森下兄断腸亭の経済学感想
P大島昌二:2021.2.4

shoji oshima


14:45



吉野俊彦氏は日銀の調査局長時代から経済評論を書いていて行内では白眼視されたらしい。それでも世間に名の通ったエコノミストは最後になってようやくわずかの間、理事に任ぜられた。政治力のない調査マンが日銀の理事になったのは彼をもって嚆矢とするという。その後のことは知らない。日銀という枠内で働いたせいかどちらかというと常識的で面白みに乏しい人のようであった。本来、生真面目な勉強家で経済評論もその成果を世に問いたかったのだと思う。後に日経新聞に「私の履歴書」を連載したがその中に、インフレの続く日本で貯蓄をしても損をするだけと知りながら貯蓄推進の講演をして歩かなければならなかったと書いていた。貯蓄推進の国是を担う運命にある日銀の建物のトップからは貯蓄推進の細長い垂れ幕がかかっていたのを記憶している。吉野さんは日銀の禄を食む以上本心を偽らなければならなかったことを告白していたのである。戦時国債がどうなったか、まだ記憶も生々しい時に辛かったろうと思うが本気にした人はどれだけいたものだろうか。私は吉野さんの日銀論や評論を読んだ記憶があるが面白いと思ったことはなかった。吉野さんは退職して間もなく畑違いの鴎外論を書いたが「二足の草鞋」を履いた鴎外に親近感を抱いたからだと言われた。しかし鴎外は陸軍軍医として海軍のビタミン不足説に対抗してドイツ医学の化学療法に執着して脚気の処方を誤るという大失敗をしている。


吉野さんは日銀を離れた後に山一證券の経済研究所の理事長に就任した。世間には天下りのお飾りと見た人もいただろうが私は彼が本気だったことを見ている。海外に日本経済の現状を伝える講演旅行に引っ張り出されると手元に原稿はあったかもしれないが英語で滔々と演説されていた。どこまでもまじめな人だったと思う。荷風の『断腸亭日乗』に着眼して日本経済の物価の変動を追うのであれば吉野さんの本でも面白いだろうと思う。経済統計では完全に隠されてしまう人間の喜怒哀楽を読むことができるだろうからである。残念ながら差し当たって私はそこまで手が回りそうにない。芸者の玉代、枕代、身請け代に興味がないとは言わない。積読書が次々と現れて山をなしているからである。

日銀の調査部長は吉野さんの後も吉野さんであった。吉野道夫さんと言い、俊彦さんと区別して次長時代から「小吉野」と呼ばれていたらしい。日銀を退任されてから証券アナリスト協会の会長に就任された。私が同会の発行する『証券アナリスト・ジャーナル』誌に乞われるままに駄文を載せていたのを見て会社に訪ねてこられた。違う畑を耕すのに多少の戸惑いもあったと見えて原稿の依頼がてら四方山の話をした。小吉野さんも真面目で大吉野さんに比べると繊細な感じの人に思えた。日本の証券界のアウトサイダーを任じていた私には好感の持てる人でその後も2度ほど訪ねてこられた。「今後もよろしく」とのことであったあから、しばらくはお付き合いができそうに思えたが惜しいことに間もなく亡くなられてしまった。


昨年の日本人が選んだ漢字は「密」ということだが昨今の私の身について離れない漢字は「忘」である。これは来年も同じことだろう。ただいくつかは忘れないでいることもある。1972年の狂乱物価の時代は潤沢なマネーサプライのおかげで日経ダウは年初から年末にかけて2倍になった。しかし海外の日本専門ファンドはどれ一つとして倍になったものはなかった。それも円に対して減価したドル表示での話である。もう株式市場についての知識は昔話しか知らないが「昔取った杵柄」が役に立つこともある。最近も旧知の証券マンにこの1972年の経験を話してやった。何度か崩れそうになりながら「ここまでは」その都度切り返してきている。この証券マンによれば彼の顧客は大方利食いをして手持無沙汰にしているという。「利食いした金はどこかと女房聞き」という川柳があるが、彼らの資金は今どこにあるのだろうか。株価を決めるのは“Fear and Greed”(「恐怖と貪欲」)だというのが英国流の投資哲学である。現状は「恐怖」も「貪欲」もあまり人を駆り立てないように見えるのである。


一橋33ネット諸兄姉