坂本兄の久し振りの投稿、興味深く読ませてもらいました。
半藤一利著の“昭和史”と“戦後史“2巻を一気に読んだとのこと、頭脳は相変わらず正常に回転しているようで羨ましい。僕は元来読書は不得意だったが、このところボケの進行と相俟って、全く読書をしなく(「出来なく」が正しい)なった。新聞すらとっておらず、文字はネットで読むだけ。従って坂本兄のネット投稿文は、いつも自分の頭の体操に活用させてもらっていたのだが、最近投稿が激減し残念。
昭和史に関する勉強は従来からも(惚ける前から)全くしておらず、自分が赤ん坊だった頃の日本の世論がどうだったのかを知らないので、“戦争だけは何とか回避したい”という願望が日本の一般庶民大衆の間で切実だったかどうかも自分自身で検証出来ていない。
従って支那事変に関してはコメント出来る立場にないが、記憶が残っている大東亜戦争当時の日本の(自分の周りに生活していた)一般庶民大衆の姿勢について言えば、そのような願望は表面には出ていなかったように思われる。
① 僕が一番強い影響を受けたのは国民学校の先生だった。4年生の夏に戦争が終わったが、一年生入学時点から先生方からは「鬼畜米英を地球上から追い出す為にみんなで頑張ろう。お前たちは大きくなったら兵隊さんになって戦争に行くんだ」と励まされ、低学年からかなり厳しい軍事教練を受けたが、生徒は誰ひとり抵抗感を示す者はなく、戦争への憧れのような気持ちを持っていた。1-3年生の間は女の先生、4年生で男の担任だったが、どの先生も当然ながら戦争に対し批判的な意見・発言はなかった。「先生の言うこと本心(?)」などと疑いの気持ちを持つ生徒もいなかった。今だから思うのだが、心ある先生方は戦時中、悩み苦しんだのではなかろうか。
② 僕の家庭にも厭戦気分は全くなかった。サラリーマンだった親父のところに昭和18年召集令状が来て、親父は陸軍少尉の軍服にサーベルを付けて笑顔で戦地に向かった。母親は心配顔を一切見せず名誉なことだと本当に思ったのか「お国のために頑張ってきてね」と送り出していた。この時の映像は僕の頭脳に鮮明に残っている。
③ 近所の人たちの中で子供たちは僕と同じ学校教育を受けていたから、20年8月15日玉音放送を聞いたときは、誰も本気にしなかった。戦況が日本に不利になってからも「いざとなったら神風が吹くから絶対に勝つ」と僕たちは心底から信じていたから。当時僕が住んでいたのは朝鮮京城府で、アメリカの空襲がない所だったから、危機感も生活困窮もなくのんびり過ごしていた為か、近所の大人たちからの厭戦声も聞こえてこなかった。
野上弥生子が新聞に書いたことが、昭和12年当時の民草一般の考えだったのかどうかも僕には判らない。有名人が言っていることだからメディアでは大きく取り上げただけで、日本人全体からみれば少数意見だった可能性もあらん。日本を世界の強国にすることだけが、(大所高所から物事を真剣に考えることが出来ない付和雷同型の)大衆の希望だったかも知れない。
現在都会に住んでいる方々は“新型コロナウイルスには何とか取りつかれないように”と強く願って日々を過ごしておられるようだが、コロナが未だ侵入してきていない僻地では、住民の多くはマスク無しで3密も気にすることなくうろうろしている現実がある。前記の大東亜戦争時と同様に、同じ日本人民草も生えている場所や自分との利害関係によって考え方が異なっているようで、一律に民意を表現するのは難しそうだ。コロナ対策としてのGo To Travelも賛否両論あるようで、僕のような貧乏人は半額の費用で楽しめる本案に悪乗りして、この冬の沖縄での冬眠生活を計画中。
以上 2020/08/13 17:20 Takao Tomatsu