石油部長は午後になると雀荘でしか会えず、そこで付き合わないと注文をくれないのであった。
某県漁連の参事は麻雀というと本当に涎を垂らすのであった。あだ名を黴菌といった。麻雀菌である。
1年に366回打ったと豪語する部長もいた。昼と夜と別の席で打ったというのである。旧帝大出の紳士であった。
系列の石油特約店との付き合いも多かった。後年工場燃料の販売からガソリン販売が主流になるとその傾向が強まった。自営業者の懐は魅力であった。
社内でも勿論卓を囲んだ。社員の7割がプレイ出来たであろう。上昇志向の社員にとって麻雀の習得は必須条件であった。
付き合いの道具としての麻雀であったが、小遣いを賭けたギャンブルでもあった。
誰でも勝てるわけではないが、勝つつもりでやるのである。だから続く。
私の場合、麻雀を止める前の5年くらい、確実に年間6〜70万円ほどの収入になっていた。月額5万円以上である。この年間で考えるのが肝で、この考え方をするようになつて勝率が飛躍的に向上したのであった。その場その場の勝ち負けでなく、年間での当夜の位置付けを考え調子の悪い日は早く切り上げる。
収支は当夜のゲーム代、食事代を差し引いて記録したものである。だから毎月確実に入る5万円は小遣いの大きな柱であったから麻雀を辞めることはこの収入を諦めることでもあった。
55才にして自ら麻雀を辞めようと決意したのには遅ればせながらまだ救いがある。
辞めた理由は、安月給取りが小銭を奪りあって毎夜時間を潰すのが馬鹿らしく思えるようになったからであった。
酒席の誘いを断り、麻雀を絶った私は、社内でのコミュニケーション手段を急速に失った。