「病気と孫の話はするな」という戒めがあるらしい。あえて借問す、老人から病気と孫の話題を取ったら何が残るか?軽重の差はあっても老人は病気のデパートではないか、寿命が避けがたいものである以上孫は未来への懸け橋ではないのか。ましてやコロナ禍の下でほかに何を話題にできるだろうか。そこであえてタブーに踏み込んでみることにした。
不思議と師走になると用事が立て込んでくる。年末とは限らないが近年は用事に病状の検査が加わり、検査のまた検査となるのでさらに多忙になります。直近では内視鏡では危険で写せないという部位にある「憩室」を写すのに日野市の英世クリニックというところに行きました。8日にCT(CTコロノグラフィーという)を撮り、二週間後の22日にはそこを紹介してくれた立川の川野病院でその結果を聞いてきました。いつもの予想通り、差し当たって危険はないので様子を見ましょうという診断で一安心ですが確かにリスクは知らないよりは知っておいたほうが良いけれど予防医学もここまで来たことを実感した。川野病院は親子で経営しているので1回目は川野父、2かい目は川野子という順で川野父子に面会しましたが短い時間ながら丁寧、懇切で説明はいずれもたいへん満足の行くものでした。その川野病院へも別の病院からMRI撮影のために紹介されたのでしたがより優れた装置のある英世クリニックを紹介されたのでした。
中央線で国立の西が立川駅その次が日野駅ですが私は日野駅には降りたことがなく日野は多摩川の川向かいのただの田舎町と思っていましたが実は人口19万人のベッドタウンで国立市の2.7倍の規模です。そこの英世クリニックで先端的な「仮想内視鏡大腸検査」をしたのでした。出来上がったCTの映像を見ながら川野医師も「すごいですね」と驚いていました。大腸内壁の全容が実にはっきりと映っているので私も驚きながらしばしわが体内を探検したのだった。
クリニックから一番近いのはJR駅ではなく、多摩モノレール線の万願寺駅です。近年散策ルートを探している折に、そこには万願寺という地名だけがあって寺はないという不思議に気づいていました。誰も説明してくれない。以前別の寺のお坊さんに聞いたことがありましたが彼も寺のことは知らなかった。今回ウイキを検索してみると私と同じ疑問を持った人が調査の結果を披露していました。日野市万願寺4丁目には安養寺という古い立派な寺がありますがその由来書に万願寺は影も形もなく、別の古文書に一つだけ万願寺という名が謎のように出ているだけといいます。私は安養寺がくさいと思うのですが結局のところはわからない。
これと併せて将棋では「王手は日野の万願寺」というセリフがあることを知りました。勝負が進んで「これでどうだ」という時に言う得意のセリフだというから囲碁でも使えると思う。江戸時代には多摩川に「日野の渡し」がありそこは諸国から江戸への出入りを扼する数少ない土地であったところから生まれたセリフだという。(今でも日野橋は交通渋滞の名所で目下建て替え中である。)となると日野は国分寺と立川から借用した国立などよりはるかに歴史もあり由緒も深いものがある。
長くなりますがこの際もう一つ疑問を書いておきます。コロナの脅威で外出がままならない状態の副作用として稀の外出の味わいが深くなったことです。今年も昨年に続いて多少とも外出といえる経験は数えるほどしかしていません。直近では今月19日に秩父宮ラグビー場でラグビーの試合を見てきました。私は生まれて初めての経験、試合に限って言うと一度だけロンドンのトウイッケナム(Twickenham)でアンダー23の日英対抗戦を見たことがありました。早稲田の宿沢広朗が出ていてスクラムから拾い出したボールのパントを繰り返していたことを記憶しています。
今回は東大対京大の第99回対抗定期戦で東大は創部100年という記念の大会、京大は99年という。A,B,C の3クラスに分かれて戦いAは東大、B,C は京大が勝利しました。Aが勝利したことで今年は東大の勝で通算では東大の40勝54敗5分でした。珍しい経験ということもありますが寒さを押して出かけたのはわが孫殿が京大Bで出場したからでした。彼は高校、大学とラグビーに熱中しており両親はこれで卒業できるのかと心配しています。彼は中学時代は水泳をしており高校もプールと水泳部のあるところと言っていたのにたまたまラグビーに関心のある友人と連れ立ってラグビー部の説明を聞いて虜になってしまったのでした。運動、ましてやラグビーなどに熱中するとは両親とも両サイドの祖父母にも似ていない。ただ考えて見ると私もどんなところか一度会社というものを見て話を聞いてみようと出かけて行っただけの会社に入ってしまったのだから隔世遺伝というものがあるのかもしれない。
そこで秩父宮ラグビー場。正面入り口の階段を上がったところの壁に“Prince Chichibu Memorial Rugby Ground ”と大きく表示してあり、その真下にラグビーボールを抱えた選手の立像がある。私はこれは秩父宮をモデルにした彫像と思い込んでしまった(写真参照)。それなら日本の皇族の彫像としては唯一のものではないだろうか?しかし時間がたつにつれて、そしてそのラグビー・プレーヤーの若くたくましい表情などを見ているうちに「これは違うぞ」と迷い始めたのでした。しかし万一ということもある。なかなかの銅像だから作者名も知りたい。私は思い切って秩父宮ラグビー場に電話してみました。応対に出た男性は「こちらでは正式にはわからないから日本ラグビー協会に聞いてほしい」と言って電話番号を教えてくれた。ラグビー協会で応対に出た女性は「なぜ知りたいのだ、何に使うのか、何かに発表するのか」としつこい。ラグビーの観戦をしたのでそれを友人にレポートするプライベートなものだと言っても納得しない。私は質問をイエスかノーかで答えられるように持ち掛けていたのだ。挙句の果てはホームページの質問欄で問い合わせろという。それならそれと最初に言え!誰かにちょっと聞くか、知らないなら知らないと一言いえばそれで済むのに何という阿呆だ!組織の末端まで官僚主義の腐敗が行きわたっている。もう一言加えて「だから日本はだめなんだ」と言いたくなっても不思議はないだろう。あまり良い終わり方にはならないけれど、こんな風な年の暮れです。泣いているよりは怒っている方がまだましと思っています。妄言多謝。ではよいお年を!