「本当の豊かさとは、過剰なこととは違う」を読んで
2019年6月28日
筆者は先月の投稿文で、霧島の硫黄谷温泉で与謝野鉄幹が浸かったのと同じ湯船で90年前の鉄幹の句を読み思いに耽ったと書いていたが、今度は北の果て青森の青荷温泉ですか。日本列島を南の端から北の地まで、いつものことながら短期間によく動くのに感心した。この行動力こそ筆者の元気の秘訣で、高額の健康保険料の元がとれない原因と思われる。
東北地方の地理に疎い僕には青荷温泉との地名は初耳だったので、息子が使っていた古い中学校社会科地図帳を調べてみたが、十和田湖から黒石までは辿りついたものの青荷という地名は出ておらず、パソコンでググって漸く秘境の「ランプの宿」が見付かった。一般人は行かない辺鄙な温泉で電気のない自然の生活を体験してきたという、この強烈な好奇心もボケ防止に貢献し、筆者が高い介護保険料の回収が出来ていない所以でもあろう。
「ほんとうの豊かさとは過剰なこととは違う」:これはこの20年間の僻地での隠遁生活で「最近の若者の価値観と、それに悪乗りして過剰な機能の商品やサービスを売り込む企業の実体」を眺めている僕にはよく理解できるコンセプトである。
最近新しい車と買い替えたが、トヨタ車が誇る過剰な新機能には僕は付いてゆけず苦労している。例えば
① エンジンをかけるのにキー操作は不要で、ブレーキペダルに足を乗せて、手元のボタンを指で押すだけでエンジンがかかってしまう。キーを差し込んで回すという大切な作業(昔は特に寒い時期には大変な仕事だった)をすることで、初めて「これから車を走らせるのだ」と気持ちがグウ‐ット引き締まる。この精神面の大切な効果が無視されているわけだ。
② 車が走り出すと、過剰なサービスで突然ベルが鳴り出す。近くへの下駄替わりで使うのに「シートベルトを着用せよ」とうるさくベルが鳴り続けるので、止むを得ず運転中にベルトを付けるという危ない作業をすることになる。
③ 道の横に長い草が生えていたら(田舎道ではよくあること)、「障害物あり」との大きな警告音が鳴り出し驚いて運転操作を誤る。等々
最近高齢者の運転事故をメディアは喜んで書きたてているが、僕の憶測では、何れもメーカー自慢の「過剰な新機能に咄嗟の場合ついてゆけない」ことが原因と思われる。過剰なサービスや機能が生み出す恐ろしい弊害だ。同じようなことは最新のパソコンやスマホでも経験されるが、これは凶器にはならないから問題ない。
以上話題が横道に逸れてしまって恐縮です。