本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、ピエール・ロチの『日本秋景』です。
ロチは、フランスの海軍士官です。1885年(明治18年)7月に軍務で日本を訪れ、母国が清と戦闘状態にあったため、中国へ向かいますが、9月にまた来日します。それから2カ月ほど滞在し、京都、鎌倉、日光、東京を旅しました。
今回は、ロチが日光へ行った時のことを取り上げます。彼は10月のある日、早朝から日光の聖山巡礼の旅に出ます。列車の客室には夫婦らしい日本人の男女がいます。夫は軍人らしく、ヨーロッパ式の軍服を身にまとい、トルコ風の巻き煙草を吸っている。夫人は立派な着物に身をつつみ、椿油をたっぷり使って複雑な髷を結い、煙管を吸っている。
ロチは、2人の日本人を子細に観察する。彼にとっての旅は、もう始まっているのです。人との出会いも旅の愉しみの一つです。
降りた駅は宇都宮。「駅を出ると、広くまっすぐな、真新しい道路が広がっているが、おそらくは鉄道敷設以後のにわか造りだろう。それでもいかにも日本らしい。飴、提灯、タバコや香料を売る小店が、いろいろ変わったごちゃごちゃとした看板を掲げ、長棹の先につけられたたくさんの幟がはためいている」
江戸時代から明治時代になって、まだ18年。確かに「にわか造り」の町の様子がよく伝わってきます。
当時、ロチの母国フランスでは、ジャポニスム(日本趣味、日本美術愛好)が隆盛を迎えつつあり、彼はその流れを見極め、この日本滞在記を書いたのです。本作の原題は「ジャポヌリー・ドトンヌ」。訳者によれば、「秋における『日本的なるもの』」というような意味だそうで、モーパッサンやゾラの小説と並び、ベストセラーになった。
宇都宮に降り立ったロチは、ガイドと人力車を雇って、8時間かけて日光へ辿り着きました。すっかり夜になっていた。旅館で日本式のもてなしを受け、翌朝、「帝王(将軍)の墓所」へ向かいます。彼がもっとも目を凝らしているのは、日光東照宮です。
「どこもかしこも黄金、光り輝く黄金である」。そして、ロチは建物の装飾にいたるまで詳細に書き残しています。珍しい東洋の美を前にして、メモを片手に歩き回る西洋人の姿が見えてきそうです。
午後になって見学を終え、帰り道を辿っていると、行きに小遣いをあげた少年に出会った。どうやら待ってくれていたらしい。その子は、摘んだツリガネソウの花束を渡すと、かわいいお辞儀をして去った。
「これは私が日本で受けた、唯一つの心のこもった記念の贈り物だった」とロチは記します。
今や世界遺産となっている日光東照宮ですが、この少年の純な心もまた、不滅の輝きを放っています。
【参考文献】
『日本秋景 ピエール・ロチの日本印象記』 市川裕見子訳 中央公論新社