師匠を持つ人生は素晴らしい
インド創価学会 シャシャンク・カイタンさん
残ったのは借金だけ
私がエンターテインメントの世界に身を置いたのは、高校を卒業した2000年のことです。本来は父の経営する鉄工所を継ぐ立場でしたが、両親を説得して最初はダンスの道に進みました。
転機が訪れたのは「ラング・デ・バサンティ」という映画を06年に見たことです。すっかり魅了された私は、数カ月後には映画専門学校に入学していました。懸命に学び、卒業時には最優秀学生に贈られる賞を受賞しました。
インドは映画大国であり、その中心地であるムンバイでは、年間に1000本を超す長編映画が製作されています。街の旧名ボンベイとハリウッドをかけた“ボリウッド”という言葉は、今ではインド映画そのものの呼称になっています。
卒業後はムンバイで暮らしながら助監督として働きました。薄給だった上、ムンバイは物価が高く、いくつもの仕事を掛け持ちしなければなりませんでした。製作者として、名前が出ない脚本の仕事を引き受けることもありました。
そんな中、10年におじが出資をして、私の脚本を元にした長編映画を、私と友人で作るというチャンスが舞い込んだのです。10年間ずっと交際していた今の妻と結婚したのも、この頃でした。
ところが完成した映画を上映してくれる映画館はなく、借金だけが残ると、負担を折半するはずだった友人はどこかへ逃げてしまったのです。
妻ナリーニさんと一緒に
手に取った1冊の本
私は深い失意の中で「どうしたらいいんだろう」と妻に聞きました。真っ先に返ってきた言葉は「真剣に祈ってみたら?」でした。
実は妻はインド創価学会のメンバーで、私も交際中、勧められるままに何度か題目を唱えたことがあったものの、すぐにやめてしまっていたのです。
正直、祈りで何かが解決するとは思えませんでしたが、妻からもらった「題目帳」に唱題時間を記しながら題目を唱え始めました。
数分だった日々の唱題が、やがて1時間、2時間と増えるうちに、ムンバイでの仕事が少しずつ増えて生活も安定していきました。唱題の力は確信するようになりましたが、会合への参加や創価学会への入会は拒んでいました。
唱題が200万遍に達した12年9月のある日のことです。ふと枕元にあった池田先生の書籍が目に留まりました。妻が座談会で研究発表するために読んでいたものでした。
何気なく開いて、気付けば一気に読んでいました。まるで池田先生から直接、何時間も個人指導を受けているような思いでした。私は、周囲への感謝の念を忘れていた自分の仕事に対する姿勢を大いに反省すると同時に、「池田先生こそ自分の師匠とすべき人だ」と実感できたのです。
すぐに妻に電話をし、今月の座談会に参加して、この感動を話したいと伝えました。晴れてインド創価学会に入会し、それからは「信・行・学」の実践が人生の基盤になりました。悩みに直面するたびに、先生の著作や指導に答えを見いだしました。
2017年に公開されたラブコメディー映画「バドリナートの花嫁」 ©Dharma Productions
誠実な振る舞いから
学会の中で信仰に励むようになって、どんな悩みも、全て自分が成長するためにあるのだと捉えるようになりました。仕事が思うようにいかない時も、真剣な祈りに挑戦し、行動を起こしていきました。
翌年、インドの著名なプロデューサーと会う機会が訪れた際、自分の脚本を見せるのと同時に、池田先生と創価学会についても率直に話をしました。
こうして脚本と監督を担当することが決まった長編ラブコメディー映画「ハンプティ・シャルマの花嫁」(14年公開)は高い評価を得ました。この著名なプロデューサーは、私と仕事をしようと決めた理由について、「あなたのポジティブさと青年らしい情熱に感銘したから」と語ってくれました。
そして、続編というべき「バドリナートの花嫁」(17年公開)は、その年のインド映画興行成績の10位を飾ったのです。
19年には、私自身がプロデューサーの一人となり、コメディー映画「グッドニュース」を製作。インド国内はもとより世界各国で上映・配信され、19年のインド映画として5番目の興行成績を記録しました。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大で、インドの映画産業も甚大な影響を受けています。その中でも私は2本の映画の製作を任され、今年のうちに完成できる予定です。
プロデューサー、映画監督、脚本家として成功を収めたことは、もちろん喜ばしいことです。しかし、私にとって何よりの勝利は、池田先生の精神を受け継ぎ、自身の振る舞いを通して仏法への理解と共感を周囲に広げられたことです。
あの時の先生の書籍との出合いから、今も実践していることがあります。それは、いつも胸の中で先生と対話し、目の前の苦難にどう立ち向かうのか、先生だったらどう乗り越えていかれるだろうか、と考えて行動していることです。
昨年、男子部から壮年部に移行し、ブロック長として広布の最前線を駆けています。どこまでも誠実に、社会で信頼を築き、価値創造の人生を歩んでいきます。