8月4日(水) 20:13
To EverNote黒潮丸
私は昭和10年生まれだから大学生時代は昭和30年頃である。
この時代、学生のアルバイトはそれほど潤沢ではなかった。バイトの情報誌もネット情報も無かった。苦学生がいなかったわけではないからそれなりにバイト情報は流れていたのだろうが、家庭教師が主流だったように思う。
1.伊勢丹紳士服売場
2年生の冬休みだったか、大学の学生課にふらりと立ち寄ったら「百貨店のアルバイト」の札が貼ってあった。聞いたら、「伊勢丹の会計課の○○さんのところに行け」という。
当時のバイト情報の伝達はこんな風にであった。
大学の先輩であるという〇〇さんを訪ねて行くと、地下の配送部に回された。当時百貨店は客の買い物を自宅に無料で配送するのを当然としていた。各階の売場から商品が続々と降ろされてくる。それらを何社か入っていた運送業者に割り振るのである。騒然とした殺風景な現場であった。
百貨店は無料で配達するのだから、業者に支払う運賃もはっきりしない。殆ど掴み金のような、出入り業者であるだけでよしとしろといったような屈辱的な扱いであった。
これに叛旗を翻したのが大和運輸の小倉昌男であった。新宿三越の地下に入っていたのだが、「辞めた」と言ってやめてしまった。大事件であつた。
小倉は米国の宅配事情を研究し、宅急便事業を構想した上での行動であったのだが、それにしても大事件であった。
さて私は次の春休みに同じように○○さんのところに行ったら、地下ではなく5階に行けと言われた。紳士服誂えの売り場であった。
オーダー服売り場である。まだイージーオーダーなど無い時代である。まことに格式のある、暇な、バイト生にとっては天国のような職場であった。する仕事はない。ぶらついていればいい。若い女店員は選り取り見取り。バイトは私だけ。
デザイナー先生に服のモデルをやってくれといわれたが、それは断ったのであった。
そして、それからずっと休みで行く度に紳士服誂えの売り場に回されたのであった。
かくして伊勢丹は私にとって格別な百貨店となった。