森下兄の質問3件について(続)
2)巨大部数の新聞についての貴兄の危惧はより大きなジャーナリズムの問題として取り上げることが必要と考えます。大きく、かつ具体的な問題はトランプ大統領が効果的に利用したTwitter やフェイスブックに明確に現れています。これらの巨大ビジネスは選挙に及ぼした影響を含めて批判にさらされていますが、彼ら自身が自らがコントロール出来ない妖怪を生み出したことで途方に暮れています。
情報の大量頒布(mass circulation )であるマスコミ(mass media)は
democracy (民主主義)に資するばかりでなくdemagoguery(大衆扇動)にも効果的であることはトランプが十二分に示したと言えます。その余韻は長く残り、トランプ時代以後に活発化する問題の一つだと思います。
日経や読売、そして朝日もインターネットの時代に部数を維持するのに四苦八苦する状態にあります。私はこの夏、執拗な勧誘に負けて3か月間朝日を購読しましたが、半分以上が広告でどこに読むべき記事があるのか探さなければならないような有様でした。
日本の新聞は広告のスポンサーばかりでなく、「記者クラブ」にもぶら下がって稼働し、各紙似たり寄ったりの報道に偏しています(下記注)。ぶら下がった相手にはその不興を買わないように、形だけの質問をして、答が得られなくても大人しく引き下がるのが常です。主観的な意図はどうあれ、客観的には籠の中の鳥のようなものです。その上で「客観報道」というおまじないにこだわる結果、せっかく社説蘭を設けながら社説らしき内容のものはなく、そのスペースはせいぜいのところゴマメの歯ぎしりで、無用の長物と化しています。「エコノミスト」であったと記憶していますが、われわれはNews-paper ではなくViews—paper であると喝破したことを思い出します。経済というとりわけ「冷静な頭脳」を要請される分野においてこの通りです。すべからく新聞はNews ばかりでなくViews を持つべきものであることを認めるべきです。
新聞の発行部数が巨大化した結果ニュースの質が落ちたのではないかという問題ですが講読層が巨大化すればするほど、あらゆるニーズを満たし、あらゆる層の意見に迎合する八方美人になる傾向が強まるのは自然の成り行きであり、社説を持った新聞としての性格はあいまいになっていきます。新聞の発行人は自らの意見を差し控え、新聞自体のカラーはそれぞれの新聞社が選ぶ外部の寄稿者が代弁する結果になっています。寄稿者は固定したものではなく、往々にして異なった新聞間で相互にオーバーラップすることもあります。
ここでのもう一つの問題は、政府に予算の首根っこを握られているNHKが明らかにそうであるように、新聞社ごとに寄稿者に関する(少なくとも暗黙の)ブラックリストがあってそれが言論の自由を疎外していることです。今回、表面化した日本学術会議の会員任命の問題は水面下にこれと同じ根のある氷山の一角といえるでしょう。この問題に関してある科学者が巧みな例を引いていました。ガリレオの地動説がローマ法王によって異端として弾圧された結果、科学研究はイタリアを離れて、イギリス(ニュートン)やドイツ(ライプニッツ)へ移っていったと言うのです。
私は多くの国の新聞事情を知りませんが、イギリスの場合は、外部の専門家の寄稿もありますが、記事の主流は社員である記者が署名入りで書いたものです。彼らは専門分野を持っていてそれぞれの分野で才能を伸ばしていきます。極東の日本でも知られている例を挙げれば、日本経済の専門家としてよく見解を求められるビル・エモットや、古くは1962年に「エコノミスト」紙上の特集記事(”Consider Japan”)で日本の経済成長を見透し、世界の経済地図に「日本を発見した」と評されたノーマン・マックレーなどはいずれもアカデミックなポストとは無縁のジャーナリストです。今でもそうならば信じがたいことですが、日本の記者生活は「サツ回り」から始まるのが常態でした。専門の分野を持たずにジェネラリストとして腕を発揮することこそが記者の本領だという前提の上に立っているようです。
「第四階級」(The Fourth Estate) という言葉があります。これを最初にジャーナリズムに引き当てたのはイギリスの思想家、エドマンド・バーグ(1729~97)とされますが、聖職者、貴族、市民と並ぶ第四の身分(権力)を指し、ヨーロッパの国々で広く使われています。過去にすでにそれだけの隠然たる力を認められていたジャーナリズムがインターネットの世界に乗り移ろうとしている現在、トランプ大統領が反面教師として示した難題にジャーナリズムはどう向かうべきか、英米の社会や新聞はすでにその課題に取り組みを始めています。日本でもジャーナリズムはその真価を問われる時代に入っていることは否めないと思います。
〔注]例を上げればきりがありませんが、原発の「安全神話」を際立った例として挙げることができます。四大紙は、安全性を国民の間に浸透させるために支出された膨大な広告費に筆をまげて群がったのでした。私は旧ソ連のチェルノブイリの原発事故についての日本での報道も、もともと報道管制下にあった事故ではあっても、きわめて抑制されたものであったという印象を持っています。
3)古田武彦氏に触れたのは偶然のことで、私は彼について特段の意見は持っておりません。邪馬台国(耶馬台国とも書く)が大和にあったか筑紫にあったかについての議論の詳細についても知るところがありません。この問題は天皇家がどこから出たかと同じように大きな関心を呼んで不思議ではないので信頼に値する論証が欲しいとは思います。印象だけを申し上げれば、「魏志倭人伝」というわずかの手がかりに頼って、とりとめない議論を沸騰させているように見えます。論者たちはどれだけ中国語なり中国古代の歴史文献なりに精通しているのだろうか疑問に思います。
現在、東京新聞で「よもやま邪馬台国」という連載が進行中ですが面白いとは思いながら時折眺める程度ですませています。女王塚とか土蜘蛛伝説など各地に残る古代遺跡を訪ね歩いているところは金達寿の『日本の中の朝鮮文化』さながらです。著者の豊田茲通という人は『季刊邪馬大国』特任顧問という肩書です。論争がなお進展していることがわかりますが結論が出るとしても別のところから出るのではないかという気がしています。
岡田英弘という中国史の専門家に『日本史の誕生』(ちくま文庫)という日本古代史について、通説を覆す、きわめて興味深い著作があります。邪馬代国論争にも大きな一石を投じていますが論旨の扱いは細心の注意を要するので全2部13章からなる同書の該当する第一部「倭国は中国世界の一部だった」の目次だけを掲げておきます。第二部は「日本は外圧のもとに成立した」です。
第一章 耶馬台国は中国の一部だった
第二章 耶馬台国の位置
第三章 親魏倭王・卑弥呼と西域
第四章 倭人とシルクロード
第五章 日本建国前のアジア情勢
第六章 中国側から見た遣唐使
第七章 「魏志東夷伝」の世界
著者の故岡田英弘氏は1957年に弱冠26歳で『満文老檔』の研究で日本学士院賞を受賞している碩学です。長い間、東京外国語大学の教授を務めました。一般読書人はもとよりですが中国史の専門家によっても広く認められなかった様子が作者の発言からも感じ取られますが、ようやく近年になって(2013年から)著作集全8巻が藤原書店から出版されました。
東洋史学からは岡田氏のほかにも宮崎市定氏の日本古代史に関する論考が興味を引きます。同氏の「記紀をどう読むか―日本上代史の素描―」には「神代の巻は(歴史ではなく)むしろ歴史の舞台として必要な地理の記述ではなかったか」として東征の「交通路はいわば双六の絵図にほかならない。その上りの終点が大和であったので、振出の出発点はいきおい最も遠方の日向に置かねばならなかった。だから歴史事実は絵図とは反対に、大和を基点として、鉾を西方に向け、筑紫を平らげた後、日向に到達したに違いないのである」という記述があります。
岡田氏は魏志倭人伝は政治的に「作為された」文書であるとしながら、そこに邪馬台国に続いて列挙された斯馬国以下の21ヶ国が「倭人諸国の実状を反映したものと仮定すれば、こうした長い交通路として考えられるのは、瀬戸内海の水路しかない」と書いています。岡田氏の見るところではこれらの国々はもともとは渡来した中国商人が築いた交易基地でした。
かつて日本史でよく使われた「帰化人」という言葉は今では「渡来人」にとって代わられています。国家そのものの存在が不確かな時代に帰化はあり得ないし渡来した人間が徐々に国家を建設したと考えるのが筋だからです。