上汽GM五菱汽車の「宏光MINI EV」
「最高時速は100kmで、低速専用の車線を使えば高速道路も走れます。今の納期は1カ月半ほどですね」。販売店の従業員はこう言って宏光MINI EVの人気をアピールした。
見た目はかわいらしく、日本の女性向けの軽自動車のような印象だ。実際、車幅は1.49mと軽とほぼ同じサイズ。ただし、全長は2.91mと短くドアは2つしかない。折り畳むとフラットな荷物入れになる後部座席の工夫で、最大4人乗りを実現した。
用意されているモデルは3つ。エアコンや助手席の遮光板を削減した航続距離120kmの下位モデルは2万8800元(約46万円)と、EVベンチャーが群雄割拠する中国市場でも驚異的な安さだ。同120kmで中位モデルが3万2800元。搭載電池容量を増やし航続距離を170kmとした上位モデルが3万8800元だ。
記者は日本ではクルマを運転しているが、中国の運転免許の取得手続きはしていない。そのため中国人の友人に運転してもらうことにして助手席に座った。最初はEV特有の回生ブレーキの効き方に少し戸惑ったようだが、すぐに慣れて運転がスムーズになった。ドライバーが「おっ」と声を上げたのは暖房をつけたときのことだった。
どうしたのかと聞くと「少しパワーが出なくなった感じがした」とのこと。暖房に電力供給が割かれたのが原因だろうか。後部座席に座っていた店員に「寒くても充電は問題ない?」と聞くと「1時間程度は余分に見たほうがいいですね」との答えが返ってきた。
身長178cmの記者が後部座席に座ってみたが、少し狭いものの1時間弱なら我慢できそうだ。ある程度割り切って作っていると思われるところも散見されるが、コストパフォーマンスと短距離移動という用途を考えれば、実用性は十分でデザインも悪くない。売れるのは納得だ。
キャッチコピーは「人民的代歩車(人民のスクーター)」。中国では「電瓶車」と呼ばれる二輪電動スクーターが生活の足として広く普及している。ただ、どんな気候でも乗っていて快適なのはもちろん屋根も窓もある四輪車だ。時速70kmなどさらに低い速度しか出ない四輪EVを農村で走る姿を見かけるようにもなったが、いかにも中途半端だ。
宏光MINI EVなら、地方に住む庶民でも手が届く価格で「自動車」が手に入る。小型なので駐車スペースにも困らない。農村部や地方都市での電瓶車からのアップグレードと、自動車の普及が進んでいる都市部での2台目需要にピタリとはまった。
上汽GM五菱汽車ブランドマーケティング責任者の周鈃氏は「当社は14年から小型新エネ車に取り組んできた」と振り返る。柳州市政府の支援も受け、17年と18年には相次いで2製品を発売した。認知度の向上や充電インフラ、駐車スペースなどEV普及のための問題解決を図ってきた結果、今や柳州市で新規に発行されるナンバーの4分の1はEVになったという。
上汽GM五菱は地方都市を中心とした消費者の生活実態を、徹底的に研究してきた。普段使いなら30km以内の移動がほとんどであることや、省スペースでの駐車が重要視されていることなどを軸に仕様を詰めていった。マーケティング上のターゲットは「おしゃれな若者」とした。
上汽GM五菱の源流は1958年に設立された柳州動力機械廠。当初は農作業に使うトラクターなどを製造していた。日本との関わりは比較的深く、三菱自動車の軽トラック「ミニキャブ」をベースとした車を生産したり、ダイハツの技術供与を受けたりしながら小型の商用車や乗用車を手掛けて成長してきた。2000年代に中国自動車大手の上海汽車と米ゼネラル・モーターズ(GM)の出資を受け、今の経営形態に落ち着いた。
脱炭素で世界のリーダーとしての態度を取るように
自動車のような技術力とブランド力を必要とする工業製品で、地方都市の中国企業からヒットが生まれるようになってきたことは何を意味するのか。
高度な技術が要求される内燃機関を、モーターで代替できるようになったことが中国国内での自動車開発のハードルを下げたのは事実だ。もちろん、日米欧の自動車メーカーとの合弁などで数十年間にわたって技術を蓄積してきたことが根底にはある。
加えて、中国国内の深刻な大気汚染が新エネルギー車の普及を必要不可欠なものとした。EVであれば外資でなく中国メーカーにも勝機があるという打算もあり、中国政府はEVを自動車産業政策の中核に据えた。
その結果、「EVバブル」とも言えるようなメーカーの乱立が起き、中には経営難に陥る企業も出てきている。その一方で、国有大手の自動車メーカーだけでなく、上汽GM五菱のような企業も育ち始めている。
過剰にも思えた中国のEV重視の産業政策だったが、世界的に加速している脱炭素の流れがこれを後押ししている。もともと環境問題に敏感な欧州に加えて、米国はバイデン大統領がパリ協定に復帰するための文書に署名した。
日本も菅義偉首相が所信表明演説で50年までに脱炭素社会の実現を目指すと表明した。世界規模の脱炭素の流れを受け、スズキの鈴木修会長はクルマの電動化について本誌の取材に対し、「地球環境を守る。全産業を挙げて戦うしか、仕方がない」と語っている。
そんな中、世界最大のCO2排出国である中国は環境問題に率先して取り組むリーダーのごとく振る舞うようになってきている。
20年9月、習近平国家主席は国連での演説で「2060年までに(CO2排出量実質ゼロの)カーボンニュートラルを目指す」と述べた。同12月には「国内総生産(GDP)当たりのCO2排出量を30年までに05年比で65%以上削減する」とさらに踏み込んだ。
脱炭素の流れを受けて、中国のEV熱はますます高まっている。上海では昨秋以降、新エネルギー車の「特需」が起きた。上海市交通当局が、上海ナンバー以外のクルマに市内の一部高速道路を使わせない規制を入れる方針を打ち出したからだ。「ガソリン車のナンバーの新規取得は100万円以上かかる。この機会にナンバーが無料の環境対応車を購入しようとする顧客が増えている」(上海市内の自動車販売店)
配車サービス大手の滴滴出行(ディディ)は中国EV大手のBYDと提携し、湖南省長沙市で配車専用EVの生産を始めた。関係者は「湖南省政府が全面的にバックアップしており、タクシーなどでも採用していく計画だ」と明かす。滴滴出行の程維・董事長兼最高経営責任者(CEO)は、30年には完全自動運転「レベル4」対応車を投入する構えだ。
滴滴出行(ディディ)とBYDは共同開発車を生産する(長沙市)
世界で加速している脱炭素の流れに加えて、世界最大の自動車市場でもある中国がコロナ禍からの経済回復で世界をリードしていることも、各国の自動車メーカーをEVシフトへと駆り立てる。20年9月下旬から開催された北京国際自動車ショーでは各国のメーカーが新エネルギー車を展示した。
脱炭素について、日本自動車工業会の豊田章男会長は「日本は火力発電の割合が大きいため、自動車の電動化だけではCO2排出削減につながらない」と指摘した。中国には原子力発電の積極推進が可能という強みもあり、クルマの電動化を進めれば進めるほど環境面でのメリットを得やすい。世界最大の市場でEV化が進んだときに何が起きるのか。
かつて米国の環境規制に対応してCVCCエンジンを開発したことで、ホンダは一気に販売台数を拡大し世界大手へと飛躍した。中国の中小メーカーの躍進は、日本企業が成し遂げた自動車産業での成長の道筋を想起させるものだ。中国で進む電動化の流れにいかに対応していくかが、日米欧のメーカーの将来を左右することは間違いない。
森兄
これは素晴らしい記事で当ネット会員全員が読む価値のある内容と思われるが、「オリパラ会長の交代」だけが表に出てしまって、本記事の影が薄くなっているのは残念。僕はこれまで中国の自動車産業には全く関心がなかったが、本記事を読んで初めて現状を知り驚いた。更に本記事は世界の自動車産業及び脱炭素化の流れを知るのに、非常に良い勉強にもなった。社会との接点が無くなった我々年寄りの学習には絶好の教材でもある。ただひとつ問題かと思われるのは、やや長過ぎて読み始めるのに抵抗感があるかもということ。
戸松
2021.2.21 12:10
戸松兄
急いで発表しないと冷えてしまうわけでもないので、Homeに載せておきましたが、読んで頂いたのですね。
「潮3月号」で45万円EVを知ったので調べたら、この記事に出会いました。日本のダイハツもこの会社にエンジン車の技術援助をしたようです。
日本電産の永守会長は「2030年にクルマの価格は五分の一になるだろう」と潮3月号で述べています。森