「P大島昌二:安田純平氏講演会」を読んで
P 戸松孝夫
講演会に出席できなかったので議事録を読みたいと思っていたのだが、新三木会の事務局から「記録は現在新三木会のHPで5~6名が精力的にやってるが、負荷が大きくやめようか、簡単にしようかとの議論がある。そんな訳で特別講話会は録音も記録もとってない」との話もあり、がっかりしていた。
そこへ今回P大島兄が詳細な記録を発表してくれた。録音はとっておらず自分のメモ書きと記憶だけで、こんなに長文の素晴らしい記録が出来上がったとは驚きであり、ただただ感謝である。「意図せざる誤りが加味されるリスクを承知の上で、自己責任なる抽象論に矮小化されている問題を検討したい」との筆者の前置きには全く同感で、その観点からじっくり読ませてもらった。特に興味があった記述は
① 安田はトルコとの国境付近で迷子になりウロウロしていたら不審者として捕まったがスパイ容疑が晴れたので直ぐに解放される筈だったのに3年余も監禁されていた理由は、ある時点からブローカーが介入して身代金を要求した為。人質ブローカーが勝手に入り込んできて家族、メディア、外務省などと接触を始めた。
② 安田の拘禁者たちもこのブローカーの言動に振り回されていた可能性がある。更にマスコミの付和雷同が輪をかけた。安田が単に「拘束」されたことが「人質」にとられたと喧伝され事態を複雑にしたようだ。
③ 安田は今でもどのようなグループが自分を拘束したのかがわからないとのこと。拘禁者たちからは、「われわれはイスラム国ではない」と聞かされていたが、安田はイスラム国と非イスラム国の違いを最後までわからなかったと言う。
④ 拘束下で皮膚が乾燥して弾力性を失い、押した筋肉が元に戻らない状態になったりした。身体を動かせない状態が長く続くうちに廃人になるのではないかという恐怖に襲われるようになった。安田がイスラムに入信したのは何とかして身動きをする機会を得たかったため。日に5回の礼拝によって身体を動かす機会が得られると思ったようだ。
⑤ 帰国してから、「迷惑をかけたのに謝罪がない」と世間から非難されたが、安田は現地の日本の外交官に対し心配をかけたことをきちんと詫び、家族に連絡を取ってくれていたことに感謝の意を表した。日本政府は救出活動をしてくれなかったが、政府が交渉をしたら身代金を払うことが前提となるので、安田は政府に無視されたのは当然と理解している。
⑥ 「報道の事実」がいかに現実から乖離しているかは「自己責任論とは自由なんてないというに等しい、それでは『やっていいよ』と言われることしかやれないではないか」との安田の主張通りである。
これは戸松の疑問だが、「当人は目下パスポートをはく奪された状態にある」とはどういうことか?安田は法を犯したわけではないのに、逆に外務省が彼の基本的人権を奪うとは理解できない。
15年前安田純平氏が最初にイラクで拘束されて脱出に成功した時の冒険談を当時の三木会で語ってくれたことを覚えておられる方も多いかと思われたので、昨年10月菅官房長官が「安田純平氏の身柄が解放されトルコ政府の保護下にある」と 緊急発表をした時、僕は当ネットで、
「日本政府は警告を無視して危険地域に入ったとして極めて冷淡だったし、世間では自己責任で行動し騒がせたとのバッシングの声も上がりかけているようだが、如水会先輩として我々は勇気ある同君の行動を理解してやりましょう」
との趣旨で呼びかけたが、当時33年会では特に反応はなかった。しかし今回M鶴田兄のお計らいとご尽力により新三木会で『人質40カ月の真相と戦場取材の意義』という特別講話会が実施され、40人の桜の間は満席の盛況だったとは喜ばしいことだ。更にはこの議事録をP大島兄が一橋33ネットで詳細に流してくれたので、我々は貴重な情報を共有することができた。(新三木会ホームページの講演会抄録欄に事務局に依る正式な議事録が載らない場合は、代わりに本記録が掲載されれば如水会員全員が人質40ヵ月の真相にアクセス出来るのだが)。また新三木会の則松代表幹事からは事後次のような感想も述べられている。「安田純平氏は、外務省・マスコミの誤解、偏見に対する被害感, 口惜しさが相当鬱積しておるようで、『こうやって(弁明の)機会を与えて貰うのが最も有難いのです、』とのこと。機会を見つけて、他の講演会や如水会支部の講演会にも紹介しようかと思っている」
以上