メグロ集結100台 那須烏山市 聖地で愛好家交流2022.11.7(月) 下野新聞
昨年11月下野新聞投稿直後那須烏山と栃木市から電話が入った。栃木市の黒須さんは元公務員。愛車メグロで2022キャノンボールにも参加するという。私もそのつもりだったが、コロナ未終息どころか再燃真っ盛りで見合わせた。森は明日から3日間中学2年生のマイチャレンジ開講。バイクでなく電動自転車とドローンに情熱を燃やしています。2022.11.7(月)記 森
2021.11.11木 下野新聞
往年のオートバイメーカー メグロ愛好者 那須烏山に集結
2022.6.22水 下野新聞
伝説のバイク「メグロ」のルーツ 栃木・那須烏山を〝聖地〟に 2022/9/26 12:00下野新聞
展示された伝説のオートバイ「メグロ」=那須烏山市の山あげ会館(伊沢利幸撮影)
設置されたメグロの大型看板前で記念撮影する関係者ら=栃木県那須烏山市(市観光協会提供)
山あげ会館に展示されている目黒製作所の烏山工場の写真
メグロのどら焼き(伊沢利幸撮影)
伝説のバイク「メグロ」のルーツ 栃木・那須烏山を〝聖地〟に
2022/9/26 12:00
戦中戦後、現在の栃木県那須烏山市の工場で生産されていた伝説のオートバイ「メグロ」。昨年2月、カワサキモータース(兵庫県明石市)が、そのメグロブランドを約半世紀ぶりに復活させ注目を集めている。かつて工場のあった那須烏山市では市観光協会などが「メグロの聖地・那須烏山」をアピールし始めた。
伝説の名機
今年5月、那須烏山市中心部の観光施設「山あげ会館」前に、高さ約2・8メートル、幅約4・5メートルという「メグロ」の大型看板が姿を現した。
メグロは大正13年に設立された「目黒製作所」の手掛けたオートバイのブランドで、かつては白バイとして警視庁に納入されるなど伝説の名機とされる。
看板は、このメグロブランドをカワサキモータースが復活させた第1弾「MEGURO K3」のプロモーション用に制作したもの。市や市観光協会が「メグロの聖地」プロジェクトへの協力を求め、無償で提供を受けた。
山あげ会館内にも、目黒製作所烏山工場の歴史などを紹介した写真パネルや当時工場で作業員が着ていたつなぎ、市民らが今も所有するメグロのオートバイなどを展示するコーナーが設けられ、県内外から多くのファンが訪れている。
同市観光協会事務局長の金沢光司さん(47)によると「週末だけでなく、連日数十人のバイク愛好家らが訪れ、看板の前で自分のオートバイと一緒に写真を撮ったり、展示しているメグロのオートバイを眺めたりして楽しんでもらっている」といい、ファンの間で認知が着実に広がっているという。
メグロ城下町
目黒製作所は大正13年に東京・品川区で創業。昭和3年に三輪車用の変速機を初めて国産化した。それが軌道に乗ると、12年には初の単気筒500ccオートバイ「メグロ号Z97型」を発売。走行性能に優れ、故障が少ないとして人気を集めた。
第二次世界大戦末期の19年、空襲を逃れるため旧烏山町(那須烏山市)に工場を疎開。東京の本社工場は空襲で全焼するも、烏山工場は終戦翌年には生産が再開された。
オートバイの市場拡大の波にも乗り、25年には250ccのジュニア号が大ヒット。旧烏山町は〝メグロ城下町〟としてにぎわい、町民の3分の1が同製作所に関わっていたとされる。
しかし、30年代に入ると国内の競合メーカーが新機軸の小型オートバイを相次いで発売。二輪市場が飽和状態に入る中で、メーカー間の競争も激化し、39年にカワサキブランドのオートバイを生産していた川崎航空機工業(川崎重工業)に吸収され、目黒製作所の歴史に幕を下ろした。
関連商品も続々
ただ、その後も「戦前からのメーカーの中で、最も良質な完成車メーカーの一つ」として、メグロブランドを評価する愛好家らの熱意は冷めなかった。それだけに昨年の「復活」を受けたファンの動きも素早かった。
那須烏山市内のメグロ愛好家らは「MEGURO K3」が発売されるや、ツーリングイベント「メグロキャノンボール烏山」をスピード企画。発売から9カ月後の昨年11月には、全国の愛好家ら約300人が愛車とともに参加し、約50台のメグロが集結した。
予想以上の盛況ぶりに、年間観光客数が約47万人と県内の市で最下位の同市は「烏山はメグロの故郷。聖地として全国に発信していく」ことを決めた。カワサキモータースからも「応援したい」と〝公認〟を得た。同市内の飲食店なども「メグロの聖地」を盛り上げようと、どら焼きや鰻、スタミナ弁当、和紙、コーヒーなど、さまざまなメグロ商品を相次ぎ生み出している。ツーリングイベントは今年も開かれる予定だ。
「昔の産業的な遺産が観光資源になり、平日もバイク愛好家らが那須烏山を訪れるようになった。来てくれた人たちが食事して帰るなど、地域経済の効果が感じられるような取り組みを進めたい」と金沢さん。「今も市内にはメグロに関わった人たちが多くいるので、歴史的な資料づくりも進めていきたい」と、さらにメグロを生かした取り組みを深めていくつもりだ。
メグロを起爆剤に、地域活性化や観光振興のアクセルをふかし始めた同市。今後の取り組みが注目される。(伊沢利幸)
2022/9/26 下野新聞